「…私の顔に何かついてます?」
 先ほどからいやに視線を感じるので問うてみれば、高坂は呆れ顔でなまえの頬をつついた。
「お前、前回の休みはいつだ」
「十日前…だったかな?」
「外出は」
「その時行きましたよ、古書店。オマケに煎り豆を頂いたので、諸泉さんと一緒にお茶しました。あとは部屋で調薬いろいろ試してー、あっあと小頭のとこのお子さんと遊んできたんです。末っ子のキミちゃんがすっごく可愛くて、…えええ?」
 ぐりぐりぐり、と強く押されてなまえは抗議の声を上げる。
 高坂は大きなため息をついた。
「なんだその隠居婆みたいな一日は。お前には着飾って化粧をしようとか小間物屋に行こうとかいう、感性がないのか。それで本当に17か?こんな男所帯にいて誰とも懇ろにならないとかおかしいだろう」
「高坂さんの女性観はよーくわかりましたけど、そんなことあったら私たぶん馘首ですよ。風紀を乱すなって」
 秀麗な眉間に寄せられたしわを眺めながらなまえは殊更にっこりと微笑んだ。
「高坂さんに御心配頂けるなんて光栄ですね。是非そのまま嫁にでももらってください」
「寝言は女に見えるようになってから言うんだな」
「うわっ、まだ言いますか。言っときますけど多少成長してますからね。多少…いや、気持ちばかり…」
 高坂が腕組みしたところで背後から早歩きの足音が聞こえてきた。
「なまえ!丁度いいところにいた」
 にこにこと近づいてきた諸泉の手元からは甘いにおいがする。
「焼き芋!組頭が焼いてたやつですね」
「うん、ちょうど頂いてきたんだ。一緒に食べるだろ」
「はい!」
「高坂さんも」
「甘いものは苦手だ」
 勧められたのを手で押しやって、高坂は茶をすする。
 その横で諸泉となまえが熱い熱いと声を上げながら芋にかぶりつく。のどかな秋の光景である。戦続きとはいえ収穫期に田畑を荒らすような無茶はそうそうできない。自然とこの時期は忍びの仕事も少ないのだった。
 縁側に秋の日がまぶしい。
「…それにしてもなんでいきなり焼き芋なんか始めたんだろう」
 指先を払いながら諸泉がつぶやいた。
 まだ半分ほど食べているなまえが、目線をあわせずに答える。
「昨日私が物置の整理したんですよ。そしたら機密書類が出るわ出るわ。さすがに勝手にいじるわけにもいかないんで、御自分で処分して頂くようにお願いしたんです。そしたら、ただ燃やすのもつまんないからって」
「ずいぶん希少価値の高い焼き芋だな…」
 複雑な顔でなまえの手に持たれた芋を見下ろし、高坂が立ちあがった。
「諸泉、ちょっとつきあえ。においだけで胸焼けしそうだ」
「えー組み手ですか?僕食べたばっかりですよ」
「なら俺は左手なしでやってやる。それでも逃げるか?」
 挑発的な言葉に諸泉の表情が変わった。
「いいんですか、そんな余裕で。後で条件変えないでくださいね」
「構わん。まだまだお前に負けるような腕じゃないからな」
 二人が去ってしまうと縁側にはなまえひとりが残された。
 静かな午後だ。
「私の休日そんなに変かな…」
「可愛い年頃なのに、着飾りもしないから勿体ないんだよ」 
「うわっ」
 突然、なんの前触れもなく至近距離で聞こえた返答に、なまえは思わず手の中の芋を取り落とす。横合いから伸びた手が危なげなくそれを拾って手渡した。
「ほら気をつけて食べなさい」
「あ、ありがとうございます…」
 ばくばくと音を立てて鳴る心臓を抑え、なまえは改めてその人を見上げた。
「組頭、いつからいらしたんですか」 
「尊くんが食べ終わったころかな?話はその前から聞こえていたけど」
 くっくっと喉を鳴らして雑渡はなまえの顔を覗き込んだ。
「陣左の言い方は素直じゃないけどねえ。私も同感だ。たまには娘らしい着物でも着ればいい。それこそ物置に入ってたろう?」
「…ありがたいお言葉ですが、女の子らしい格好っていうのが、慣れないせいか、苦手で」
 女らしい格好どころか町に出るときは男装だ。
 もしもみょうじの「娘」が生きていることが知られていたら?本来の自分である「女性」の姿をさらすことは怖い。
 
「ならせめて家にいる間だけでも化粧してみたら?」

 真顔で雑渡が提案するのになまえは首をかしげる。
 確かに雑渡家は安全な場所だ。忍村の真ん中で組頭の家に侵入して何かしようとする輩はそうそういない。実際一年前から住み始めて以来、安心感はこの上ない。同居にあたって「養女」という立場を手に入れたことも大いに関係あるのだろうけれど、仕事仲間からのちくちくした嫌がらせも激減した。
「…いえ。私は、このままがいいです」
「ほう?」
「高坂さんの言うとおり、女らしくないのは認めます。誰かのために可愛くなりたいとか…そういう根本的なところがないのに、外側だけ繕ったって仕方ないですもん」
「お父さんは娘の晴れ姿がみたいんだけどねえ」
 「父親」の言葉に苦笑してなまえは答える。
「お約束は守ります。…次期組頭が決まったら、その方の好みに沿うように誠心誠意努力しますから」








 …一年前。



 忍組の「城攻め」は紛れもなくタソガレドキの主戦力となっていた。と同時にそれは最上級の機密でもある。黄昏甚兵衛はその方法の詳細を軍内で公表するよう命じたのに対し、あくまで「忍の秘伝」であるとして雑渡が命令をはねのけた。反逆ととらえられても仕方のない事態だったが、いまやタソガレドキの戦果は忍組なくして成り立たない。数多の忍をまとめあげることは雑渡昆奈門にしかできないと、甚兵衛はよく理解していた。
 そのような経緯を踏んで外堀は確保したのだが、問題は当の組内である。
 最上級の機密工程を実行するに当たり、情報を知る者は一人でも削減するのが定石だ。
 一番始めに任務に携わった面々の他は、任務の概要を知らない。これがまずかった。他のことであれば問題はなかったのかもしれないが、なにせ一度の任務で百以上の命を奪うような仕事である。直接的な言葉にこそしないものの、組内にはなまえに対するやっかみと恐怖が蔓延した。
「組頭、少々お話が」
「珍しいね陣内。まだ昼休みだよ」
 日ごろ休養の必要性を口うるさく説いてくる部下に、雑渡は手にしていた竹筒を指差した。決まり悪げな顔をした山本は「すぐ終わらせますので」と呟いた。
「わざわざお耳に入れるのも申し訳ないのですが、組内でどうも、特定個人を狙った嫌がらせが続いております」
「なまえか」
「はい」
 山本の話によれば、なまえが入隊して間もないころから始まっていたのだという。
 最初は道端でひそひそと陰口を叩くような程度で、それを咎めるもののほうが多かった。しかしここ最近に至って、私物を破壊したり根も葉もない悪評が広まったりと、目につく件が増えてきたのだ。
「先日は集団暴行だそうです。高坂が詳細をつかんできました」
 さすがに眉をひそめた雑渡に「本人の抵抗により未遂です」と付け加え、山本は渋面にさらに影を落とした。
「主犯集団が侍組の御子息なので、なまえも表だっては反抗しづらかったのでしょう…情けないことですが、忍組のものも一部関わっています」
 代々の家人である侍組にとって、半士半農の忍組は鼻もちならない存在だった。戦の道具として重宝はするが、所詮道具は道具である。道具ごときがなぜ我々と同じ禄を食むのか…。彼らの胸にはそんな意識が常に横たわっている。
 犯人に意外性はなかった。直接的に関わらない同村の者たちが、話を知ってもかばいだてしなかったというのは、ひどい痛手だが。
「どうも侍組では忍の娘に対して随分と穿った見方をされているようです。聞いて正直私も腸が煮えました」
「ほう?」
「淫売を犯して何が悪い、と」
 ひやりと肌を刺すような気配に山本は息を詰める。目の前の男から発せられる無言の圧力は冷気のようだ。目の当たりにしたらあの主犯の若者たちは恐怖に泣き叫ぶだろう。自分は報告をするだけ、と努めて言い聞かせる。
「忍組(うち)の方は」
「一名、明日にも辞職させるよう整えております。あとは組頭の決裁のみです」
「馘首ねえ…言葉は正しく使わなくちゃあ。それであちらは?」
 くっくっと物騒な笑いをこぼして雑渡は続きを促した。
「全員が現在休養中です。姓名と御家職をまとめました。正直、事を顕したところで傷がつくような方々ではありますまい」
「まぁそうだろう。第一なまえの承諾も得ずに我々が勝手に広められるような話でもないさ」
「ええ…」
 眉間の皺を抑えて山本は少しうつむいた。
「当事者に対して身勝手な物言いではありますが、私はなまえがもう少し反抗してくれたら、と思うのです。あの子は我慢強すぎる。助けが必要なそぶりを見せてもらわなければ、こちらも手が出せないというのに」
「陣内が言うんだから本物だね」
「まったくあの忍耐力があればどなたかと四六時中一緒にいても耐えられるでしょうな」
 ひきつった笑顔で見返せば、雑渡は何か考え込んでいる風だった。
「いかがなさいました」
「いや。…そうだな、どのみち異端視されているんだ、今更ひとつやふたつオマケしても変わらないだろう」
 手招かれた山本は吹き込まれた内容に目をむいたが、代案があるわけでもないのが現実である。渋々ながら肯定の意を示し、なまえを連れてくることを請け負った。






  
 翌日、忍組では文字通り蜂の巣をつついたような騒ぎが起こった。
 ひとつには、次期小頭と目されていた男が任務の最中何者かに殺されたこと。
 もうひとつは、独り身を通してきた組頭の家にとうとう女が入ることが決まったこと。それも妻ではなく、養女として、なまえが迎えられたのだ。
 村内どころか組内でも「贔屓だ」「どんな手管を使ったのやら」と陰口がそこかしこでささやかれたが、さすがに頭の娘に直接噛みつくほど浅慮な者はいなかった。結果として風当たりは弱まった形である。
 娘とするにあたって雑渡が出した条件がひとつだけあった。
 いずれ組頭が代替わりする際、その男を婿として雑渡家に迎え入れること。
 なまえはそれを受け入れた。
「それが組頭のお役にたつのなら、喜んで添い遂げます。御恩はけして忘れません」
 約束を知る者は当人だけだ。
 ともあれ即席の父娘は、家族と呼ぶには少々よそよそしく、雇用関係というにはおだやかな関係を保っている。 






「あ、そろそろ登城のお時間ではありませんか?準備を…」
 縁台から伸びる影の長さになまえが慌てて問うと、隣りからは「今日は大丈夫」との答えが返ってきた。
「殿個人からのお呼ばれだから。部屋に直接御邪魔してくるよ」 
「…私、密談の情報をお聞きしていますよね、今」
「はは。日時なんてうっかり漏洩しちゃっても始末書書く程度だから安心しなさい。ちなみにここから先は首が飛ぶ話。内容はおそらく、例の研究の進捗だ」
 ひそやかな声量で告げられた内容に、なまえは顔を曇らせた。
「『あれ』はまだ実用ではありません」
「失敗であっても実際に目にしなければ、殿は納得するまいよ。処方や理論を知るだけで皆が実感を得られる訳じゃない」
「ええ、それは理解しております」
 雑渡を通して命じられていたのは、例の『城攻め』の効率化である。現実問題としてなまえに一任されていた策を他の忍にも行わせ、これまでの倍の回数をこなせるようにすること。考えうる手段としては、薬種を時限式で混ぜ合わせるからくりを作ることだ。
 現状ではどうしても調合する本人が被毒してしまう。からくりが上手くできれば被毒する前にその場を離れることができる。
 とはいえ容器になるものの材質や強度、運搬中の事故の可能性や調合中の加熱に監視が必要であることなど、課題問題は山のようだ。他に相談協力できる相手がいればなんとかできるかもしれないが、たった一人で秘密裏に行うのでは、なかなか思うような成果は上がらなかった。
 結果を求める声は当然であり、自分には答える義務がある。しかし素直に頷くことができずに、なまえは言葉を探した。
「…今までどおりではいけないのでしょうか。御下命頂いたのですから研究は致します。しかしなぜこんなに急ぐのです?従来通りでも充分、殿が望んだだけの威力はあったはずです」
「あの方はね、怖がっているのさ」
「怖い?」
「己に為せないことを為すものが怖い。いくら配下としていても、離反されればひとたまりもないだろう。今まで敵を葬ってきたのと同じ手法でいつ自分が殺されるのかわからない、だから早くすべてを手に入れて終わらせてしまいたいのさ」
「…その理論では、忍組のみならず、侍組も危険分子ですよね。殿より腕の立つ方ならいくらでもいらっしゃるでしょうに」
「それでも剣技はまだ目に見える。我々は術のからくりを公表するわけではないから。殿からしてみれば、おそろしく大がかりな魔法を観ているようなものなんだろうよ」
 いつになく投げやりなものを感じてなまえは傍らに座る雑渡を見上げた。
 包帯におおわれた様子は普段と変わらないのに、妙な不安を抱かせる。戦の季節でもないというのに。
 大きな手のひらが頭をなでる。
「面倒だろうがもう少しつきあっておくれ。どうしても殿が望まれるなら、せめて人柱は御城側から出してくれと、話してくるから」
「組頭…」
「あの方は少々夢を見すぎたようだ。世に万能は無い事を、そろそろ理解していただかなければね」
 憂うのか笑うのか曖昧な口調で呟くと雑渡はゆらりと立ち上がる。
 夕飯は先に食べておくんだよ、と手を振る父親の背中に、なまえは無言で頭を下げた。