百花繚乱 | ナノ

     Valentineday


 翠川来夢が悪夢街の住人になって三ヶ月が経った2月のこと。
 来夢はジャックの屋敷の一室に住まわせてもらっている。家事は使用人がやっているので、ジャックに内緒でキッチンを借りることは難しいだろう。残念なことに、使用人は来夢の行動をなんでもかんでもジャックに話すのだ。
 内緒でチョコレートなんて作れないよ。

「ライムお嬢さん?」
「えっ、なに?」
「……考え事ですか?」

 明るくはないけどそこまで暗くないリビングでソファに座ってぼんやりしていたら、ジャックに心配そうに声をかけられた。
 来夢は明るく笑って「なんでもないよ」と返した。

「あ、もう寝るね!」
「そうですね。おやすみなさい」
「うん。おやすみ」

 来夢は悟られたくなくて逃げるようにジャックに背を向け、自室に入る。
 あぁ、どうしよう。
 バレンタインデーにチョコレートを渡したいのになぁ。

  * * *

 次の日。
 午前中はリネに魔法を教えてもらい、午後からは魔王城で雑用をする。
 お昼ご飯をリネと食べ終え、魔王城に向かう道すがら、久遠を見つけた。向こうは気付いていないようなので走って近付く。

「森山くんっ!」
「わっ! びびったー、翠川か」

 驚かせるつもりはなかったのだけれど、仕込みナイフを投げようと構えていた久遠に来夢は一歩後ろに下がった。
 もし名前を呼ばなかったら迷いなく投げていたんじゃないだろうか。
 久遠はくるくると手先で遊びながらナイフをしまう。

「今から魔王城?」
「うん。……一緒に行こう?」
「おう」

 久遠も魔王城に向かうのかどうか自信はなかったけど、拒否されなかったから大丈夫だろう。
 来夢は久遠の横に並んで歩き出した。

「あ、そうだ! 森山くんって料理得意だったよね?」
「……そうだったかなー」
「な、なに?」

 思い出したかのように切り出せば微妙な返しをされた。久遠にジト目で見られて来夢は怯む。
 別にー、と久遠はふいっと目を逸らした。
 来夢も前を向いて話を続ける。

「…………チョコレートを作りたくて……」
「ジャックに?」
「へ!? いや、魔王様とかお世話になってるし、悪夢街のみんなにも、えっと…………ジャックにも、渡したいです」

 ジャックには迷惑もかけているし、心配ばかりさせてしまっているから。ごめんなさいと感謝の意を込めて贈りたい。
 来夢が俯くと、ぽんっと久遠が頭を撫でた。いつも俯くと頭を撫でられる。彼の癖なのだろうか。
 来夢は久遠の手が離れてから顔を上げる。

「で、俺は何をしたらいーの?」
「あ、うん。キッチンと材料を……借りたいの」
「キッチンは魔王城の俺の部屋でよければご自由にどーぞ」
「本当!? ありがとう!」

 材料はリストを今日中に渡してくれれば明日の夕方までには買ってこれると久遠は言ってくれた。
 来夢は嬉しくて頬が緩む。

「ところで、チョコ作れるの?」
「うん! たぶん、大丈夫!」
「へぇー……」

 あ、不安そう。
 借りたものは借りた時より綺麗にして返すように祖母に言われていた。なので、危険な作り方はしないつもりだ。そもそも祖母と一緒に作ったチョコレートケーキの作り方しか来夢は知らない。

  * * *

 その夜。
 材料リストは雑用中に走り書きでわかりにくいかもしれないが久遠に渡した。
 来夢はぐっと伸びをして、噛み殺すことなく欠伸をする。すると、いつからそこにいたのかジャックがクスリと笑う。

「今日はご機嫌ですね」
「え? そうかな?」
「ええ、悩み事が解決したんですか?」
「悩み事?」

 来夢は小首を傾げる。
 ジャックも「違いましたか」と首を傾げた。
 「では、いいことがあったんですか?」と問われ、来夢は嬉しそうに頷いた。

「あ、明日、少し遅くなるかも……」
「迎えに行きましょうか?」
「ううん、森山くんが送ってくれるって」
「そうですか」

 遅くなると言った時、ジャックは少し心配そうな表情をしていたのに久遠の名を出すと安心したように笑った。
 久遠は信頼されているのだろう。来夢は羨ましいと思った。信頼されていれば心配をかけることもないんだろうな。悪夢街の住人になってからそんなことばかり考えている。

  * * *

 次の日の夕方。
 何故か今日はリュウがいなかった。魔王の仕事はよくわからないが忙しいのか会えない日もあった。そんな日は魔術師や魔法使いに簡単な仕事をさせてもらっている。
 その仕事も終え、教えてもらった久遠の部屋の前まできた。

 ――コンコン

「はいはーい」

 声が聞こえてすぐに扉が開いて久遠が迎えてくれた。
 来夢が「こ、こんにちは!」と言うと、久遠は笑った。
 久遠の部屋に入るのはこれで二度目だ。一度目は此処じゃないし樹々もいたけれど。

「お邪魔します」
「どーぞ」

 生活感のない部屋だなぁと思いながら久遠にキッチンまで連れてってもらう。
 キッチンには材料とラッピング用の袋まで置いてあった。
 来夢は鞄から紙袋を取り出し久遠に差し出す。

「あの、これ!」
「なに?」

 やっぱり受け取ろうとしない。何かわからないからだろうか。
 来夢は差し出したまま少し俯いた。

「朝、リネちゃんとクッキー作ったの。お礼にならないかもしれないけど」
「別にいいよ」
「あのっ、甘いのは苦手なのかなと思ったからチョコレートじゃなくてクッキーを……えっと、ダメかな?」

 キッチンを貸してくれて材料まで買ってきてくれたお礼に何か出来ないかと考え、今朝リネのクッキー作りに便乗したのだ。
 甘いものが苦手そうというのは、執務室にはたまに差し入れでケーキが届けられるのだが、久遠がケーキを食べているところを見たことがないから。

「じゃ、バレンタインってことで受け取っておくよ」
「ありがとう! あ、お返しいらないからね!」
「はいはい。俺はあっちの部屋にいるからなんかあったら呼んで」

 クッキーを受け取ってくれた久遠はそのまま背を向け、部屋に入っていってしまった。
 キッチンで一人になった来夢は鞄から取り出したエプロンを着てお菓子作りを開始した。

  * * *

 数時間後。

「森山くん」

 扉の前で声をかけると、すぐに久遠が出てきた。
 来夢は作り終わったことを伝え、ラッピングしたブラウニーを2つ久遠に渡す。何故か今度は大人しく受け取ってくれた。

「樹々と青柳?」
「うん、お願いします」

 来夢はぺこりと頭を下げた。
 魔界から出られないから久遠に渡してもらうしかない。申し訳なくて頭を上げずにいたら頭を撫でられた。
 久遠を見上げれば、いつもの薄い笑みを浮かべていた。

「…………」

 まだ少し甘い匂いが漂っているけど、キッチンはちゃんと綺麗に片付けた。あとはブラウニーを持って帰って当日まで隠しておけばいいのだ。

「ほい、この部屋の合鍵」
「……?」
「バレンタインデーまで置いといていいよ。俺、土曜まで帰ってこないし」

 どうやって隠そうかと考えていたら久遠の部屋に隠してていいと言われた。
 今年のバレンタインデーは平日である。平日は学校があり、魔界にはいないからと合鍵を渡してくれた。
 来夢はポカンとアホ面をかましていたが、はっと我に返る。

「あ、ありがとう!」

 そのあとは久遠に悪夢街まで送ってもらい、協力してくれた久遠に「しつこい」と怒られるまで何度もお礼を言って、別れた。

  * * *

 バレンタイン当日。
 朝から魔王城に向かい、久遠の部屋からラッピングしたブラウニーを鞄に入れる。午前はリネに魔法を学ぶので、リネにもひとつ手渡した。午後からは魔王城の執務室でリュウや魔王不在の時にお世話になっている魔術師に手渡した。
 そして、悪夢街に帰ってきた来夢はみんなに渡すために歩き回った。

「はあ、疲れた……」

 ジャックはまだ帰ってきていないようだった。
 残る一人以外にはもう配り終えた。
 自分の部屋でジャックの帰りを待つ。流石に来夢の部屋まで本人がいる時に使用人は立ち入らない。
 鞄の中にしまってあるので見られてはいないし、バレてないと思う。
 驚いてくれるかな……。

「おかえりなさいませ」

 使用人の声がして来夢は慌てて部屋を飛び出した。
 ジャックが自室に入る前に渡したい。

「ジャック!」
「どうしました? 何かあったのですか?」
「え、なにもなかったよ? ……じゃなくて」

 慌てて呼び止めてしまったためか、また心配そうな表情をさせてしまった。
 落ち込みかけた心をなんとか奮い立たせるためにふるふると頭を振る。そして、ジャックにいちばん気合いを入れてラッピングしたバレンタインチョコを渡した。

「いつもごめんなさい! あと、ありがとう」
「…………」
「……ジャック?」
「あっ、いえ、こちらこそありがとうございます」

 チョコを見たまま反応を示さなかったので不安になったけど、ジャックは驚いていたらしい。
 ふんやりと微笑んでくれたジャックに来夢は安心して抱き付く。

「……お返し楽しみにしていてください」
「うん!」

 ジャックは抱き締め返しながら、ホワイトデーのことを考えていた。

  
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