壱 それは翠川来夢が6歳を迎える日のこと。 彼女の両親は不慮の事故で二度と帰らぬ人となってしまった。一人残された来夢は愛人の子であることから本家から追い出され、隠居中の祖母の元に預けられることになった。本家は来夢の父の本妻の息子が継ぐらしい。 「来夢だよね? ……覚えてる?」 優しく深い緑の瞳の少年が来夢と目線を合わせるために屈んでいる。 来夢は突然声を掛けられても動じずにただ真っ直ぐに少年の瞳を見詰めたまま首を傾げた。父に似ている、けど違う。 「僕は君の兄だよ。本当は僕が引き取りたかったのだけど……ごめん」 「……?」 「いつか迎えに行くから、絶対本家に連れ戻すから!」 少年は来夢の腹違いの兄だ。 来夢の手を握り必死に何かを訴えるが来夢は反応を返さない。ぼんやりと少年を見詰めるのみ。 少年の母親が来夢を疎ましく思っている以上、来夢が本家に帰ることなど叶うわけがなかった。 * * * 来夢が祖母に手を引かれ連れてこられたのは知らない家だった。これからはこの家で祖母と二人暮らしをせねばならない。 来夢は私物のほとんどを燃やされてしまったため、宛がわれた部屋には必要最低限の物しか置くものがなかった。 「終わったかい?」 「……うん」 ひょっこりと部屋に顔を出した祖母は来夢の部屋を見渡し「うむ」と唸る。子供部屋と呼ぶには相応しくない質素な部屋。両親に愛された6年間の思い出は全て本妻に処分されたのだから仕方がない。 「今日は疲れたろう、もう休みなさい」 祖母は出来るだけ優しく頭を撫でる。 両親の訃報を聞いてから今まで来夢は子どもらしく泣くことも強がって笑うこともしていない。本妻の嫌味にも次期当主の言葉にも顔色ひとつ変えやしなかった。 「おやすみなさい」 「はい、おやすみ。また明日」 そう微笑んで言ってやると来夢はぎこちなく微笑んだ。 眠るまで傍にいてやるべきかと悩んだが挨拶を交わして数秒後に規則正しい寝息が聞こえた。よっぽど疲れていたのだろうか。 * * * 祖母が部屋を離れて数分後、来夢は今日初めて涙を流した。 気付かれないように声を押し殺して泣いていた。 もう二度と両親に会えない。二人は来夢を置いて遠くにいってしまったのだ。両親との思い出も父に異常なまでに執着する女に燃やされて何も残ってなかった。腹違いの兄は来夢を気にかけてくれるけれど、それはあの女を逆撫でているだけだということに気付いていないようだった。 「お父さんっ、お母さん……どうしたら……るの?」 誕生日なのに。 毎年祝ってくれたのに。 今年は、今年からは、ひとり。 * * * 来夢は気付くと知らない場所にいた。 見たことのない街。空には星ではなく飴玉が浮かんでいて、辺りを照らす提灯が街を橙色に染めている。歪みきった月は笑っているかのよう。 「お嬢さん」 街の広場の真ん中に突っ立って空を見上げていた来夢は後ろから声を掛けられ、肩をびくりと揺らした。知らない街で、知らない人に声を掛けられる恐怖に怯えながらもゆっくりと振り向く。 来夢に声を掛けたのは腰のベルトに提灯をぶら下げた橙色の髪の青年だった。 「この街の住人ではありませんね。何処から来ました?」 「…………あの、ここはどこ……ですか?」 「知らずに来たのですか」 来た、というよりも気付いたらいたので返答に困っている来夢に気付いたのか、青年は屈んで目線を合わせるとにっこり笑った。 来夢は一瞬たじろいだ。悪意は感じないのに何故か怖い。 「怖がらせてしまいましたか、すみません。 ……私はジャック・オ・ランタンと申します」 「らんたん、さん?」 「ジャックと呼んでください」 来夢が戸惑いながら拙く「じゃっく」と呼ぶとジャックは「はい」と微笑んだ。 「お嬢さんの名前を聞いてもいいですか?」 「……らいむ、です」 「ライムお嬢さんですね。よろしくお願いします」 「うん!」 ジャックが手を差し出すと、すっかり警戒心の薄れた来夢は彼の手に自分の手を重ねた。 紳士が淑女をエスコートするかのようにジャックは来夢に悪夢街を案内した。 これが来夢が悪夢街に踏み込んだ経緯である。 来夢にとっては夢、ジャックにとっては現の出来事。 年に一度の不確かな逢瀬は確実に二人の距離を縮めていった。 |