03.耳障りなノイズだって苦にならない 久遠の彼女になって1週間が経った。 いつか起こることだと思っていたから覚悟もあった。いわゆる『いじめ』と呼ばれるもの。久遠の彼女だから仕方がない。 たとえ形だけの愛されていない彼女でもその地位に居座っていることが妬ましい。誰のものにもなってほしくない。特定の誰かのものになってほしくないから、みんなのものという考えを植え付けて抜け駆けさせない。そんな女子の集団の仕業だろうか。しかし久遠にはファンクラブや親衛隊などという団体は存在しない。無駄に顔のいい先輩――藤田夏生にはどちらも存在しているが。 瀬菜は無惨な形になってしまっている上履きを見つつ考察する。 来る者拒まずな久遠の彼女なんてなろうと思えば誰でもなれる。だが、彼の心は未だに誰も手に入れていない。彼女の地位にいる者が彼の心を手に入れてしまう前に別れさせようとしているのだ。瀬菜自身、その気持ちはよくわかる。彼に恋をしてから水面下で厳かに情報収集を行っていた間中ずっと不安だったのだから。自分が行動を起こす前に久遠の心が他人に奪われないか、と。 「神谷さん? なにして……ひっ!」 「なんでもないよ」 外の掃除が終わったのにも関わらず、いつまでも靴箱の前で上履きを睨んでいたからか、クラスメイトに不審がられた。しかも上履きの惨状を見られた。にっこり笑顔を携えて勢いよく靴箱を閉めてみたのだけれど、見てしまったクラスメイトの女の子はおろおろと可哀想なくらい困っている。ああ、めんどくさい。見なかったフリをしてくれればいいものを。 「待ってて! スリッパ借りてくるから」 「えっ、いいよ! ちょっ……」 瀬菜の制止の声も虚しく彼女は走り去って行った。 茜色の夕日がさす放課後の昇降口で待ちぼうけを喰らうとは思わなかった。スリッパならすぐそこの事務室で借りられるはずなのだが、慌てていた彼女は職員室まで行っていそうだ。どのくらい待たされるのだろうか。早く帰りたい。 はあ、と深く溜め息を吐き出す。今日は一段とゴミが多かったのは瀬菜の上履きを無惨な姿にするための時間を稼ぐために仕組まれたことだろうか。とりあえず、もう履けない無惨な上履きを捨てに行こう。 * * * 上履きを捨てて昇降口に戻ってくるとスリッパを持ってキョロキョロと辺りを見回しているクラスメイトがいた。ああ、探されてる。 「あ!」 「ありがとう。助かった」 「……うん」 彼女はスリッパを瀬菜の足下に置いてくれたのでローファを脱いでスリッパを履く。ローファを靴箱に入れようとすると彼女が「あっ」と声を出した。なにかあるのかと彼女を見ると、彼女は言いにくそうに口を開く。 「あの……ローファも持って上がった方が安心っていうか、その……」 「ああ、そっか!」 上履きだけでなくローファまで無惨なことになられては流石に困る。学校から学生寮までそんなに遠くないから裸足で帰ろうと思えば帰れるが、出来ることなら遠慮したい。 ローファをぶら下げて校内をスリッパで歩く。階段で何度もスリッパが脱げ、もうガラスの靴状態にしてやろうかと思ったりしながらもなんとか教室に着いた。 「……スリッパって疲れる」 「ふふ、お疲れ」 ローファをロッカーの上に置いて、自分の席を確認する。鞄の中、机の中、教科書、ノート、特に異常はなかった。上履きの惨状に呆然としている間に何か仕掛けてくると思っていたのに拍子抜けだ。まさかローファ狙いだったのだろうか。瀬菜はちらりとクラスメイトもとい小林かなえを見る。控え目で大人しく目立たない少女、陰湿な嫌がらせを思い付くタイプには見えない。どちらかというと受ける方だろう。だからわかったのか? 「……? 帰らないの?」 「あ、ごめん。待たなくていいのに」 鞄を肩に掛けたかなえが不思議そうに首を傾げて聞いてきた。瀬菜は鞄を持ち上げてにっこり笑顔で答えた。 ロッカーの上のローファを忘れずに手に提げて「帰ろうか」と声を掛けて、二人は教室を出た。 昇降口に着いて、スリッパを脱ぎ、ローファを履く。瀬菜の後ろから動かないかなえを不審に思って彼女を見るとスリッパを持っていた。 「スリッパ返してくるから。じゃあ、また明日」 「ありがとう、またね!」 いい子だな。 瀬菜は感心しつつ帰る。 明日から上履きどうしようかな。新しく買うことは決定している。スリッパは疲れるから嫌だ。 * * * 夜。上履きを買いに近くのスーパーに瀬菜は来ていた。すぐ近くに黒薔薇学園があるおかげか、学校生活に必要なものは大体このスーパーで買えるのだ。上履きはもちろん、ローファやスニーカーまである。しかし靴屋ではない。 「瀬菜?」 「わあ、久遠先輩! 奇遇ですね!」 上履きを買い終えて、お菓子を眺めていた瀬菜に声を掛けたのはなんと久遠だった。 私服! 至福!! 制服姿しか見たことがないからラフな格好の久遠に興奮を隠せない。上履きが残念なことになって本当に良かった、久遠好きの方々に感謝したい。 「なに買うんですか?」 「これ。このノベルティ集めてんの」 「そうなんですか、手伝いますよ!」 久遠は手に持っていた炭酸飲料を見やすいように瀬菜の目の高さまで持ち上げてくれた。それに付いているのは可愛いのか可愛くないのか判断しにくい妙にリアルな動物のキャラクターだった。ストラップなのかな。 集めるためとはいえ、500ミリリットルの炭酸飲料を消費するのは大変そうだ。久遠は細いし、骨も弱そう。これは彼女だからとか関係なく、久遠を好きな一人の人間として手伝いたくなった。 「これの黒猫をもらってさ、折角だから全部揃えてやろうと思って」 協力してもらえると助かるよ、と愉しそうに微笑む久遠に胸が高鳴る。鼓動が早まる。集める切っ掛けとなった黒猫を誰から貰ったんだろうとか不満はあるけれど、彼に喜んでもらえるなら炭酸飲料のひとつやふたつ。みっつやよっつ。余裕で飲める。 久遠のためならなんだって耐えられる。歴代彼女たちが耐えられなかった嫌がらせなんかに負けはしない。彼の隣にいるために、彼に振り向いてもらうために、瀬菜は突き進む。 |