小説 | ナノ


ホームから線路を見ているとなんだか吸い込まれそうだ。あの鉄の塊にぶつかったらどうなるんだろう。一歩だけ踏み出すと同時に、急行の通過列車が勢いよく通り過ぎていった。


「名前!」


振り返れば、カイジが変な顔をして立っている。


「あれ。久しぶり」


最後に会ったのは、仕事の愚痴を聞いてもらった…確か一ヶ月前。


「何やってんだよっ……危ねえ……


大きな手で、ぐいと引っ張られる。帰宅ラッシュが終わったホームに人は少ない。


「カイジこそ、どうしたの?」

「オレは…その…お前が見えたから」

視線を左右に泳がせながらもごもごと答える。

「えっ?わざわざ会いにきてくれたの?改札の中まで?」


お金はどうしたんだろう。カイジって定期とか持ってたっけ。


「あ……とりあえず適当な切符買って…」

「なにそれ。ふふ」

「わ、笑うなよっ…!」


カイジらしいといえばカイジらしいというか。ありがとうと言うと、照れたように頷いた。しかしすぐにハッとする。


「いや…なんていうか……お前、今さっき気配が死んでた…!」


なんだそれと思いつつ、思い当たる節があったのでぎくりとした。

不幸っていうのは続くもので、残業を押し付けられるわ、上司には理不尽に怒鳴られるわ、でもうどうにでもなれと思ってたところだった。…だからカイジの読みはあながち間違いじゃない。


「それに、今逃したら次いつ会えるか分かんねえしっ…!」


カイジは後付けのように付け加えて頭をぼりぼりと掻く。無自覚なんだろうか、この人は。


「私のことそんなにすき?」

「は!?なんで、そーなるんだよっ…!そりゃ好きか嫌いかって言われたら……」


カイジが言いかけたところで地下鉄のライトが見えた。轟音と共に風が髪を乱していく。


「ここまで来ちまったし、家まで送る。最近物騒だし」


流石に悪いと思ったけど、もう決めたと言わんばかりの目に負けてお言葉に甘えることにした。

がら空きの車両にふたり並んで座る。拳一個の距離に、妙なもどかしさを感じる。ふと、このままずっと電車に乗っていられたらなあ、と思って、そんな風に思った自分に驚いた。

カイジは特に自分からは何も喋らず、窓の外をじっと見つめていた。

最近寒いね、とか、芸能人のだれそれが結婚した、とか、たわいも無い話を私がぽつぽつ話しているうちに、電車は私の降車駅までついた。

カイジの買った切符は一駅分足りなくて、改札機でつまずいた。それでもわざわざ付き合ってくれたのが嬉しくて、乗り越し分を払いながら「情けねえ…!」と肩を落とした彼が愛しくなった。

結局カイジは駅から家までも送ってくれた。いったい帰りはどうするんだろう、終電まではまだ時間があるけれど、また戻るのも面倒だろうに。

でも、あえてそれについては触れなかった。今日はカイジの好意に甘えようと思った。不思議だけど、今日の彼は否と言わせない雰囲気があった。


「今日はありがとう」

「気にすんな。ていうか、俺が勝手についてきただけだし………その、なんつーか、あんまムリすんなよ。話だったら、いつでも聞くからさ」


指や頬の傷のことは教えてくれないくせに、カイジは私の話をとてもよく聞いてくれる。一度だけ聞いたことがあるけど、「その時になったら話す」と言われてしまった。"その時"は、私とカイジの距離がもう少し縮まった時なのかもしれない。

なんでこの人はこんなに優しいんだろう。私を怒鳴りつける上司のが世間的には偉くて、優しいカイジはプーのままなのが、何か変なの、と思った。


「カイジ、働きなよ」

「うっ…何で急に…?」

「なんとなく。」


カイジはばつが悪そうに頭を掻いた。彼の癖なんだろうか。電灯が照らしている影がふたつ、ゆらゆらと心もとなく揺れている。

だから、自分のアパートが見えたのが、少し残念に感じた。


「カイジ、来週の日曜空いてる?」

「おう。年中空いてるから…」

「さっそくだけど、話、聞いてよ。」

「任せろ…!」


二、三言で約束は取り付けられる。私は時計を見て、もうこんな時間だね、と言った。いつの間にかアパートの真下で足を止めていた。


「それじゃ、俺、帰るから……」


改札を飛び出して会いにきた割に帰りはあっさりで、カイジは踵を返した。

少し遠くなった彼の背中に、聞こえないくらい小さな声で、(カイジ、おやすみ)と呼んでみる。聞こえなくていい。
けど、カイジは振り返った。


「おやすみ…!」


それがたまらなく嬉しくて、あ、私カイジのこと好きかも、と思った。



かえりみち


泊まってく?と冗談半分で聞いたら、バカヤローと怒られた。

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