25日目 冥王城には森山竜遠とその孫である森山久遠に助けられた妖怪が多い。そんな妖怪たちには他者には知られたくない過去があったりする。ミケもその一匹だった。 目覚まし時計が鳴るより早く聞き慣れないベルが鳴る。ミケは寝惚けながら音源である電話をとった。 「……もし?」 『おはよーございまーす!』 「久遠さん? おはようさん」 受話器ごしの明るい声に、随分と早起きやなあ、と思いながらミケは欠伸を溢す。 確か久遠は魔界にいるはずだ。一体、ミケに何の用があるのか。 『ミケはどんな魅麗ちゃんでも好きって言える?』 「んー? いきなりどないしたん?」 魅麗になにかあったのかと不安になるミケに対して久遠は穏やかに言葉を続ける。 『これから話すけど、その話を聞いた上で魅麗を助けたいなら美雨に協力してやって』 「……それは魅麗ちゃんの過去にまつわる話なん?」 『そうだよ。聞きたくないなら話さないけど』 どうする? と受話器の向こうで首を傾げていそうな久遠の声。彼はちゃんと向き合うべきだと思っているのだろう。恋人同士ならなおのこと。知りたいと思うが、知られたくない。だから過去のことは聞かなかったし言わなかった。 久遠は『助けたいなら』と言った。それはつまり今、魅麗に危機が迫っているということだろうか。しかも美雨が止めようとしているのか。 「そろそろ潮時やんなぁ……久遠さんに聞かされるってゆうんは癪やけど、教えてくれへん?」 どんな魅麗でも愛せる自信がミケにはある。だが、どんな自分でも愛される自信は全くない。 * * * 美雨が部屋を出ると、ドアの前にはノックをしようとしていたのか中途半端に手を挙げているミケがいた。驚いて固まっていたミケはすぐにふにゃっと笑う。 「お。グッドタイミングやなあ! おはようさん」 「お、おはよう」 「久遠さんから聞いたでー」 どこまで、と聞くまでもなく「全部」と感情のない声がした。ミケを見上げると「ほな、行こか」と美雨と目を合わせずに歩き出す。置いていかれないように美雨は慌ててミケの横に並んで歩き出した。 早朝の誰もいない静かな廊下。明かりが控えめなため、仄暗い中を早足で進む。 「美雨ちゃんは魅麗ちゃんを恨んだりせぇへんの?」 「え?」 「その足、魅麗ちゃんのせいなんやろ? 実際は動かせへんのやで?」 今はカダのおかげで動かせている。冥界を出たら動かせなくなる足。逆に言えば、冥界にいれば不自由はないのだ。以前、白雪に言われた選択肢が思い浮かんだが、美雨は頭を振った。 「恨むよりも申し訳ない気持ちの方が大きいかな」 由良の命令で美雨の世話をすることになった魅麗。彼女自身が言っていたように妖力の少ない彼女は、その命令に意見することすら許されなかったのだろう。だから日々ふつふつと募る異世界人への憎悪を美雨に細やかながらもぶつけるしかなかった。嫌だったろうに、気にかけてくれたり親しくしてくれたことが美雨には申し訳なく思えた。 * * * 冥王城には様々な階段があり、迷子が続出する原因は階段だと云われている、らしい。そんな城だけれど由良の私室に行く階段はひとつしかないので美雨とミケはその階段の踊り場で魅麗を待ち伏せることにした。大きめの窓から見える早朝の空は相変わらず雲に隠されていて見えない。 「……どうしたんですか? こんなところでお二人……」 美雨が空を見上げていると、いつの間にか音もなく階段を上ってきた魅麗がいた。彼女は柔和な笑みを浮かべて「秘密の逢瀬ですか」と首を傾げる。その言葉に「いややなぁ、ボクには魅麗ちゃんがおるのに」とミケは笑って返した。 「もう知っているんでしょう、魅麗のこと」 「せやなぁ。本人から聞きたかったわ」 「陛下に報告しますから一緒に聞きますか?」 それを阻止しに来たのだから頷けるわけがない。 魅麗は本当に死ぬつもりなのだろうか。それは美雨の足を悪化させた罪悪感に因るものだろうか。異世界人に親しくした自分が嫌で許せなくて自棄になっているようにも見える。その場合、美雨が異世界人である以上、説得なんて美雨には無理だ。 うだうだ考える美雨の横でミケは一歩、魅麗に近付く。 「その前にボクの話を聞いてくれへん?」 「ミケさまの話、ですか? ……いいですよ」 「ありがと。まず、ボクの母親はな――」 にっこりと笑みを浮かべたまま語られたミケの過去は笑って話すような話ではなかった。 ミケの母親は人間に殺された。冥界にやってきては無差別に妖怪を殺して回るような人間に殺されたらしい。それにより父親は豹変する。豹変した化け猫は自我を失い、凶暴性を増す。そのまま冥界を飛び出し、魔界さえも抜け出し、とある家族を殺害した。彼にとっては復讐だった。 「でも残念なことにその一家は母を殺した人間の仲間やなかったんや」 「……お父様はどうなったんですか?」 「しばらくは魔界に拘留中やってんけど、生き残っとたんか殺されへんかったんかはわからん娘さんにあっけなく殺されてもうたわ」 「…………」 「的外れな復讐したら復讐されて、アホみたいやんなぁ」 この二匹は被害者の娘と、加害者の息子なのだ。復讐とまではいかずとも憎まずにはいられない魅麗と、復讐が無意味だと両親を通して知っているミケ。両親がいる平和な家庭で普通に生活してきた美雨にはわからない感覚だった。幼心に刻まれた親の死というのは二匹に深い傷を残しているのだろうか。 「それを、話して魅麗にどうしろと? 魅麗のことを知ってしまったから話したんですか?」 「いや? 魅麗ちゃんにはアホみたいなことしてほしゅうないなぁと思うただけやで」 「もう遅いです」 魅麗は美雨をちらりと見た。 「竜遠サンの口癖、覚えとる?」 「……っ」 タツトさん? 美雨は聞き覚えのない名前に首を傾げる。魅麗は心当りがあるのかばつが悪そうに顔を歪めた。 「露呈していなければ罪にはならない」 バレなきゃ罪じゃない、と? 美雨はますます首を傾げる。 魅麗は今から罪を告白し、罰を受けようとしている。その罪を知っているのは魅麗と美雨とミケと久遠だ。十分に露呈されているんじゃないだろうか。それとも由良に気付かれなければいいということなのだろうか。罰するのは冥王である由良なのだから。彼にさえ知られなければ罪にはならないということか。 「……じゃあ、美雨さまは魅麗を許すんですか?」 「えっ」 「足を使い物にならなくしたんですよ? 許せるんですか?」 いきなり矛先を向けられて美雨はたじろぐ。 そんな美雨の背中をミケが押す。おかげで少し魅麗に近付けた。でも目を見て話す勇気はなくて俯いたまま言葉を紡ぐ。 「許すとか許さないじゃなくて、わたしはただ魅麗ちゃんに謝りたくて――」 「異世界人がなにを謝るつもりですか?」 なにを? 恐る恐る顔を上げると、どこか怒ったような気に入らないという表情をした魅麗が見えた。 「魅麗の前に現れたことですか? それなら冥界に来なければよかったんです。異世界で大人しく死んでいればよかったんです!」 美雨は『死にたくない』と思ったからここにいるのだ。そしてたくさんの妖怪や人に迷惑をかけている。そんな自分のせいで命が失われるのは嫌だ。だから魅麗は助けなければと思った。向こうで死んでいれば、冥界に来なければ、こんなことにはならなかったのだろうか。 「ごめんなさい。……それでもわたしは魅麗ちゃんに生きてほしい」 「!」 美雨は手を伸ばして魅麗を抱き締める。抵抗はされなかった。小さくて薄い身体を震わせながら魅麗は言葉を吐く。 「あなたは自分のせいで魅麗が死ぬのが怖いだけです。許したわけじゃない」 「うん」 「魅麗は取り返しの付かないことをしました。許されちゃいけないんです」 「うん」 「魅麗のせいで殿下にいらぬ罪悪感を抱かせてしまいました」 「うん」 「久遠さまにも気を遣わせてしまいました」 「うん」 「……魅麗は、もうっ」 幼子をあやすかのように優しく魅麗の背中をぽんぽんとさする。やがて嗚咽が聞こえてきた。魅麗の頭を撫でながらミケの方を窺うと柔らかく微笑まれた。美雨はゆっくり腕を解いて少しだけ魅麗から離れた。俯いて両手で顔を隠して泣く魅麗の前にミケは膝をつく。 「魅麗ちゃん、ボクのためにも生きてくれへん?」 「……っ」 「久遠さんも美雨ちゃんもボクも生きてほしいと思ってるんよ」 罪を知っている者は魅麗に死んでほしくないのだからこれ以上、露呈することはないだろう。 膝から崩れ落ちた魅麗をミケが抱きとめる。 「生きたいですっ! ごめんなさい、ミケさま」 「大丈夫やで」 ミケは魅麗を抱き締めながら「まあ、魅麗ちゃんが処刑なんてことになったら冥王様に復讐してまうかもしれへんかったけど」と冗談なのか本気なのかわからない声音で物騒なことを言った。そんなミケの腹を容赦なく殴る魅麗。ゴッという音と「ぐふ」という痛そうな声が踊り場に響いた。 「ミケさまが陛下に敵うわけないじゃないですか」 「わ、わからへんよー」 「……無謀なことはしないでください」 痛みからかミケの声は震えていた。魅麗にすら敵わないのにどうして由良に敵うと思うのだろう。 |