小説 | ナノ


続々と従業員が上がっていく中、村上は一人デスクでその日のデータを集計していた。店長は体調が悪いらしく早番で帰った。事務所は午前0時にふさわしい薄暗さで、パソコンの青白いライトだけが不健康そうに光っている。

大あくびをして、眠気を抑えるためにコーヒーでも入れようかと考える。ふと視線を感じて振り返ると、名前が書類を抱えてくすくすと笑っていた。

「まだ上がってなかったのか」
「紅茶でもいれましょうか。」

てっきりコーヒーと来るものだと思っていたから、村上は少し目を丸くした。それから彼女が紅茶党だったことを思い出した。まあ、今は目が覚めればなんだっていい。

「そろそろ終わりそうですか?」
「終わるかよ。そっちは? もう遅いし明日に回してもいいぞ」
「いえ。主任とゆっくり話せる機会ってそうそう無いじゃないですか」

村上が顔を上げて周りを見渡した。今や事務所に残るは村上と名前のみ。二人きりという状況に気づいて、村上はあっと言った。

「切り上げるか」
「そんなに嫌ですか!?」

立ち上がった村上に名前は露骨にショックを受けた。それをやんわりと否定し、村上は棚からコルクの空いたワインを持ち出した。

「そっちから誘ってきたんだろう。腹を割って話そうじゃないか」

幸いつまみになりそうなものはいくつかある。熟成の浅いチーズ、ピスタチオ。冷蔵庫にはローストビーフの残りもあるはずだ。一事務所にこれだけの食料が揃っているのは、村上がよく部下たちと負け犬を肴にワインを嗜んでいたからだった。

名前は続々と皿やグラスを並べる村上にぽかんと口を開けたまま、しばし固まっていたが、抱えた書類の束を放り投げると困ったような笑みを浮かべた。
そういうことならと電気をつけようとする名前をやんわりと制止する。

「バーほどじゃないが。多少暗いほうがムードもあるだろ」
「まさか口説き落とすつもりですか?」
「悪くないな。ちょっとはいい女のふりをして、夜勤で疲れた俺を癒してくれ」

冷えたグラスに貰い物の赤ワインをとくとくと。注がれた瞬間に芳醇な香りが鼻をくすぐる。

「何に乾杯しますか?」
「君の瞳に」

冗談ぽく言ったつもりだったが、予想以上に自分で言って照れてしまった。

「カサブランカは見たことありません」

名前はこらえるように笑いながら、なんとなくグラスを合わせた。ボルドーのフルール・ド・クリネは名前の舌にはやや渋い。少し顔をしかめた名前に村上は苦笑した。

「主任と飲むのは初めてです」

そういえば"負け犬を肴にする会"に名前は参加したことなかったなと思いつつ、村上は意地悪そうに笑った。

「店長とは?」
「ないですよ、まさか」

てっきり一条に気があると思っていたから少し意外だった。村上は、まだ俺にも勝機はあるかもしれないとほくそ笑んだ。

「主任はどうしてカジノに?」
「別にどこでもよかった。一番出世が早そうな人の部下を選んだまでだ」

時々愚痴は言っても、村上は一条を尊敬していた。それを名前も知っていたから、当然といえば当然の回答だった。少しアルコールの入った村上はやや饒舌になる。聞いてもいないのに、一条との出会いや彼の癖をべらべらと喋る。文字通り心酔している姿に、おかしみを感じて名前は笑った。

「名字はどうなんだ?お前の尊敬する人は」

いきなり話題を振られたので名前は少し静止した。一拍考えてから、淀みない口ぶりで発せられる名前。

「村上主任です」

村上はぶっとワインを吹き出した。ああ、高いのに、と名前は頭の隅でそんなことを考えている。

「なんで?」
「なんでですかね……」
「おいおい。期待させといてそれかよ」

名前は革張りのソファに体を預けて、アルコールに潤んだ瞳で村上を見つめた。それが妙に艶っぽくてごくりと生唾を飲み込む。

「例えばその尊敬する人が、部下を酔わせて襲っちまうような男だったとしても?」

村上も少し酔っていた。対面のソファに深くもたれている名前の横になんとなく移動してみるが、特に拒絶も、理由を問うたりもしない。村上はそれを肯定と捉えて更に調子に乗った。

「名字……」

背もたれに腕を回して恐る恐る顎を持ち上げると、あろうことか瞼を閉じる名前に、さらに村上の心臓は高鳴る。薄く濡れた唇に触れたいと思いつつ、(こんなん、いいのかよ)と良心が囁く。

「キスするぞ」

自分で自分に童貞かよと突っ込みたくなったが飲み込む。名前は何も言わず、ただ目を閉じて顔をこちらに向けている。なら、答えはひとつ。行くしかない。

「……」

「……おい、なんとか言……」

「ぐー………」

「は……………?」

すやすやと寝息を立てて眠りに落ちた名前。呆気にとられる村上は、顎にかけた指を戻して頭を抱えた。

−−−−彼女がこんなに酒に弱いとは。

たった1杯で酔い潰れてしまった名前に肩を貸しつつ、次はもう少し軽い酒にしようと誓う村上だった。






狼に成りきれない村上の話。

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