百花繚乱 | ナノ

     05.愛憎スクリーム


 病院で入念な検査の結果、左肩は大したことはたいのだが左腕の骨が折れているということがわかった。左肩の痛みはなんだったのか。階段から落ちた時、瀬菜の左腕は全体重を受け止めていたらしい。よく骨折だけで済んだな。運がいいのか、悪いのか判断に困る。
 その日は夜も更けて危ないからと病院に泊まることになった。瀬菜の場合、入院だけれど。家事がまともに出来ない面倒臭がりな姉を家に一人にするのはすごく不安なのだが仕方がない。

『だ、大丈夫?』
「あたしは姉さんが心配だよ」
『こここ骨折って、ほ、骨がボーンがおお、折れ――』
「大丈夫だから落ち着いて」

 電話ですらまともに会話が出来ない。声が震えている、すごく動揺していて心配してくれているのが直に伝わってくる。しっかりしているように見えるのに割と怖がりな姉に申し訳ない気持ちになった。

『瀬菜』
「うん?」
『やり返しちゃだめだよ。瀬菜は染まらないでね』
「……うん。わかってる」

 端からやり返すつもりなんかない。瀬菜は彼女たちとは違う。彼女たちが瀬菜を妬む気持ちはよくわかるから嫌がらせを甘んじて受けているのだ。たとえ、せこいやり方だとしても。
 別れの挨拶として「おやすみ」を言い合って電話を切った。公衆電話のピーピーという電子音が静かに鳴り響いた。夜の病院の廊下をひっそり歩く。用意された病室に向かって。

  * * * 

 大袈裟なほどに包帯を巻かれた左腕を見ながら瀬菜は溜め息をついた。
 朝から大変だった。学校に行こうと受付に向かうと高校の制服を纏った姉が久遠と樹々と何やら話し込んでいた。何故来たんだ。瀬菜に気付いた姉は左腕を見た瞬間、泣き出しそうに顔を歪めた。「厄介避けのために大袈裟にしてもらったんです」と久遠が姉に説明していた。久遠先輩の敬語……! と瀬菜は思わず目を輝かせてしまったが、久遠の説明に納得したのか安心したように姉は微笑んだ。瀬菜はあんな風に綺麗に笑えない。
 学校では瀬菜が怪我を負ったことが噂になっていた。なんせ、故意に突き飛ばされたのだから。

「――が神谷さんを階段から突き飛ばしたってホントなのかな?」
「あの包帯みたら一目瞭然でしょー」
「怖っ!」
「大人しそうな感じなのに……」

 教室の各所で囁かれるひそひそと隠す気のない内緒話を耳にしながら内心で舌打ちをした。丸聞こえだっつーの。もう少し小声で話す配慮は出来ないのか。瀬菜は自分の席に着き、聞こえないフリをする。

「可哀想」
「ざまあみろって感じ」
「なんかちょっとスッキリしたわ」
「さっさと別れちゃえばいいのにね」

 同情か嫌悪かどちらかにしてほしい。左腕に注がれる視線に嫌気がさしてきた。けれど、左腕のおかげか今日は一切嫌がらせを受けていない。誰も何も仕掛けてこない。大袈裟に巻かれた包帯は本当に厄介避けになっていた。

「なあ、あの子だろ?」
「うわーよく来れたね」
「どんな神経してんだろう」

 クラスメイトたちの話題が瀬菜の左腕から逸らされた。彼ら彼女らの視線の先には瀬菜を階段から突き飛ばした人物がいる。瀬菜は何もしない。今ここで庇うことも責めることもするつもりはない。

  * * * 

 放課後。
 周りの席の人たちが気遣ってくれたおかげで左腕の不自由を感じることなく授業を受けられた。

「じゃあね、気を付けて」
「またあしたー」
「ありがとう。バイバイ」

 ひらひらと手を振って彼女らを見送った。
 西陽が射す教室には瀬菜と小林かなえだけが残っていた。
 唯一、森山久遠から別れを告げられた元彼女、それが小林かなえだった。久遠は自分から別れを切り出さない。彼女が「別れたい」と言うまで彼氏でいてくれる。そんな彼が初めて振った女。彼女が嫌がらせを受けているのを見ていられなくて振ったのだ。

「あの、ごめんなさい」

 かなえは瀬菜の近くまで来ると頭を下げた。
 小さい震えた声は静かな教室には十分な音量で瀬菜の耳になんの障害もなく届く。

「大怪我を負わすつもりなんてなくて、ただ――」
「言われた通りにやったんでしょ?」

 かなえの台詞を遮って口にした瀬菜の台詞に彼女は大きな目を見開いて驚きと困惑を露にする。瀬菜は笑みを零した。
 久遠に特別視されている、そんな存在を妬まないほど元カノたちは優しくなどない。『久遠が嫌がらせから守ってくれたのだから、もう嫌がらせは受けるわけにはいかない』と思い込んでいるかなえを彼女たちは利用した。

「嫌がらせを執行しないと代わりにお前が嫌がらせを受けることになる、とかなんとか言われてんでしょ」
「……っ」

 笑みを浮かべて言い放つ。実際に聞いたわけではないので台詞まではわからないが大体合っているのだろう。かなえはひどく動揺しているようだ。
 勘の良さを武器にした情報収集力を持つ瀬菜が知らないはずがない。そんな瀬菜でも何故、かなえが久遠に特別扱いされているのかまでは知らない。単純に好みのタイプだからかもしれないし、本当に好意を寄せているからかもしれない。どちらにしても瀬菜が彼女の座を降りる理由にはならないのだけれど。

「それでも、その怪我はわたしのせいだから……ごめんなさい」
「……ひとつ教えてくれない?」

 再度深く頭を下げたかなえの旋毛を見下ろしつつ、瀬菜は真面目な声で問い掛けた。
 かなえはゆっくり頭を上げると眉を下げて何を聞かれるのか不安そうにしている。彼女はわかりやすくて面白い。瀬菜はこっそりそんなことを思いながら口を開いた。

「どうして久遠先輩に振られたの?」

 知らないことは知っておきたい。久遠のことなら尚更気になる。
 瀬菜に真っ直ぐ見詰められたかなえは目をそらして俯くと、ぽつりぽつりと話し出した。

  
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