次代組頭選任は山本陣内に決定権を与うるものとする。速やかに任命がなされない場合、山本陣内を組頭代理とし、候補の育成に務めよ。



 さらに同封されている、畳み込まれた紙を開くと、まったく異なる筆跡が綴られていた。いつぞや目にした黄昏甚兵衛の勅書を思い出す。
 重臣達の名前と所領地の分配が記され、さらに大姫の夫を後継とする旨と後見人に芳姫の兄があげられている。その長々と綴られた末尾にいかにも素っ気なく書かれていた。
「…我が影雑渡昆奈門、死して後も鬼門に守護として留め置くべし」
 一文を読み上げてなまえは一同の顔を見回した。おおむね豆鉄砲をくらったような表情をしている。
 先だって城跡から引き上げられた骸は雑渡昆奈門のものとされたが、それが黄昏甚兵衛のものであるとなまえや留三郎の他、ここに集うものたちが知っている。とはいえ城側に何か意見できるわけでもなく、かつて村の墓所であった場所の一角に埋めた。甚兵衛に対する心情と言えば余計な災禍を振り撒いてくれたという一言につきるが、このありさまは必要外に死者を貶めるようで、快裁とは思えなかった。鬼門といえどきちんと祭礼をつくし祀れるなら、それに越したことはない。
「名ばかりとはいえ、神か仏になるとは。…まあ他人の机から箪笥から、仕事とあらば躊躇なく暴く人だからな。悪行を見逃さない、そりゃあ立派な守護神になるだろうよ」
「小頭」
 面白がる口調で言う山本を渋面の高坂がたしなめる。どこかで見たような光景だ。
「まったく。…忍組は神職に鞍替えですか?」
「就くなら一人で充分だろう。なまえ」
 山本に呼ばれようやくなまえは我に返った。
「勅命が出たらお前を推すが、依存はないな」 
「申し訳ありませんが辞退いたします」
 即座に答えてなまえは、手にしていた紙束を床上に置いた。
「お気持ちはありがたいです。私が今ここにあることは、山本様にも…父にも、皆様に対して本当に、返しきれない御恩と思っています。しかし、」
 口にする言葉は決まっていたし、ためらったとかろで今さら覆る事でもないのだが、やはり何度繰り返しても喉に詰まる話だ。
「…しかし、私が『あの方』を殺めたのは事実です。芳姫様も見ておられました。咎人が就くわけには参りません」
「御台様なら何も仰らないと思うが」
「いいえ。十年先はいざ知らず、百年先にも謗られる事のない人でなくては」
 なまえはずっと沈黙したままの緒泉の方を見た。
「雑渡昆奈門が神仏になるなら、先代の緒泉様もこれからの代々の組頭も共に祀られるべきでしょう」
「功績が違うよ」
 苦笑して緒泉が言ったが、意外にも高坂がそれをとどめた。
「今の忍組の形を作ったのは先代様だろう。お前が祭司になるなら俺は賛成するぞ」
「え?」
「技術はあっても、お前じゃ情を捨てきれない。…違いますかね」
「否定はしないな」
 高坂と山本、それぞれから思わぬ形で下された評定に緒泉はしばらく俯いていたが、続けてください、と呟いた。
「僕自身、その評価には納得できます。でもそれとお役目はまた別でしょう?」
「…私は他のお仕事に関係なく『城と忍組の間に立てる方』として緒泉さんを推します。家柄、人柄、交渉力、すべてを考えた上で、忍組から選出するのに一番良い方だと思うのですが、皆様いかがでしょうか」
 なまえが言って、皆一様に頷いた。
 一息ついたような座の中で、それまで影のようだった伊作が遠慮がちに手をあげた。
「話がまとまったところで申し訳ないんですが、今回の件で僕はなんで呼ばれたんですかね。用がないなら早く帰りたいんですが」
「そう急くな、これからじっくり絞ってやるから」
 ふんと鼻で笑って高坂が向き直った。
「風魔はその後どんな具合だ」
「随分直接的ですね。僕がそれを知るとでも?」
「お前の動向は押さえている。…無駄な時間を過ごしたくないんだろう?」
「相変わらずですよ。総領家でもめて、一族巻き込んで。下手に手だしすると余計な怪我しそうですから、静観するのが一番です」
 あまりにも簡単に繋がりを認めた一方で牽制し、伊作はのんびりと茶をすすった。  
「聞きたいことはそれだけですか」
「…留三郎、仲間はどうした」
「俺は手を切ってしまったもので」
 どの仲間とも特定せずに高坂は聞き、まったく答えを乗せずに留三郎は返事を口にする。無意味なやりとりに口を挟むものはなく、当然のように山本がいった。
「ということだがなまえ、どうするんだ」
「…こちらに留まらない事は決めていましたが…」
 こんなにもあからさまな予想を含めて問われると、詳細を詰めていなかった後ろめたさで歯切れが悪くなる。
「雑渡組頭からお前に遺されたものだから、こうして立ち会ってもらったわけだが、お前の人生に我々は口出ししない。それこそ親でもないのだからな。ただ、どうするにしても、ここにお前の父がいたことは忘れないでくれ」
 穏やかな口調に在りし日の父が重なって、なまえは膝上の両手を握りしめた。
 忘れるわけが、ない。
「はい」
 思えば数年前の夜にもこんな後ろめたさを抱えながら学園長と話をした。飛び出してここにきて、後悔もしたが幸せだった。すべて父がくれた。
 目に見える形で渡してくれるものを拒む非礼はわかっていたが、これ以上なにもなくても十分に満たされている。あとはただ、これ以上の災いとならないことが、たぶん自分にできる最大の恩返しだ。
「…研究資料はすべて焼失しています。もうタソガレドキがあの手法で戦を行うことはありませんが、もしも他国に同じ事がおこれば、必ずこの手で潰す所存です」




 からくり箱と最後の封書の他、自分に宛てられた手紙をもらっても良いか、というなまえの問いに、山本は当然のごとく頷いた。会合が終わってすぐにタソガレドキの面々はそれぞれの仕事へと戻っていった。留三郎と伊作へのゆっくりしていくといい、と言う台詞が建前であることは誰しもわかりきっていたが、ふたりとも何食わぬ顔でそれぞれに散策を始めた。
「…体の具合はどう?」
 変装した伊作がいく場所はわかりきっていたのでなまえは留三郎の方についてきたが、絞り出した会話はなかなかぎこちない。
 留三郎も以前ほど気安くはない、しかし穏やかな様子で笑顔を返した。
「何ともない。怪我しにくくなってありがたいよ」
「そう…」
「お前はいいのか、本当に」
「何が?」
 問い返すと、留三郎は相変わらず穏やかな顔で立ち止まった。
「残ればいいのに。…雑渡組頭も山本さんもお膳立てしてくれてるんだ、わざわざ一人で出ていかなくてもいいんじゃないのか」
「そうね」
 頷いてなまえは来た道を振り返った。風に髪がなびく中で懐に手をあてる。
「…わたしはそうやって色んな人に生かしていただいて、たくさんたくさん、返しきれないほど、御恩があるの。もちろん山本様や父上…雑渡組頭にもそうだけれど、学園長先生や、死んだ祖父や、他の人々のおかげでもある。これを読んでよくわかったわ」
「なら」
「この国の外にも弔わなければならない人がいるの。わたしが生まれてから学園に行くまでを育ててくれた…もうひとりの、父様。兄も姉も殺されて、母も祖父も死んで、わたしだけ生きて、」
 口にしかけた言葉を飲み込んで、留三郎もまたなまえと同じように焼け跡に視線を移した。
 随分多くの犠牲が出た村。新しい建物がつくられても焦げた地面は隠れない。死者は甦らず、縁者の生きる限りかなしみは続くだろう。
「ずっと逃げることばかり考えて、ひとりだけ幸せになって、思い出しもしなかった。15年もずっと…」
 だから、いかなくちゃ。
 決意は声に出さず、なまえは留三郎の顔を見上げた。
「伊作は風魔に落ち着くみたいだけど、あなたも一緒に行くの?」
「俺はあいつらほどの義理も興味もねえよ。落ち着けば寄るかもしれないし、また手を貸せって言われりゃ考えるけどな。しばらく牢人暮らしに戻るつもりだ」
「留三郎なら、仕官するつもりがなくても、御家の方から声がかかりそうね」
「せいぜい海賊や山賊が関の山じゃないか?」
「それとも貿易船の用心棒でもやって、海の向こうまで行ったりして」
「はは、悪くないな」
 久々の軽口は、まるで時間を巻き戻したような錯覚さえさせた。けれども見合わせた顔はもうすっかり大人のそれで、あたりに散らばる瓦礫は積み重ね崩れてしまった歳月そのものだった。
「…ここには定期的に戻るつもりだから…もし何か体の異常があったら、これを御廟所の近くに結んで待っていて」
 渡そうとした薄藍色の手拭いは、しかしすぐに押し止められた。大きい手が、手拭いのかわりになまえの腕をつかむ。
「いらない。お前と一緒に行くから」
「悪いけど、」
「さすがに三度目ともなると図太いんだよ、俺」
 何、と聞き返す間もなかった。
 急に高くなった視界と空を蹴った足元に驚き、なまえは反射的に留三郎の首にしがみつく。軽々となまえを抱えあげて留三郎は楽しそうに笑った。
「お前の『ごめん』は聞かないからな!」
「ちょ、降ろしてっ」
「嫌だ。もう逃がさねえ」
 冗談めいた口調に間違いようのない本気を感じて、なまえは小さく息を飲む。
「俺ももう隠し事は何もない。本当に十割、俺は俺だけの都合で生きてくから」
「…いいの?わたし物凄く厄介な女よ?」
 声が震えた。
 何度も繰り返しほどいた手を、何度も伸べられて、それだけの価値が自分にあるのか。この自問ももう何度目だろう。
 拒む理由はあっても選択は自由だ。
 どうしたって誰かを傷つけるかもしれない。危険かもしれない。だけどそれなら枷は無いのだ。どこにだって行ける。
「ああ、望む所だ」
 少年のような瞳と笑顔で、大人の留三郎が言った。 


 いきなさい。
 できるだけ、しあわせに。



 償うことと幸せを望まないことは別だと父の言葉が教えてくれた。幸せになるために、幸せにするために、このひとと歩きたい。かつて母が選ばなかった道を、父が悔い続けた道を、二人で。
 
「一緒に生きよう、なまえ!」


 青い春の空の下、なまえはようやく頷いた。







花冠  了