22日目 雨が降っていた。しとしとと慎ましく傘を濡らす。 「紫陽花には毒がある、なんて聞いたけど本当かしらね」 あれは何処だったか。他人の家の庭だったか。綺麗な紫陽花が咲いていた。何処だっけ。 淡い寒色の花が彩る雨の日。 ぼんやりと目を向けた先には優しい母が不思議そうに紫陽花を見ていた。 ぱち。目を開けるともう見慣れてしまった天井が見える。夢を見ていたのか。美雨はぱちぱちと瞬きを繰り返す。すっかり目が覚めてしまった。のそりと起き上がり、時計を見て時間を確認する。随分と早くに起きたようだ。どうしよう。 「……散歩しようかな」 魅麗が来るまでだいぶ時間があるので少し散歩をすることにした。一応、書き置きをテーブルの上に置いておく。 太股の半ばまで巻かれている包帯をニーハイソックスで隠してから用意されているワンピースに着替えた。 * * * 早朝ということもあり、城内は静寂に包まれている。普段気にならない足音さえも廊下に響かせてしまう。誰かを起こしてしまわないように慎重に進んだ。 一階はそこそこ騒がしかった。出入りが多いのが原因ではあるが、配達物が届くのがこの時間らしい。受付嬢が忙しなくも笑顔で対応していた。それを横目に美雨は外に出る。 「お願いします!」「探してください!」「子どもが帰ってこないんです!」「助けてくださいっ!」「どうか、どうか、お願いします!!」「娘を――」 悲痛な声がする方に目を向けると門の前に数人の妖怪たちが門兵に縋っていた。門兵は動かない。ただ冷めた目で彼らを見下ろしていた。 「最近、誘拐が流行ってるんだって」 ゆうかい? 声がした方に視線を向けると久遠が「おはよー」と手をひらひらと振りながら門の方に歩いて行く。その横には灰流もいた。反応が遅れたが美雨は「おはよう」と返した。灰流は一瞥もくれなかった。 久遠と灰流が門に着くと門兵は二人にお辞儀をした。門の前にいた妖怪たちは二人に縋るようにさっきよりも声を上げて言い募る。二人は美雨に背を向けているので表情はわからないはずなのに、久遠が笑ったような気がした。 「残念だけど、あんたらの子供を拐ったのは魔物だよ」 「冥界は魔界に干渉できない。……諦めろ」 わざと明るく言った久遠とは違い、灰流は背筋が凍るような低く冷たい声で言った。それを真っ向から受けた妖怪たちは怯えて後退る。 魔界と冥界の確執は知らない。冥界の方が立場が低そうだと察するぐらいしかできていない。魔界に入ってしまった妖怪はどうなってしまうのだろうか。 「助けられないの……?」 ポツリと呟いた美雨にその場にいた全員の視線が刺さった。 ハッとしたようにまた妖怪たちが声を上げる。 「お、お願いします! あの子にはなんの罪もない、助けてください」 「どうして、被害者が魔界に入ったというだけで殺されなければならないんですかっ」 殺される? 妖怪は魔界に立ち入ることを許されていないというのは立ち入れば殺されるということだったのか。 妖怪たちは子どもが帰ってこないのだと言っていた。誘拐したのは魔物。行き先は魔界。魔界に入った妖怪は殺される。 でも、久遠は妖怪じゃない、人間だ。彼なら助けることだって出来るんじゃないのか。 「バレなければ殺されない。幼い妖怪を誘拐するのは奴隷商人ぐらいだから……奴隷としてだけど生きられるよ」 美雨がなにか口走る前に久遠が諭すように教えてくれた。 魔界で親と離されて、いつバレるかわからない恐怖と戦いながら、奴隷として生きる。それは生き地獄じゃないのか。どうして助ける方向に話が進まないのかな。 「俺は魔王を裏切らない。けど、このことを魔界に告げ口する気はないから――」 「諦めろ。ここにおまえたちの子を助けられる者などいない」 灰流は再度冷たく言い放つと妖怪たちに背を向けて、美雨の横を通り過ぎて行った。 * * * 水やりに使っていたホースをくるくるとたたみながら美雨は今朝のことを考えていた。考えていても仕方がないことなのだけれど。 「いつまで回してるのよ」 「えっ、あ、白雪……」 「なによ」 新しく仕入れた苗を抱えた白雪が訝しみながら美雨を見下ろしていた。 こんなことを白雪に言ってもいいのだろうかと躊躇っている美雨などお構い無しに「さっさと吐け」と彼女の目が訴えている。なんだかんだと面倒見がいいのだ。苗をやわい土に植えてやるために隣にしゃがんだ白雪に美雨はまごつきながらも今朝のことを話した。 「それは……」 「冥界と魔界のことはよくわからないけど、罪のない妖怪が殺されるのを助けられないのかな」 「……」 「白雪?」 白雪は軍手を外すとつなぎの袖を捲って手首を晒す。そこには痣だろうか、縛られた名残があった。 「わたくしは、魔界で久遠様に助けられた元奴隷よ」 「えっ」 手首のそれは手枷の痕なのか。 驚きと困惑に固まる美雨に白雪は自嘲ぎみに笑った。 「魔界で妖怪を助けるなんて死にたかったのかしらね」 「……」 死に急いでるような方だけど、と白雪は笑う。楽しそうに、幸せな出来事を思い出すみたいに。助けてもらえたことが嬉しかったんだ。 「銀狐も本当は助けたいのよ。けれど、立場がそれを許さないでしょ」 久遠が魔王を裏切らないように、灰流は冥王を裏切れない。前魔王と冥王が交わした決まりに背く真似もそれを勧める言動も許されない。 「……歯痒いね」 魔界と冥界とそこに暮らすみんなが対等になれることはないのだろうか。 |