小説 | ナノ




よく働く子だなとは思っていた。オレがやろうと思ってたことは率先してやってくれていたし、努力家で真面目なんだろうと。
だから率先してオレに声をかけてきたのは少し意外だった。名字名前さん。それが、彼女の名前だった。

名字さんは大学生らしい。休憩室に二人だった時に聞いてもいないのに喋りだした。

「カイジさんは学生さんですか?」

うっ…よせ、その目。確かにオレくらいの奴だったら大学に行っていてもおかしくない。静かに首を振ると、「へー」と興味深げに頷いていた。何が面白いってんだ。そういえばいつの間にか下の名前で呼ばれるようになったのは、佐原のせいだろうか。年頃の女のコに呼ばれる分には、悪い気はしないが……

「なんか…カイジさんって他の人とちょっと違いますよね」
「は…?」

いつぞやの佐原のような事を言い出すのでオレはドキリとした。

「ちょっと危ないにおいっていうか…危ないけどおいしい…そういう話を持ってるって感じ!」
「よっ……よしゃあがれっ……勘ぐるな……!」

つい大声を出してしまい、名字さんは体を強張らせる。しまった、言いすぎた。

「わ、悪い。そういうことに名字さんを巻き込みたくないから…」
「やっぱり!」
「え?」
「平凡な暮らしに飽き飽きしてるんです。カイジさんなら何か刺激をくれそうじゃないですか!」
「やめとけって…!平凡で上等……贅沢なんだよ、それっ……」

名字さんの気持ちはわからないでもなかった。実際オレがそうだった。しょぼい金でしょぼいギャンブルばかりしていた毎日、それに終止符を打ちたくて乗り込んだのがエスポワールだった。
でも、そんな危険なことに、前途多望なお嬢さんを巻き込んじゃいけない。

「もうこの話は終わりにしよう……」
「私も、連れてってください」
「あぁ…っ!?」

キラキラとした目で見られてオレはたじろいだ。

「うまい話、知ってるんでしょう…!私、なんでもします!」

まずい。その気になってしまっている……こうなったら、多少痛い目を見てもらわないといけない。
平静を取り繕い、ニヤリと口角を上げた。

「クク…そこまで言うってんなら…賭けだ…!」
「…っ」

名字さんの顔が曇る。そうだ、それでいい。平凡な女子大生ならためらいを感じて当然。オレみたいなギャンブルジャンキーとは違うことに気づいてくれれば…。

「あんたが勝ったら、オレが今…まさに乗り込もうとしているデカい賭け…ギャンブルを……紹介してやる……!むろん命は保証しない…!」

ごくり、と生唾を飲み込む音。もちろんこんなものはハッタリだ。脅し文句に怯んで「やっぱりやめます」と言ってくれれば御の字だったが、恐ろしいことにその気はないらしかった。それなら……作戦パート2に移行する。

「それは勝ったらの話……!問題はあんたが負け…つまり…オレが勝ったら……オレとちゅーだ……!」
「ちゅう……?」

我ながらとんでもない事を言っているのは分かっている。だが、これで降りてくれればいい。しかし、名字さんの口からは予想外の答えが返ってくる。

「わかりました。受けさせてください」
「はっ……?!」

ナニイッテンダコイツ……!?心臓が跳ね上がって周りがぐにゃりと歪む。

「バカっ…!もっと自分を大事にしろよっ……!」
「言い出したのはカイジさんじゃないですか。さあ、何で賭けるんです?」

まさか乗ってくるとは思っていなかったから、何も用意していなかった。どっと汗が噴き出す。

「こ…これだ」

動揺しながらポケットから百円玉を取り出した。

「数字の書いてある方を表としよう……これの裏表で賭ける…」

どうしよう。もし勝たれたら、オレのハッタリがバレる……!しかし負けてもまずい……確かにオレはオイシい思いはするが、女のコに無理やりチューさせるって……まずいだろっ…それ……
こんなこと、言わなきゃよかった…が、後悔しても遅い。
どうしたらいい…?どうしたら……

いや…勝つしかない…!非情になれ、オレっ……!

嫌々オレとチューすれば…彼女も懲りるだろう……ギャンブルってのがいかに危険かってこと……いや、本当にチューなんかしなくていい、オレの情けかなんか、とにかく理由をつけて、反故にしちまえばいいんだ。

「本当にいいんだな……?チューだけじゃ済まないかもしれないぜ……?」

なんとか降ろそうと脅してみたが、彼女もまた不敵に笑った。

「私は表に賭けます」

どうやらその気はないらしい。

「オレは裏にするっ……」

指にのせたコインを弾く。それが放物線を描いている時間が永遠に感じる。

チャリン。

テーブルに落下したそれが示していたのは、裏だった。

「た、助かった…」

ほっとした途端本音が出た。さっとコインを回収し、俯いている名字さんに声をかける。

「ま…今回はツケといてやる…!出世払いってことで…!ハハ…」

その目は何かを決意していた。

「いいえ、今でいいです」
「えっ、いや…」
「仕方ありません。負けたんですから…」
「や、冗談だって…本当にいいって…!」
「イヤですか?」
「イヤってわけじゃねえけどっ…!」

じゃあ構わないですよね、と名字さんは立ち上がり、オレの顔を両手で包む。ひっと目を閉じる。 これじゃどっちが勝ったのか分からない。暗闇のうちに、頬に柔らかいものが触れたのがわかった。

「えっ…!?」
「ふふっ……ちゅー…とは言いましたけど……"どこに"とまでは指定していない……!つまり…頬でも良いってこと…!」

完全に勝った顔をしている……。
気づいていない、どちらにしてもオレは美味しいってこと……!

これが本格的に名字さんを意識し始めてしまった、決定打となった。


ギャンブル・オア




***
2015/10/29

カイジ一人称にするとざわざわしすぎてしまう…
もうちょっと落ち着いて、カイジ!

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