02.突撃シンドローム 久遠に告白をして1日が経った朝。彼女になれたのだから、ぜひとも登下校はご一緒したい。昨日は彼女になれたことに恥ずかしくも浮かれていて放課後の誰もいない教室でひとり歓喜に満ちていたせいで、久遠と下校を共にすることが叶わなかった。なので、今日こそは! と瀬菜は朝早くから学生寮(という名のアパート)のエントランスで久遠を待っていた。待ち伏せである。 久遠の家は9階で瀬菜の家は3階だからエレベーターで鉢合わせを装うことも考えたが、いつ家を出るかわからない彼を何台もあるエレベーター全ての動きを確認しつつ待つのは難しいので諦めた。 「あ、」 「おはようございます!」 30分くらい待っていると愛しの久遠がエントランスに現れた。久遠は瀬菜を見て昨日のことを思い出してくれたのか、ふわりと微笑む。瀬菜は嬉しさを露に満点の笑みで彼に挨拶をした。 彼の微笑みが瀬菜だけに向けられている今この瞬間が永遠になればいいのに。時間よ、止まりたまえ。 「おはよう。えっと…………瀬菜ちゃん」 「!!」 なななななんとッ!! 名前を思い出そうと頭を抱えていた久遠に「神谷です」と自ら名乗ろうとした矢先に名前を呼ばれた。しかも下の名前。覚えていてくれたのか。 瀬菜は驚きと嬉しさに固まってしまった。 「あれ? 名前違った?」 「い、いいえ、合ってます! 瀬菜です!!」 「ならいいけど」 「すみません。びっくりして……く、久遠先輩!」 ぽぽぽと顔に熱が昇る。名前を呼ばれたので、こちらも下の名前を呼んでみた。恥ずかしい。彼女とはいえ年下なのだから『先輩』と敬語は外せない。 好きな人と名前を呼び合うだけでこんなにドキドキしていて大丈夫だろうか。瀬菜はこれから久遠を振り向かせなければならないというのに、彼に振り回されていてはいけない。しっかりしなくては! 意気込んだ瀬菜は久遠の隣に並んで学校に向かった。 * * * 四限目が終わり、昼休みになった。 食堂に行く者、購買に行く者、弁当持参の者、各々動く中で瀬菜は弁当を持って2年5組の教室を覗いていた。もちろん、久遠を探しているのだ。彼女なのだから、お昼を共にしたい。 久遠は音無樹々と青柳あさぎの分の弁当を作っている。久遠のクラスは知っていたが、樹々とあさぎのクラスは興味がないので調べていなかった。もう教室を出てしまったのだろうか。 「……あの?」 「あ、すみません」 目立つ銀髪美少女の先輩が不思議そうに首を傾げて瀬菜を見ていたので、邪魔になっているのかと思ってドアから少し離れた。 教室にはもう既に久遠はいなさそうだ。今日は諦めた方がいいのだろうか。今日中に樹々とあさぎのクラスを調べれば明日から昼御飯を一緒に食べられるだろう。 「……えっと、久遠なら2組」 「えっ?」 銀髪美少女の先輩が白く細い指で2組の方向を指し示して教えてくれた。何故、久遠に用だとわかったのか不思議に思いながらも瀬菜は美少女の真っ赤な瞳を見上げてにっこり笑みを作る。 「ありがとうございます」 「……いえ」 お礼を言うと直ぐ様、踵を返して2組に向かった。廊下は走ってはいけないという注意は今だけ見逃してほしい。どうか間に合いますように! ぱたぱたと足音を響かせて走った。 * * * 2年2組の扉をガラリと開けて中を見渡すと、すぐに久遠を見付けることが出来た。 茶色の髪の細っこい先輩が音無樹々、水色の髪の頭の悪そうな先輩が青柳あさぎだろう。久遠は彼らに弁当を渡している。彼の手作り弁当を毎日食べているなんて妬ましい。彼女でもなんでもないくせに久遠に大切にされている彼らが羨ましくて、悔しい。 「久遠先輩!」 「ん? あ、瀬菜」 どうした? と久遠は振り返り、瀬菜の方を見た。樹々とあさぎも興味深そうに見ていたが瀬菜には久遠しか見えていない。 朝はちゃん付けだったのに呼び捨てになっている。そんなカウンターにクリーンヒットを喰らいながらも、瀬菜は両手で持っているお弁当を自身の顔の前に持ち上げて上目遣いで久遠を見上げる。いつ見ても綺麗な金の瞳、好きだ。 「お弁当、交換しませんか? それと、一緒に食べたいです」 「……え」 なにかしくじっただろうか。自分の行動を省みてみたが思い当たらなかった。 早起きして眠たい目を擦りながら作ったお弁当を久遠に食べてもらえれば、瀬菜は彼の手作り弁当を食べられると思ったのだけれど、それは流石に引いたのだろうか。 じっと久遠の反応を窺っていると彼はちらりと自分の弁当を見て困ったように笑う。弁当になにかあるのか? 「折角だけど、少食だから食べきれないかも……」 「残しても大丈夫ですよ。あたしが食べますから!」 申し訳なさそうに切り出すから何事かと思ったら、そんなことで躊躇っていたのかとけろりと言い返した。むしろ久遠の食べ残しとか美味しすぎる。欲しい。 すると、教室にいたらしい先輩が急に笑い出した。何事!? 「すごい食い下がるね、きみ」 「何? 新しい彼女?」 「森山、冬休み前の子とは別れたのか?」 明るい髪の軽そうな男の先輩が瀬菜に近付いてきた。それに釣られるように、えらく顔のいい先輩と真面目そうな先輩まで群がる。瀬菜はにっこり笑みを浮かべつつも心中は穏やかではなかった。彼らの相手なんてしていたくない。久遠がすぐそこにいるのに、見えないなんて嫌だ。 瀬菜は見ていなかったから気付かなかった。久遠が口元に弧を描いて悪戯っ子の笑みを浮かべていたことに。 「冬休み前っていつの子だよ……今の彼女はこの子だから、元カノの話はしないでね」 ぐいっと腕を引っ張られたかと思ったら腕が見えて、すごく近くから声がして、気付いたら後ろから抱き締められていた。はっ!? と瀬菜が混乱している間に久遠は「しっしっ」と先輩たちを散らす。樹々とあさぎは呆れたようにその様子を見ていた。 先輩三人が渋々と戻っていくのを見届けると久遠は瀬菜から離れた。あう、もうちょっと味わっていたかった。残念。未だにドキドキと高鳴る心臓を煩わしく思いながらも、しゅん、と項垂れていると久遠に頭をぽんと撫でられた。 「瀬菜、こっち座りなよ」 「はい!」 誰の席かは知らないが、お借りします、と小さく頭を下げてから久遠に勧められた席に座る。「律儀……」とあさぎが小さく呟いていたが瀬菜にはどうでもよいことなので反応なんてしない。ただにっこり笑みを作っておく。 「おまたせ」 「おっせぇーよ」 「お腹空いたー」 待っていた樹々とあさぎはぶーぶーと文句を垂れながら弁当を開ける。瀬菜は仕方なく自分の弁当を食べようかと視線を落とす。すると「はい」と久遠が弁当を差し出していて、よくわからないが両手で受け取る。 「え? あの??」 「食べ切れなかったら食べてくれるんだろ?」 「!! ……はいっ!」 口角を釣り上げて微笑む久遠に自分の弁当を渡す。残してください、お願いします。 いただきますを四人がそれぞれのタイミングで言う。一緒に食べるのに合わせないことに瀬菜は驚いた。 久遠の手作り弁当を食べられるなんて幸せだ。自然と頬が緩む。 「そっちの笑顔の方が可愛いよ」 いきなり言われてなんのことかわからずにキョトンとしてしまったが、すぐに理解した。作り笑い、バレていたのか。にっこり笑顔を張り付けるのはもはや癖のようなものだった。処世術として気付いたら身に付いていた。 「久遠先輩はどんな表情も素敵です!」 「……あっそ」 「いえ、表情だけじゃないですよ! すべてが素敵で大好きです」 本当に大好きなのだ。 久遠は「それはどーも」と気のない返事をする。 いつか必ず、こっちを向かせてみせる。樹々以上の存在になってみせる。それがどんなに難しいことなのか、瀬菜には計り知れないけど諦めたくない。久遠を好きな気持ちは樹々に勝っていると自負しているのだから希望はあるはず! |