国葬はごく静かなものだった。
 実際、荒廃といっても忍村と城だけのものだった。しかし象徴を失ったことで確実に国全体が疲弊していた。この機に乗じて攻めいる他国を警戒し、忍組の舵は山本が握り、また実働の主権は高坂に委ねている。組全体でもタソガレドキという国への不信感は払拭しきれないが、時間の経過によりいずれ緩和されるはずだ。
 奥方に看取られた男は、その後典医の調べにより黄昏甚兵衛と断定された。調べといっても歯形と体格、めぼしい傷跡の位置程度のものだが、奥方の発言が重んじられたという。
 近頃ふくらみはじめた腹をさすりながら、奥方はなまえの蟄居を惜しんでいるそうだ。女の体は女医者に診てほしいという要望に答えるべく、善法寺伊作が設立した学問所では、男のみならず女も医療について学んでいる。城主の遺児が産まれ、奥方が剃髪する頃には、彼らも医師として成長することだろう。
 
 
「まったく、善法寺殿の事は残念でした」
 典医頭が言うのに頷いて、山本は庭に目を転じた。春の花が目に眩しい。目前の医師曰く、そのどれもに薬効があるのだという。
「医術書や研究書…命より価値のあるものは無いと、言い聞かせたのですがなぁ」
 資料を運び出そうとして火災に巻き込まれた前途ある青年を、心底から惜しむ口調だった。
 返答はせずに、行く方を知る山本は茶に口をつけた。伊作が調合したものより数段おいしいはずの薬草茶。結局、彼の発明する「兵器」は味わうことがなかった。
「…さて、そろそろ本題に入りますかな。本来ならば御家老からお召しがあるべき所、この老体がお呼び立てして相済みませぬ。何ぶん、あの変事の始末に追われておりますゆえ」
「どうぞお顔をあげてください。私は忍組を一時的に預かったにすぎません。本来語るべき者が揃わぬというのはこちらも同じでございます」
 老人の心底安堵したような様子に、山本の心がわずかに痛んだ。今回の一連にまったく関わりがなかったのに、強引に引きずり出されたのだろう。誰も彼もが関わりたくないと思った結果だ。
「御遺言に関わる事でしょうか」
 先んじて言えば典医頭が大きく頷いた。
「左様。雑渡殿に預けた、とか。お心当たりはありますかな」
 茶椀の底を覗きながら山本は少し考えた。心当たり。このいかにも政に不向きな、表情に現れすぎる老人を、手ぶらでかえすのも悪い気がした。
「…ひとつ」
 典医頭の顔が輝いた。
「いわくありげな箱がありまして」
「ほう」
「開かぬのです」
「ほ……な、なんと!?」
 気まずい沈黙の間を春風が吹き抜ける。
 外で、鳥が鳴いた。



「それは気まずいですね」
「知らぬ存ぜぬで通すのも申し訳なくてな」
「これから開けるのだと仰れば良かったのに」
 苦笑する娘はもう部下ではなくなった。親を亡くし、正式に忍組から抜けた過日以来、どこか精巧な人形を連想させる。何がおかしいとも指摘できない、あいまいな程度だ。
「同席されても困るだろう。何が入っているかわからんのに」
「そうですね」
 やはりどこか現実感を欠いた様子でなまえは言った。それでも今日はまだいくらか生気を感じる。来客のおかげか。
 山本は井戸の縁に手をかけ、縄を伝い降りる。体が痛むが支障はない。
 焼き尽くされた忍村だったが、幸いにも地下の隠し通路は崩落しなかった。あの日動ける者たちが走った道とはまた別に、隠されていた場所がある。山本は一人手燭を持って進む。なまえも諸泉も知らない道の奥である。
 火災の熱気は地下をも灼熱地獄にしたが、目的の物は損なわれていないようだ。両手で抱える大きさの箱を手に取り、肩を撫で下ろした。
「…まったく、お前は」
 友であり部下であり上司であった男に呟く。返事の代わりに、カタカタと箱の中から音がした。


 釣瓶に箱を入れ引き上げる。登りきった地上ではなまえの横で高坂が待ち受けていた。相変わらず涼しげな顔だが、この二月で少々やつれた。
「すまないな、戻ったばかりなのに」
「いえ。これに勝る責務も無いでしょう」
「山本様、」
 なまえが差し出した手拭いで顔と手を拭き、山本はあたりを見回した。
「他はどうした」
「それが…」
 言いにくそうになまえが療養所の小屋を指差す。
「新しい薬を持ってきたからと、さっき入っていって。手伝いに駆り出されました」
 主語を省いた説明で状況を把握し、山本は遠慮のない溜息をついた。
「私が呼んでこよう。お前では引きずり込まれそうだ」
「でしたら私が参りましょう」
 高坂の申し出をありがたく受け入れて、なまえと山本はようやく瓦礫を片付けた道を歩く。山本は話題を探すこともしない。いくら周りが言葉をつくしても伝わらないものがあると、積み重ねた歳月が教えていた。
 母親の名前が去った日にも、雑渡とこうして無言で歩いた。遠い記憶を懐かしみ、そしてもう二度と歩くことのない人を思う。
「山本様」
「ん?」
「私を責めないのですか」
 突然何を言い出すんだと答えようとして、言葉を飲み込んだ。あまりにも真剣で、はぐらかすのはためらわれた。
「…それの中身がなんだかわかるか」
「中身、ですか」
 なまえが抱いた箱を指差すと、彼女は怪訝そうに眉を寄せた。それはそうだろう、これから開けるものの中身など知りようもない。
「雑渡昆奈門の骨だ」
「どういう…」
 問う声に人差し指を立て、山本は少し笑った。後悔が滲むのは隠しきれないとわかっていた。あの典医頭を揶揄できまい。構わずに続けた。 
「私はそれを知っていたから、止めずに行かせたんだ。組も、村も、国も、我々すべてがひとりの男の背におぶさってきた…。今回の件は、長いこと枷を嵌めてきた代償だ。お前が責められることじゃない。あれが、望んだ形なのだから」
 …そう、背負わせ続けたのは自分達だ。
 握っていたかった手を次々とほどかせたのだから、もう一度まみえたら、こうしてすべて捨てて掴みにいくことはわかっていた。
「わかっていたんだ」
 それでもここに彼がいれば、この娘は今より幸せだったろう。



 思ったよりも大きな箱だ、というのがなまえの正直な感想だった。山本の言うように骨を納めるには少し小さいかもしれないけれど、遺言状ひとつには仰々しい。
 山本、高坂、緒泉、留三郎、伊作、なまえ。六名が頭を突き合わせる。
「さて。なまえ、鍵の心当たりは?」
「はい」
 黒く塗られた表面には細かな細工がほどこされていて、よくみればそれは父から渡された櫛と似かよった意匠だ。こうして改めて眺めればなかなか美しい工芸品である。
 側面上方に無数の小さな穴が連なっている。
 緊張を押さえて、手にした櫛の歯を押し込むと、カツンと小さな手応えがあった。
「開くか」
「ええ。…あ」
 蓋をあげて沈黙する。内蓋だ。
「まさかこれも鍵つきか?」
 嫌そうに言ったのは高坂で、山本はちらりと視線をよこしただけだ。二つを受けてなまえは、留三郎を振りかえる。
「持ってます」
 留三郎が取り出した櫛になまえ以外は驚いたようだが、特に言及はしない。内蓋を少し眺めて、留三郎は櫛を垂直に、錠前のように差し込んだ。奥まで入れて捻る。からん、と乾いた音がした。
「開きました」
 内蓋を持ち上げると中にはいくつかの畳まれた紙があった。多少茶色くなっているが、経年によるものが大半だろう。
「なまえ、先に読みなさい」
「しかし」
「組頭のものではない。おまえの父親のものだ」
 促され、一番古そうなものを手に取ると、かさかさと乾ききった感触があった。なんとなく包帯を思わせる色味を開き、なまえは大きく目を見開いた。