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 夜半。


「組頭はこちらでお待ちください。絶対ですよ!」
「はいはい。陣内、そんなに口うるさくしてるとハゲるよ?」
「誰が言わせてるんですか。くれぐれも『楽しそうだし行ってみよっかな』なんてやらないでくださいね!?」
 小言を横で聞いていた高坂、諸泉、なまえの三名はそれぞれなんとなく目をそらした。頭巾のせいで見えない頭頂部だが、これでは本当にいずれ寂しくなってしまうのかもしれない。ごほんとひとつ咳払いをして山本は後進たちを睨む。
「よけいな心配はしないでよろしい。各自配置は覚えたな」
「小頭が資材の運び入れ、我々が配置、半刻の後に南側から順になまえが仕掛けですね」
 打てば響くような諸泉の答えに雑渡がわずか目を伏せた。
「わずか五人で城を落とすのに、所要時間は二刻か。前代未聞だな」
「組頭」
 咎める響きの山本は、何度も繰り返した言葉を再度噛んで含める。
「組頭の御身体では、被毒の可能性が高いのです。万が一空気にふれてはなりません」
「わかってるよ。見逃すのが惜しい演目だが、私はこちらで遠目の見物と行こう。…尊くん、途中まで陣内を手伝って。中に入ったら口実をつけて別れて」
「承知しました」
「陣左となまえは少しあとから行くといい。仕損じたとき、全員顔を見られるのはまずい」
「はい」
「ではこれにて」
 二手に分かれて動き出した部下たちを、雑渡は小さなため息とともに見送った。





 おそらく青ざめた顔で歩いているのであろう娘に、高坂はごく簡潔に問うた。
「怖いか」
「いいえ」
 答えもまた短く、聞くまでもないものだった。
 寒さには早い季節だったが、なまえは襟元をしっかりとにぎりしめる。夜目に見て取った仕草に高坂は苦笑した。恐怖も緊張も、一度肯定してしまえば自分自身を偽れない。初仕事の直前には少々酷な会話だったかもしれない。
「刻限まで戻らねば、捨て置かれるんですよね」
「そうだ」
 仕損じたら。
 仲間ではあっても一を助けるために他が犠牲になることはしない。それが忍と言うものだ。まして初仕事の新人は一番の捨て駒。厳しいことだが要となる以上危険性もいや増して高い。
「わかりました」
 きっぱりと頷いてなまえは懐をなでた。
「…あとはなるようになるでしょう」
 こわばった笑顔。流れに身をゆだねるというのは存外恐ろしい。こういうとき、女は強かだなと高坂は思った。
 なまえが胸に抱えた小さな容器。その中にもまた、強毒が入っている。







 タソガレドキの侵攻を噂され、夜も更けたというのに城内は多くの人が寄せ集められていた。重臣らしく身ごなしの良い男たちが多い。兵糧を運び入れるという名目で侵入した四名はそれぞれに衆目をかいくぐり、既に運入作業を終えていた。
 天井裏にぴたりと張り付いてなまえは細く細く息を吐いた。
 …怖いか。
 高坂の言葉が脳裏に木霊する。
 否定できない。
 でも、肯定してしまったら何もできない。
 何もなさねば自分の居場所がなくなる。役立たずより裏切り者としての烙印を押され、タソガレドキに戻ることはおろか、どこにも行けなくなるだろう。勤めはそういうものだ。
 …このたくさんの人々を殺めること。
 目の前にはそろえられた薬種。背負った小さな行李をそうっと下ろし、なまえは道具のひとつひとつを指先で確かめた。使いこんだ乳鉢、火道具。あの頃していたのは人を救うための研究だったはずなのに、今自分が為そうとしていることはまぎれもない殺戮だ。
(どのみち戦になれば皆殺される。…せめて苦しまないように、私が)
 懐火から炉に火種を移す。ほどなくして煙と、目には見えない死の毒が天井裏に充満し、仮眠をとる者たちが集まる部屋の中へゆっくりと沈んでいった。声を立てる者はいなかった。やがて呼吸音も衣擦れも聞こえなくなるころには、なまえの姿は別の場所へと移されていた。








 雑渡は足元の影に視線を転じた。今まさに城が落とされているはずだった。
「戻りました」
 背後からの声に頷く。わざわざ労うのもためらうくらい、危険の少ない仕事だ。部下二人を従えた山本は半歩後ろから城を眺める。
「黒子が消えて、役者は今が見せ場だろうねえ」
 軽口をいいながら雑渡は一抹の不安を覚える。
 賭けるものが大きい時に限って一歩先には大きな穴が待ちかまえている。当たるも外すも、外野に許されるのはただただ眺めるだけだ。それなら余計な心配は不吉というもの。
「初舞台だがうまく演じてもらわなければ」
 包帯に表情を隠したまま、笑う。
 帰る刻限まではもうわずかだ。






 複数箇所での調合を終えたなまえは肩で息を切らしていた。よろめき調度にぶつかって音を立てても侵入者を咎める声はない。重いほどの静寂が城を支配していた。
(わたしがやった)
 不安に駆られてそろりと覗き見た階下では、廊下に幾人かが座り込んでいた。眠っているようだった。少なくとも苦しんだり暴れたような形跡はない。それからどれだけの時間が経過しただろう。感覚が正しければもうすぐ刻限だ。早く外に抜けて、集合場所まで戻らなければ。
(そう、戻らなくちゃ…)
 言うことを聞かない体がもどかしい。呼吸が上がって胸が燃えるようだ。萎えた足をいくら動かしてもまるで進んだ気がしない。被毒。原料となる薬種への耐性は充分だったはずだが、大量に吸い込んだ初見の毒に、たぶん体が追いついていない。こんな経験は今までなかった。
 もしかしたらこのまま死ぬだろうか。
 下で動かない彼らのように。
(わたしが、やった…)
 意識がずっと同じところを回っている。これではだめだ、違うことを考えよう。出口はどこだ、もうすぐ、もうすぐで…
(戻らなければ)
 這いずって伸ばした手が空をつかむ。
 持ち上げようとした首が脱力した。





(そとに、)