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本編29のあたりです。 








 城から上がる火の手を、錫高野佐吉は意外な思いで眺めていた。

(あーあ、燃やしてしもうて)

 末弟が待機したはずの天守からは黒煙が立ち上ぼり、赤い炎の舌がチロチロと覗く。弟の安否は一瞬脳裏に浮かんだが、すぐに別の思考に紛れた。

(ヨシが火をかけるとは思えんな。忍組か)

 拠点は重要だ。平時でも要となるなら尚更に。 
 戦だからと言って燃やしてしまうのは勿体無いというのは奪う側の理論だろう。いくら有力な資源であっても、一旦敵に奪われてしまえば今度は脅威になる。
 最初に末弟…与四郎の異変に気づいたのは、すぐ下の弟だった。話を聞いた長兄が行った「実験」は非道なものだったと思うし、与四郎を憐れにも感じた。しかしその「結果」を見た時に、今回のような囮役をさせる事への抵抗は消え失せた。
 末弟が嫌いなわけではない。いくつになってもかわいい弟だ。ただ、庇護を離れ違う道を選択するのなら、対等に利用するのが一人前の忍としての扱いだと思うだけだ。
 雑渡昆奈門という男がいかに強大であろうと、今の与四郎なら逃げ延びることが可能な筈ある。

(生きとればええ)

 多少の苦痛がついてまわっても、死んで終わるよりずっといい。南蛮渡来の遠眼鏡を目からはずし、佐吉はひそやかに笑う。
 城内に転がしてきた男は愚かだった。
 自ら守りを切り捨て、甘言に酔い、なにもかもを奪われて。かわりに衣装をまとっただけで観客はいともたやすく「黄昏甚兵衛」をうけいれた。長く騙し通せるとは思わないが、自分達がこの国に根付くまでそうかからないだろう。

「殿、」
「何とした」

 喜色を抑え、不安の表情をはりつけて、佐吉は落ち行く城に背を向けた。




 前を駆ける与四郎の背中に、先程緊張が走ったのを喜三太は見逃さなかった。背後からの轟音は崩落の二文字と重なる。
 喜三太は先に脱出し城の近くに潜んでいたが、後から出てきた与四郎は顔半分が火傷で真っ赤になっていた。無傷には程遠い姿が中の惨状をあらわしていて、逃げる旨の他は何も聞けなかった。
 あの二人はどうしたのかとか。
 雑渡は計画通りに足止めできたのかとか。

(このまま…ボクは何もせず戻るだけなのか?)

 錫高野の長兄が、無力な自分をわざわざ末弟に付随させた意味がわからないほど幼くはなかった。
 喜三太は、大川忍術学園の同級生たちの動向をいくらか知っている。ツテをたどればたぶん匿ってくれそうな心当たりもある。いなくなっても風魔一族が積極的に追ってくることはないだろう。しかし異能となった与四郎が一緒なら話は別だ。本腰を入れて探られればたちどころに見つかる。
 与四郎が脱走したとなれば、血を分けられた若者達が追うはずだ。たぶんどうにか逃げおおせるだろう。しかし、もし兄達をはじめとした手練が追手につけば、あやうい。そして次期当主の可能性を僅かでも持つ喜三太をつれて逃亡したとなれば、単なる脱走とはまったく違った重みになる。
 二人とも逃げることはできない。
 かといって一人だけ逃げれば、残された者に何が起こるかわからない。
 見えない縄が二人の首を繋いでいるのだ。縄の名前を情という。切るつもりは、どちらもない。

「先輩、待ってください」

 とうとう声をあげた喜三太を与四郎が一瞬振り返った。しかしまだ止まらない。

「このまま佐吉さんの所へ戻るんですか。なまえ先輩は」
「仕方ねーべ。…ん」
 冷静な様子で答えて、与四郎が止まった。口の前に指をたてる。茂みに屈む。
 静かに並んで木立の奥に目を凝らすと、なにかが動いた。獣ではない。人だ。数名いる。

(あれは…)

「伊作」

 予想外の口から名前が転がって、喜三太は驚きに顔を見上げた。

「知って…」
「あっちが覚えてっかは別だがよー」

 どーすっか、と呟いて、与四郎は目を細めた。
 伊作も横にいる人物も負傷しているらしかった。騒ぎを起こすのは不本意だが、このまま放っておけばいずれ風魔か忍組かにみつかるだろう。彼らが風魔でないことは確かだ。知人の口を封じることはあまりしたくない。

「…横にいるのは立花先輩と…潮江先輩、でしょうか」
「喜三太、おめーはどうしてーんだ」
「え?」

 思いがけず意見を求められて狼狽える。

(どうしたいんだ、ボクは)

 …以前、風魔をどうしたいか、と聞かれたことがある。相手は祖母だっただろうか。異母兄の元服の夜だった。

(あのとき、「間口を広くしたい」と答えた)

 大川忍術学園から風魔に戻るとき、別れを惜しむ声はあっても、技を盗んだと罵る声はなかった。他流の子供であっても受け入れ平等に教育を施す。あの場所に時間に、間違いなく自分は救われた。
 六年の期間を越えて滞在が許されるなら、卒業生の何割がとどまるだろう。巣立ちの後に幾人が戻ってくるだろう。
 技術の秘匿に固執し、内部争いに疲弊する一族。流れ出ることを恐れて密閉すれば、入ることもなくなってしまう。戻って抱いたのは危機感だった。このまま枯れてはならない。風は、停滞してはいけない。

(ボクが望むのは…)

 眼前の青年たちに目をこらす。かつて憧れ、追いかけ、今も先を進む人たち。

「…味方に欲しいです。助けましょう」

 与四郎は少し目を見開いて、それからにやりと笑った。



「なぜ貴様はそうなまえに拘るんだ。元凶だろう」

 かいつまんだ事情を聞くと、なかば吐き捨てるように仙蔵が言って、与四郎は開きかけた口を閉じた。
 恋だの愛だので語るのは何かが違う気がした。ただ好きだと思うだけなら、彼女を残して逃れてきたりはしなかった。
 少し考えて言葉を選ぶ。

「ならオメーはなんで復讐したがンだ」

 秀麗な眉がつり上がるのを見て、少し笑う。

「ただの綺麗な思い出じゃねー。でけぇ恩があっから忘れらんねーんだろ。違ェか」

 黙りこんだ仙蔵の腕を縛り、与四郎は文次郎に向き合う。

「タソガレドキがどーなろーとオレは知んねーけどよ。知り合いが標的っつーなら話は別だ。…だからそろそろ収めちゃくんねェか?」

 返事の代わりに隈の濃い目で睨まれて、与四郎は喜三太を振り返った。

「ウチの頭領の意志でもある」
「風魔の頭領がこんなところに単騎駆けとは恐れ入るな。警護は一人で充分なのか?」

 皮肉たっぷりに言われても喜三太は正面から文次郎の視線をうけとめた。

「残念ですが今ボクの味方は与四郎先輩ひとりきりです。生きて帰らなきゃ、もともと存在しなかったことになるでしょう。ですから潮江先輩、立花先輩、善法寺先輩。ボクに協力してください」
「はっ」

 顔を歪めて笑われた。
 予想のついた反応ではあっても、いたたまれないのがよくわかる。緊張しきった顔の喜三太を横目にみながら、与四郎もまた膝をつく。

「お願いします」

 できるのはひたすら頭を下げることだけだ。
 沈黙を貫いていた伊作が口を開いた。

「いいよ」
「随分即決だな」

 頭上の声に目を見開いたが、ひややかな仙蔵の声に気をひきしめる。なにか裏でもあるのか?

「喜三太も与四郎も顔あげて。僕はどこにいったって構わないからね。ほら、怪我も病気もどこにだってあるだろうし。…それより簡単にそういう人体実験する根性が気にくわなくてさ」

 指差されて与四郎は瞬いた。

「オレか?」
「なまえや君が望んだならまだわかるけど、赤の他人が誰を救うためでもないのに、人体を弄びすぎだ。もう何人か他に感染させたんだろう?今のままで放置したくないね。僕自身の倫理として」

 だから手を貸す、と伊作は言った。
 文次郎がため息をつく。

「風魔一族が何人いるか知らないが、たかだか三人やそこらでなんとかなると思ってんのか?」
「潮江先輩のお言葉とは思えませんね」
「あ?」

 喜三太が垂れ気味の目を細める。

「会計委員長の座右の銘は『根性』だとお聞きしてたのに。ボクが在学してた頃は任暁左吉先輩がしっかり後輩たちに指導してましたよ、部屋のなかに張り紙までして。会計委員たるもの多少の困難は努力と根性で乗り越えて見せろって。やるまえから諦める奴がいるか!って」

 途中から、文次郎は額をおさえ、仙蔵は腹を抱えて笑いだした。傷に響くらしく小さく呻く。涙の浮いた目尻をぬぐい、仙蔵が口を開いた。

「成る程この馬鹿が吐けた台詞じゃないな。そうか、あの左吉が…」

 話題にのぼった少年は、自分の身内と名前の音は同じだが、随分違った性格らしい。常に飄々と、自分の努力など他人に見せない兄を脳裏に描いて、与四郎は木々の隙間から城のほうを振り返った。雑渡昆奈門より、自分がこれから向き合うべきは兄達だ。敵も味方も冷徹に利用し、喜三太の異母兄を傀儡にして一族をまとめるつもりだろうが…。

 (損得だけじゃ人はついてこねえよ)

「オレ個人からも頼む。オメーらの力を貸してくれ。兄貴達は強いが、危ねぇ」
「見返りは」

 当然のごとくに尋ねられ、喜三太が即答した。

「六年をすぎても過ごせる場所を」

 二人の青年が息を吐く。

「異端も、忍も、はぐれ者も、皆が対等に暮らせる場所を作ります。…大川学園長先生の理念を、あの学校ひとつで終わらせるのは惜しい。だからボクが風魔を変えなければならないんです。理想を理想で終わらせやしません。お願いします。一緒に、新しく作ってください」

 頭を下げた喜三太を見下ろしながら、彼らが
何を思ったのか、与四郎は知らない。ただなにか大きな憑き物が落ちたことだけは、はっきりと感じられた。