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 忍術学園より与四郎が戻って間もなく、風魔の里では再び寄合が開かれた。錫高野家では必ず父と長兄が参加している。常と違うのは父が抜け、まだ一人前とは認められていない与四郎と、滅多に里に戻らない次兄がそこに加わったことだった。
「与四、しばらく見ぃひん間に背ぇ伸びたな」
「佐吉兄も元気そうで」
「ふふ、目障りな次男が早ぅくたばれば、総一郎の眉間も緩むんやろうけどね」
 けらけらと笑いながら佐吉は冷ややかな眼差しをちらつかせる。真夏の昼日中に暗がりを覗いたようなという印象はおよそ与四郎が物心ついてからかわらず、むしろ会うたびに深さを増すようだった。
「総兄ぃのアレはもう顔の一部だべ?なかったら誰だかわかんねぇ」
「ほんま言うようになったなー。なんやちょっと前のミノ思い出すわ」
 巳之助とほど話が弾むわけではないが、それでも口うるさい長兄と二人きりになるよりは次兄のほうが気疲れしないかもしれない。
「、あンの地獄耳…」
 壮年の男達に混ざって座を組んでいた総一郎がこちらを睨んだのを受け、舌打ちした佐吉はわざとらしく笑顔を浮かべる。兄達の視線の間で散った火花は見ない振りをして、与四郎は佐吉の脇をつついた。
「佐吉兄、何の用で来たんだ」
「なんや俺が用も無しにきたら悪いみたいな言い方やな?」
「そういうわけじゃねーけど…」
「まぁええわ。仕事で人探しでな、せやからここにおんねん」
 あっさりと答えた佐吉に与四郎は眉を寄せた。それがどうしてこの場にいることになるのか。そもそも今日の寄合いの内容さえ与四郎は知らないのだ。
「すぐわかるで?なんせ今日の花形はおまえやし」
 口にもしない疑問へ、謎の回答をよこし、佐吉は裂けるような笑顔を深めた。


「…さて、それでは最後の議題だが…」


 各地から持ち帰ったほうぼうの動向、他方から仕入れる食料や資材の価格についてなど、おそらく普段どおりの報告や質疑が一通り終わった後、最年長の男がちらりと下座に視線を向けた。
「きたで」
 佐吉が小突くが与四郎は何のことかわからない。
「先日頭領がつかわした密偵が、例の娘の消息を握って来たらしい」
 横っ面をひっぱたかれる、とはまさにこのことだ。
(なんでここで…!) 自分が動いたことをリリーは公表していない。
 するようなことであれば、そもそもこんなヒヨコを使いに指名したりはしないだろう。密偵などと言う言葉にまさか自分が結びつくとは思わなかったが、佐吉や周囲の様子からすると、どうやら己を示しているのは間違いないらしい。
 ざわ、と動いた気配に与四郎は反射的に肩をこわばらせる。
「例の娘…本当にいるとは」
「もう十年にもなっぺ、生きてても判っか?」
「計算は合うぞ」
 さざなみのような囁きが幾つも伝播し、冷やかな声がそれを締めた。
「与四郎、報告を」
 鋭い眼光で上座から見下ろす長兄に、背筋を伸ばすも、何を報告するべきなのかわからない。総一郎はそんな弟の様子に溜息をつきながら「おまえが見たくのたまの娘だ」と言った。
「ああ…ええと…六年生で、成績に秀でるため忍たまと共に履修しているようです。保健委員で、薬草を摘みに来ていたところ、負傷した喜三太を保護していました」
「名は」
「なまえ、と」
「姓は?聞かなかったのか?」
「いえ、周囲も名前でしか呼びかけませんでしたから」
 再度、座がざわめいた。
 …みょうじという確証はない…
 …しかし頭領が隠密に動くとなれば…
 …年齢、身体能力、それに薬。符号は合う…
「言ったやん?お前が花型やて」
 傍らの忍び笑いに、与四郎は半ば呆然と問うた。
「なんで皆知ってんだ…俺は確かに婆様の使いに行った、けど」
「そのうしろをくっつく『おつかい』がいたからやろ」
 当然のように佐吉は言い放ち、ついで「もしかして」と首をかしげた。
「気付いとらんかったのか?道中はともかく、最後まで?」
 最後まで。
 その一言でぱちんともやが弾けた。
「巳之助兄ィ…」
「あいつかて仕事で出入りは多いやろ。任務から帰って報告終えた弟と、人気のない夜に、家から離れて偶然出くわす可能性ってなんぼあんねん」
 歯噛みするよりただただ脱力するような思いだった。
 佐吉の言うとおりだ。
 ましてあの晩巳之助自身がおしえたではないか、「簡単に背後を許すな」と。
 途中で気付かれぬよう追い越して、寄合いの帰りではなく報告の帰り。…あるいは今日のような状況だったのだろうが、そして着替えて酒の匂いを少しばかりまとわせて。
 騙されたと憤ることはしない。
 だって忍なんだから。
 でも、だけど、と浮かび上がる無数の感情は、たぶん甘えなのだ。
 巳之助はあの晩選ばせてくれた。自分は違う道を選んだ。それで充分だ。
「佐吉兄の用事もこのことだったのか」
「似たようなネタ掴んださかい、もしアタリだったら大事も大事や。実家の意向は聞いとこ思てな」
「みょうじって何なんだ?」
 なにげなく与四郎が発した言葉に、場が水を打ったように静まり返った。
 さすがに誰も聞いていないとは思ってもいなかったが、予想外の反応に与四郎が驚く。
「今回の話の張本人や。話しといてもええんやないの?」
 まっすぐに向けられた言葉に総一郎は苦虫を噛んだような顔をした。
「ここでするまでもない」
「構わんよ総一郎。折角の機会だ。儂らもみょうじの価値を確認しようじゃないか」
 歳かさの男が頷いたのを機に、誰からともなくその一族の『伝説』は語られた。
「…じゃあ、その誰が確認したんでもねー『不老不死』を、そこらの国中皆血眼で捜してるっつーことか」
 思わず口調も何も忘れて呟いた与四郎に、総一郎の視線がびしびしとつきささったが、もはやそんなことは気にならない。
「俺はそんなことわかんねーけど、じゃあ何か、もしなまえがその『みょうじ』だったら、村の皆で一体どーする気なんだよ。余所の城に売ッ払うのか?それとも皆で生き血をすするのか?」
「与四、ちょお待て」
 裾をひかれても激した感情は静まらない。
「馬っ鹿じゃねえのか、そんなの。大の大人が何人も雁首そろえて、そんなののために…ッ」
「黙れ」
 上座から下りてきた総一郎が容赦なく頬を張った。
 怒りに荒くなった呼吸で与四郎は小柄な長兄をにらみ返す。
 座を組んでいた一人が苦笑交じりに言った。
「言いにくいことを言ってくれる。…しかしまあ、よしんば見つかったとして、私もそこまで非情にはなれんな」
 自分も、自分も、という声がいくつか上がった。別の男が言う。
「しかし交渉材料としては最強じゃろう。風魔も今の勢力をいつまで保てるか…」
「仮に手に入れたとしても、下手を打てばこちらが獲物になるぞ。手は出さん方がいいのでは?」
「危惧すべきはそれがどこか他国のモノとなった時ではありませんか」
 ぴしりと鞭を打つような声音に座は再び静まり返った。
 細身の総一郎が、周囲の面々を圧倒している。
「良いですか皆様、その娘とやらがみょうじであったとして、使い道は我々の考えるところではありません。真か偽か。偽ならばよろしい、しかし真に伝聞に聞くような価値があったとすれば、それを得た国は間違いなく覇者となるでしょう。そうなれば乱世は終わる。争い事がなくなれば、我ら忍の役目も消える」
 思いもよらなかった方向への指摘に、反駁できるものはいなかった。
「不死の法、なるほどそれは素晴らしい。そんなものがあれば、一人で大軍を相手にすることもできますね。しかし現にみょうじの一族は殺されている。…普通の人間のように」
「ではみょうじの話は絵空事というか?」
「いえ、彼らは薬師なのでしょう。我々にも時々、毒を扱っているうちに慣れることがあります。ならばむしろその能力は『不死』ではなく『耐性』なのでは?そして話に言う『血を媒介に能力を与える』というのは、血縁者にその耐性があるということかと思います」
 与四郎も、隣でつまらなさそうにしていた佐吉も、誰も言葉が出なかった。
「勿論推測です。連れてきて実物を見てみなければ判りません」
「…ではどうしろという」
 総一郎に奢った様子はない。普段通り、気づまりなほどの折り目正しさで頷いてみせた。
 寄合は、風魔の里の代表者たちが集う場は、もはやすっかり総一郎の独壇場である。
「うちで娶ります」
「は…ッ何言ってんだ兄貴!」
「同じ話を繰り返させるな。他国に流れれば脅威となるが内に取り込めば強みになる。生き血をすするなんて馬鹿げていると言ったのはお前だろう、与四郎。俺も同意見だが、他に能力を取り入れる方法を考えたまでだ」
「…むかつくけど反論できんわな」
 頷く佐吉が厭そうにこめかみを揉む。
「ここにいる『家』の方々ん中で、即戦力になる番犬の頭数が一番多いのいうたら、間違いなく錫高野(ウチ)やろ。いざというときには家ごと切り離して風魔を守れる」
 十年前までのみょうじ家のように、諸国を流れ、しかし風魔一族という母体を持つ。
 総一郎を筆頭に四人の息子がいる錫高野家は、たしかに現在の風魔ではもっとも若い即戦力が集中する家だった。跡継ぎである総一郎の年齢的にも、嫁取りはごく自然なものである。
 佐吉の呟きに頷いて総一郎は唇をゆがめた。
「龍之介様の母御はみょうじの伝を信じていらっしゃる様子。万病の薬が持ち込まれたら…何としてでも欲しましょうな」
 与四郎はいよいよ上座から目をそらした。


 …血だ、薬だと。
 彼女のことを、なまえのことなど何一つ知らない人間が、まるで物の扱いを決めるかのように。



「では錫高野では速やかにその娘…なまえの動向を探れ。総一郎、指揮はお前に任せたぞ」
「承知いたしました」
「必要とあらば我々も助力は惜しまぬ」
「ありがたく存じます」
「それから…与四郎。しばらく総領に近づくなよ、あの方に気取られてはまずい」
「重々言って聞かせます」
 針金でも通したような長兄の背に、ぶつける言葉を与四郎は知らなかった。







 家に戻ると笑顔の巳之助が出迎えた。その横を、まるで何も見えないかのように無言で総一郎が通り抜ける。
「割合早かったな。与四、裏山いくべ?久しぶりに稽古付けてやっからさ」
「俺は…」
 苛立ちとともに断ろうとした与四郎の背中をぱしんと佐吉が打った。
「ミノは元気やなぁ。遅くならんように帰れよ」
 半ば強引に連れ出され、与四郎は無言で巳之助の背を追った。
 裏山といっても、暗い時間にわざわざ人が入る場所ではない。獣の声が少し遠く聞こえる。昼間ほど目が効かないせいか湿った土の匂いを濃く感じる。
「…話、あんだろ」
「うん」
 立ち止った兄に低い声で促せば、大きな体が一回り縮んだようだった。
「与四に謝んねえと、って思ってさ」
 与四郎は口を引き結ぶ。
 腹の底がぐらりと煮えかえるようだ。
「今日呼ばれたんだから聞いてきたべ。俺が密告(ちく)ったんだ。…すまん」
「話ってそんなもんか?」
 今度は巳之助が沈黙する番だった。
「あん時言ったよな巳之兄。総兄も巳之兄も龍之介側だって。んで俺はそっちにはつけねーって。判ってんだそんな事。だったらなんで今日『俺が呼ばれた』んだよ。おっさんたち皆、俺がそっち側だと思ってんじゃねーか」
 言いながら感情が吹きこぼれそうだ。ぎりぎりと両手を握りしめ、与四郎は無理やりに息を吐く。
 どろどろしたものが闇に混じるようだ。
「忍だもんな。背中許すなって言われたのに油断してた俺があめー。でも巳之兄も、俺のこと何だと思ってんだ。婆様に告げ口して撹乱させようとでも思ってんのか?だったらいちいち謝んな、こんなことぐらいで」
「…、俺は」
 心底困ったような様子で巳之助は立ち尽くしていた。
「風魔のために冷徹になりきれるワケでもねーし、村か出ていく度胸もねぇ。だからせめて自分の身内だけは何が何でも守ろうと思ってたんだけど。…おめーから初恋なんて言葉聞いて、正直びびったよ。大事なんだろ、その娘。なまえだったか」
 大きな溜息の後、頭を振って兄は言う。
「総一郎の言いそうなことはわかってる。まぁロクな扱いはしねーよなぁ」
「何が言いてーんだよ!」
「お前も忍の覚悟きめるんなら、利用できるもんは利用しろ」
 俺みてーにさ、と自嘲するように肩をすくめて巳之助は笑った。
「半端モンにはなんな。好きな女は守るもんだぞ、男なら」
「…こないだ聞きそびれたけど、巳之兄の初恋って」
「奥方様」
 場違いな言葉を聞いた気がして一瞬呼吸を忘れてしまう。
 脈動がやけに強く感じたのは、息苦しさのせいだろうか。
「もちろんずっと昔の話だ。…総領家から縁談が来たって聞いて、出来のよくねー三男坊の嫁になるより、総領家の奥方になったほうがずっと幸せだって俺が勝手に決め付けたんだ。それをそのまんま伝えたら、泣きも笑いもしなかったな。それで終いさ」
 気負った様子もなく巳之助は言う。何度となく反芻したのだろう。十年やそこらの過去ではないように、在りし日の記憶を語る老人のように、穏やかな口調だった。
「俺は俺自身のために、あの方の力になりたい。微力でもな」
「…だからそっち側か」
「しかしさっきも言ったように自分の身内を守りてーってのも本心だ。だから与四、謝らせてくれ。今回のことで俺は目測を誤ったかもしれねぇ。…どっか他の家が名乗りを上げると思ったんだが…」
 うってかわった苦々しい口調に与四郎は眉を寄せる。
「巳之兄?」
「たぶん、帰ればわかる。…すまねぇ与四郎」
 獣の声が、再び聞こえた。







「与四郎、おまえはしばらく忍術学園を張っていろ。可能なら娘を連れてこい」
 夕餉の席で唐突に長兄は言った。
 唐突ではあったがある程度予想していたので、与四郎は淡々と用意していた台詞を口にする。
「俺、まもなく卒業試験だけど」
「山野先生には話してある。成果次第ではこれを考査材料にすると仰っていた」
 まあこちらも予想済みだ。
 苛立ちはもちろんあるが、大丈夫、こらえられる。
「嫁探しを弟におっつけるなんて、えらい甲斐性ある兄貴やなぁ」
「おまえが代わりに御老体の相手をしてくれるなら、いつでも自分で連れてこれるがな」
「…面倒背負いこむ度量だけは認めたるわ」
 めずらしく佐吉が折れた。
 箸をおいた総一郎が何か懐から散りだした。
「持っていけ」
 差し出されたものに与四郎は瞬く。守り袋。それも随分古い。
「母上の形見だ。何があるかわからん、担げる験は担いでおけ」
 また佐吉の皮肉が出そうだと思ったが、誰も何も言わない。受け取ると総一郎が小さな溜息を吐いた。巳之助が硬い表情でこちらを見ている。
「首尾よくみょうじを得れば改革派の発言力を握るのはうちだろう。寄合の席ではああ言ったが…どいつもこいつも本音のわからん古狸だ。こちらで極力動きは抑えておくが、最悪お前に追手がかかる。誰だろうと容赦はするなよ」
「わかった」
 握りしめた守り袋は懐の奥へと仕舞いこむ。
 兄たちはそれぞれ一度だけ与四郎の顔を覗き込み、またそしらぬ様子で己の作業や食事に戻る。
 誰も何も言わないことが逆に冗談ではすまされない状況を理解させた。
 再び箸をつけた膳は砂を食むような味だった。