漆 11月2日、お昼休み。2年2組の教室。 樹々は卵焼きを一口食べて顔をしかめた。その様子を見て微笑む久遠。来夢とあさぎは不思議そうに二人を見つめる。 「久遠、これ……何入れた?」 「さあ?」 ふわりと愉しそうに笑う久遠に樹々は何も言えずに肩を落とす。 そんなに変な味だったのだろうか。来夢は少し食べてみたいような気がしてきた。 樹々の弁当は久遠が作っている。ちなみに久遠の弁当に卵焼きは入っていなかった。 「……ってことは、あたしの卵焼きも何か入ってたの!?」 「おう。同じの入れてるし」 食べちゃったんだけど、と慌てるあさぎに樹々は何で気付かないんだよ、と呆れている。 あさぎの食生活に不安を抱いた樹々の言葉により、久遠はあさぎの弁当も作っているのだ。 「あさぎは気付いてないかもしれないけど、毎日卵焼きに何か入ってるよ」 「昨日のはケチャップ入れてみたんだけど美味しかった?」 「……気付かなかった」 昨日、あさぎと樹々は二人で食べてたんだよね。と来夢は昨日のことを思い出す。 そもそも何故今日はこの4人で食べているかというと、樹々が「教室で食べたい」と駄々をこね、あさぎが「なら一緒に食べたい」と我儘を言ったからである。二人に言い寄られた久遠はしぶしぶ了承して今に至る。 「森山! どんな味でも食べれるあたしに敬意を評して、下の名前で呼んでいい?」 「意味わからん。却下」 何故かあさぎは久遠を名前で呼びたいらしい。許可を請う度に却下されているけれど。わざわざ許可なんて取らずに呼んでしまえばいいのに。何に拘っているのか来夢にはわからなかった。 「来夢ー。森山がひどいよー」 「はいはい」 わからないといえば、あさぎと久遠が急に近付いたこと。二人の間にあった、否、久遠が一方的に作っていた壁がいつの間にかなくなっているのだ。あさぎの変化と関係があるならいいなと思う。今の久遠ならもしかしたら樹々の言葉がなくてもあさぎを気にかけてくれるかもしれない。 来夢がいなくてもあさぎは大丈夫だと思えた。 「あたしも名前で呼んでいいからさ」 「樹々、何入れたかわかった?」 「無視!?」 「……なんか甘いような……うーん」 来夢は無意識のうちに自分のいない未来を想像していた。 * * * 学校から家に帰ってきても何もする気が起きず、制服のままベッドに腰掛ける。ぽすんと空気が抜ける音が小さく聞こえた。 「……あ」 机の上に置かれているストラップのウサギとその腹に綺麗にはまっている赤い指輪。多分、お茶目な祖母の仕業だろう。 来夢は思わず笑ってしまった。 『急に笑い出してどうした?』 「わわっ、ま、魔王様……ですか?」 いきなり指輪から声が聞こえて思わず壁際まで後退る。 しかし聞き覚えのある声に来夢はなんとか返答をした。 『ああ。驚かせたか、すまない』 「いえ、こちらこそ、急に笑ってしまってすみません」 『……それは謝ることではないだろう』 リュウはどこか困ったような声音だった。 きっとリュウも何か装飾品から話しているのだとしたら急に聞こえた笑い声に驚いたはずだ。 「あの、魔王様……」 『どうした?』 「ジャックと話したい、です」 『……わかった、少し待て』 ダメもとで頼んでみれば、すんなりと了承を得てしまった。来夢はその呆気なさに呆けてしまう。 衣擦れの音やバタバタと物音、そして扉の閉開音が微かに聞こえて来夢は少し焦る。まさか悪夢街に向かおうとしているのではないか、と。 「ま、魔王様! 城にいないならいいですよっ」 『ライムお嬢さんですか?』 「え、あれ? ……ジャック?」 『はい。魔王殿に赤い石を投げられまして、この石からお嬢さんの声が聞こえるのですが』 「あ、うん。それは……なんだろう」 ジャックの声が聞けただけで泣きそうになる。 不思議そうに石を見ているのだろうジャックに説明しようと思ったのだけれど、来夢は説明出来るほど詳しくなかった。 『通信機みたいなものですか?』 「……たぶん」 『そうですか。それで何か私に言いたいことでもあるのですか?』 何故か棘のある声で言われて怖くなった。 来夢一人で決めるべきことだと思いつつもジャックに頼ろうとしているから怒ったのだろうか。それでもやっぱり一人で決めるより大好きなジャックに意見を仰いでから決めたかった。 決めてから後悔なんてしたくないから。 「あのね、ジャックにとって私は……必要ですか?」 『え?』 「森山くんの能力のことを聞いて、私の選択肢は悪夢街しかなくなっちゃったんだ」 『…………』 「でも、迷惑じゃないかな? 私はジャックの傍にいたいって思うけど悪夢街にいたらジャックの負担になるんじゃないかって」 怖い。 もし迷惑だと、負担だと言われてしまったら来夢に行き場はなくなる。 久遠の命を削るのも、ジャックに迷惑をかけるのも、嫌だ。選びたくない。 そしたら、もう、来夢には―― 『ライムお嬢さん、そんなことを悩んでいたのですか?』 「そんなこと?」 ずっと思い悩んでいたことを「そんなこと」と軽んじられて来夢は少しムッとした声で聞き返した。 それに対しジャックは穏やかな声音で言う。 『迷惑だなどと思いません、寧ろ大歓迎です。 私も貴女に傍にいて欲しいと思っているのですから』 「でも、」 『私は悪夢街を背負っているんですよ。 ライムお嬢さんを養えるほどの器量は持ち合わせていると自負しています』 ジャックの台詞に来夢は顔が熱くなるのを感じた。今、鏡を見たらきっと指輪に負けないくらい真っ赤かもしれない。 嬉しくて泣きそうだ。 「魔王様に伝えてください! 私はジャックを……悪夢街を選びます、って」 『わかった』 『魔王殿!? いつからそこに?』 もしかしてずっと会話を聞いていたのかと不安に思ったがリュウは「ついさっき」とさらりと答える。聞かれてはいないのかな。 『決断したようだな』 「あ、はい!」 『では、明日午後8時にそちらに迎えをやる。 それまでに準備をしておくよーに!』 リュウの声は明るかった。 準備って何を準備したらいいんだろうか。 |