忍村から離れること一里半。国境にほど近い山奥に、焼け出された人々は身を隠していた。
 口数の少なさは明らかに異常だった。治療を施すのが忌まれるなまえであることも、もう気にする者はいなかった。皆が皆疲弊し尽くして泣くこともない。時折思い出したようにむずがる赤子を、虚ろな顔の母親があやす。
 負傷者の数は多かったが致命的な重症者はいなかった。
(…動けない人はあそこに残ったから…)
 暗澹とした気持ちで、負傷者を集めた洞穴を覗く。無言で向けられるいくつもの視線に唇を噛んで、なまえは深々と頭をさげた。
 あの時。
 もう少し風の吹き方が違っていれば、毒の類を使って敵を減らせたかもしれない。あるいは薬に頼らずとも村に入って敵と切り結ぶことができたかもしれない。
 結局あまりの豪炎に、何もできずになまえと諸泉は村が焼かれる様を呆然と見つめていた。
(…組頭は…)
 なぜ拘束を受け入れたのだろう、と思った。
 侍組が軍勢で来ていても、抗戦することは不可能ではなかったはずだ。敵を村内に足止めしていれば火の回りもいくらか遅れたかもしれない。
(…逃げろだなんて)
 養子といえども雑渡家に入った身だ。
 組頭の家の者が村人を捨てて単身逃げるなど到底許されない。それに次期組頭との婚姻を目的に迎えられたのなら、使い所はまさにこれからだ。
「なまえ」
 呼ばれて振り返ると、煤けた顔の男が立っていた。思わず叫ぶ。
「高坂さん!ご無事で…」
 その声を聞き付けて幾人かの者が駆け寄って来る。皆、避難所への誘導のため残っていた忍組の者達だ。
「他の方は」
「あとから来る。目立たないよう分散してきたから…逃げてきたのはこれで全員か」
「組の中にも負傷した方と煙を吸い込んだ方がいます。動くことはできますが、万全とは言いがたい様子です」
 なまえの報告に高坂は面々を見渡し、不機嫌そうな表情をいっそう険しくさせた。
「ひどい戦力不足だな」
「あいつ、食満はどうしたんですか」
 一人から上がった声に、そうだそうだと同調する声があがる。ここにいる者の中には同時期に入隊したものも多い。知らず息を呑んだなまえを一瞥して高坂は、何食わぬ顔で答える。
「先に潜入に向かったんだが、聞いてないのか」
「城内にいるんですか!」
「組頭や小頭を取られたままで傍観もしていられんだろう」
 当然だといわんばかりに言い放った高坂に座がどよめく。消えかけた士気が、一気に上がった。
「なまえは残れ」
「…戦力不足と言ったんじゃありませんか」
 不信そうな周囲に構わず、なまえは高坂を見上げた。
「私も参ります」
「戦力でなければ足手まといだ」
 城勤めで戦闘経験がない、というのが、表向きの立場だ。同意の視線をいくつも受けてなまえは渋面になる。
「今更隠し事をする余裕もないでしょう。そんなに不安でしたら、こちらのどなたでも眠らせてみせますが」
 高坂は長々と嘆息した。
「…伝言は聞いたんだろう」
「それでも、私は雑渡家の者と心得ます」
 嫌そうな表情は相変わらずだったが、高坂が小さく頷いた。何人かが不満げな眼差しをむけるが気にせず指示をだす。
「わかった。ついてこい。お前と…あとお前ら三人、ここで待機しろ。」
「そんな、なまえが行くなら俺たちも…!」
「組頭直々の指導をほぼ毎晩受けている奴と渡りあえるなら考えてもいいが。…消耗した体じゃ無理だろう。ここで後続の奴らにも伝達してくれ。非常事態だからこそ命は惜しめ、ここには守りが必要だと」
 労る口調で肩をたたくと、青年達は口惜しそうに引き下がった。
「入口はむこうで指示する。中に入ったら各自探せるだけの場所を探せ。ただし必ず半刻で引き上げろ。城の後ろにどこぞの忍がついている。接触の可能性もあることを忘れるなよ。危なければ退け。死なない事が大前提だ」
「高坂さん。その件ですが」
 挙手してなまえは口を開く。
「風魔の仕業である可能性が高いです。符丁になるかもしれませんから、これから言う文言を念のため覚えてください。…風の空中において一切障碍無きがごとし、三毒を滅し三界を出て網魔を破する、これすなわち風魔なり」
「風魔なら屋外戦に長けていると聞く、…いいか、城外に出ても気を抜くな。風向きに気を配れ」
 全員がうなずいたのを潮に城のほうへ向かい出す。散開していく忍達を、村人達は黙って見送っていた。



「内乱?随分唐突だな。それで伊作も来たのか」
 秀麗な眉を寄せて仙蔵は言い、文次郎は半眼を留三郎に向けた。
「貴様女連れじゃいのか」
「どう見ても一人だろ。顔についてんのは節穴かよクソ文次」
 額がぶつかりそうな距離で睨み合う二人を余所に、仙蔵と伊作は図面を覗き込む。
「ここに部隊がおかれて、城はこっち。山狩りにいくらか割かれてるだろうけど、すでに組頭が拘束されてるからね。そこまで本腰はいれないはず…今ごろは本隊と合流して城に戻ってるだろう」
「後ろに控えてる奴らは動きそうにないか」
「僕にはなんとも。道中目だった動きはなかったけど、あの札売りが無関係とは思えないし」
 ふむ、と唸って仙蔵が頭をかいた。
「…怪しいな」
「とはいえ今後、これ以上の混乱がタソガレソキに起こるかといえば…。内乱を焚き付けたのが誰であれ、狙いが単純に旧忍組の排斥だったなら、もう目的は達成されたとみていいだろ。あとは残党を締め出して守りを固める段になる」
「潜入するなら今しかない、か」
「なら早く行こうぜ」
 じゃれあっていた留三郎がいつのまにか伊作のそばにいて口をはさんだ。
「悩んでるより動いた方が早いだろ」
「留三郎…」
 仙蔵が眉間を抑えながら呟く。
「お前なんだか小平太に似てきたぞ」
 まあいいがと仙蔵が三名の顔を見渡す。
「行けるか、皆」 
 答えなど口にするまでもなかった。






 …村に放たれた炎が勢いをいくらか弱めたころ。
 拘束され地下の座敷牢に放り込まれた雑渡昆奈門はうっすらと目を開いた。技術があれば縄は抜けられる。牢番は何か慌てた様子で呼ばれていった。上階は騒がしい。好機だ。
 だが、雑渡には脱出する理由がない。
 もっと正しく言えば、脱出した場合の利より損のほうが大きい。
(焼き打ちだけならともかく、残党狩までされてはかなわない)
 …村に火をかけられたのは正直なところ予想外だった。なにせ火薬の保管場所は忍組の監視下にあったのだ。内通であってもよほどの手練の仕業である。くわえてあの燃え方。
(敵ながら、風魔もやる)
 急な襲撃だったがおそらくギリギリまで天候を読んだのだろう。風向き、湿度、周囲の植物。燃えやすい状況と風の具合がすべてうまく組合わさらなければ、あんなに早く火が回るものではなかった。使用された火薬もごく少量。被害を受けたのが身内でなければ見事と感嘆したくなる。
 伊作や留三郎と同じく札売りの動向は警戒していたし、あれが風魔の札だということもわかっていた。しかし甚兵衛との繋がりは未だに確たる証拠をおさえていない。様子をうかがううちに先手を打たれた。
(私もヤキがまわったものだ)
 賊をみすみす見逃すなど。
 そういえば以前、城に侵入した青年が、確か風魔の者だった。思えばあのころからなまえの所在は彼の軍に漏れていたのだ。偶然居合わせたなどありえない。
(奪いにきたか)
 思わず溜息が出る。
 あの青年個人の仕業ではないにしろ、原動力の一端は担ったのだろう。なまえを抱えて相対した瞬間の狼狽と敵愾心を思いだす。
(食満くんといいあのこといい…まったくどの子も若いねぇ)
「…おや」
 包帯の下、ひそりと笑って肩を竦める。
「お客さんかい。ここ、大分遠かっただろう」
 小声を向ければ足元の気配が一瞬たじろいだのがわかった。うんうんと頷いて雑渡は視線を下ろす。
「取って食いやしないから、出てきなさい。良かったら外の話をしてくれないかい」
「…タソガレドキ忍組頭、雑渡昆奈門殿とお見受けしますが」
「よく知ってるね」
「御冗談を」
 ごとりと音がして、煤けた顔の青年が顔を出す。目の下の隈と相まって妙な迫力だ。この抜け道も久しく使われていない。大方蜘蛛の巣払いでもしてきたのだろう。くっくっと笑うと顔をぬぐった青年が嫌そうな顔をした。
「村は焼かれ、死亡者も出ていると聞きました。俺が聞いたのはそれだけです。…お逃げにならないのですか?」
「君が身代わりになっててくれるなら逃げるけど。私がいなくなって山狩りが行われちゃかなわない」
 青年は複雑そうな顔で頷いた。
「なるほど。…あなたの枷はそれだけですか」
「さあね。で、君は何しに来たんだい」
 青年が目を細める。
「復讐に、と言えばどうします」
「いいんじゃない?」
 あっさりとした答えに青年がきょとんと目を見開いた。
「私とやるなら相手はするよ、どうせ入牢してるんだし暇だし。残念ながら忍組(うち)は見ての通りの状況だからねぇ。復讐なんてするまでもないだろう」
 丸腰の男の台詞に、青年はしばし沈黙した。
「…まさか俺一人で敵うとは思ってませんよ」
「なら友達を呼んだらいい」
 打てば響く早さで答えて雑渡は笑みを消した。
「これでも本気で言っているんだ。私相手に恨みを晴らすつもりがあるなら今が好機だよ。私の首で不服なら、ここの城主の首とあわせて二つ。どうだい、悪くはないだろう」
「…謀反の手伝いなど、俺は」
「我々が切られた駒であることは明らかだろう。謀反等と言ってくれるなよ、鼠が猫を噛めるか、生きれるかどうかの瀬戸際だ」
 真顔で告げられた内容を咀嚼しながら青年が目を細める。
「タソガレドキ繁栄のために尽力されてきた方の言葉とも思えませんね。今更自分達が焼き打ちされた程度で忠を捨てますか?あなた方が他国に為して来たことを思えば、」
 吐き捨てる嘲笑で語尾が震えた。
 溜息をついて雑渡は肩を竦める。
「…そうかい、残念だ」
 ゆらりと俯き目を閉じる。
「それでは私がやらねばならないね」