顔 | ナノ

∇ 顔


 年が明けるまで、残すはいよいよ落陽ひとつ、という時分である。
 高校時代をどっぷり寮ですごした亮介にとって、帰省はもはや感慨深いものではなかったが、駅からの道に並ぶ店がちょこちょこと見慣れぬものに入れ替わっているのには、いささかの驚きを覚える。野球の練習帰りに菓子を買いに兄弟ふたりでよく寄っていた個人経営のスーパーが、いつの間にか面白みのかけらもない携帯販売店に変わっている。たった数百円の金額の会計の際に、調子はどうだい、今日は打てたかい、と面白そうに話しかけてきた初老のオーナーの黒ずんだ顔と、その横に佇み微笑む奥さんのふくふくの白い顔を思い出す。彼らが今なにをしているのか、知る術はない。
 およそ半年ぶりに、実家のインターホンを押す。ぱたぱたという足音が次第に大きくなり、懐かしいパーカーを着込んだ上にさらにブランケットを羽織った恰好の春市がドアの隙間から顔を覗かせた。亮介の姿を認め、口元を綻ばせる。
「おかえり、兄貴」
「うん。ただいま」
 テレビの音は聞こえるものの、他はいたって静かだ。
「父さんと母さんは?」
「おじいちゃん家行ってる。掃除したりおせち作るの手伝うって」
「ふーん。それで春市はひとり残ってこたつでごろごろ?いい身分じゃん」
「勉強がんばってるし、今日ぐらいゆっくりしてたら?って母さんが言ってくれたからだよっ」
「へえ。がんばってるんだ?」
「うん、それなりに……」
「受かりそう?」
「だから受かるように今がんばって、」
「お前じゃなくて降谷」
「……!?知らないよ、受かるんじゃない!?なんでいきなり僕じゃなくて降谷くんのこと聞いてくるかな」
「べつにおかしくないだろ、降谷だって俺の後輩なんだから」
「そうだけど……。兄貴はみかんいる?」
「うん、いる」
 キッチンへ向かう背中がぎくしゃくしているのを尻目に、亮介は洗面所に向かう。蛇口をひねり、石鹸を泡立てながら、鏡に映る顔をまじまじと見つめた。いつもの見慣れた自分が当たり前にそこにいる。
 倉持と亮介の関係が冗談では済まされない深さにもつれこんで、まだ1週間も経っていない。いっそのこと冗談にしてしまいたいほど、やたらに真面目で畏まった夜だった。翌朝おなじベッドで目覚めたときにおはようございますと告げた、生意気にしあわせを満喫する倉持の表情を、亮介はきっと一生忘れることができない。なにしろ、おはようという挨拶を覚えて以来はじめて、なんと返したらいいのかわからなくなった。単純なおうむ返しも出来ずに苦しまぎれのチョップを繰り出したところを、大事なものを確保するかのように抱きすくめられる。やっぱり当日のほうがおいしかっただのなんだの満更でもない文句を散らしつつ、崩れたホールケーキを朝食代わりに頬張り、玄関先で別れた。それから顔も合わせないうちに、年が暮れようとしている。何通か受信したメールの返事すらできていない。
 どうしたらいいものか。あのとき押し寄せた過多な情報をうまく処理しきれず、考えれば考えるほど余裕は奪われ溺れてゆく。意地を張りがちな亮介とは対照的に、倉持はふだんから言葉や態度を巧みに使って伝えてくるが、あんな一面は知らなかった。そして知らない倉持に、知らない自分までもを晒す羽目になった。ふたり以外の人間が知り得ない秘密を共有しているかのようで、落ち着かない。
 いい身分だとからかう台詞はどこへやら、リビングへ戻った亮介はちゃっかりとこたつにもぐりこむ。机には、気休めの英単語集が転がっていて、その横に花形のみかんの皮が一輪咲いている。単語集をぱらぱらと捲りながら、無責任な懐かしさに浸っていると、追加のみかんを積んだかごを持った春市がやってきて正面にごそごそともぐりこんだ。
 実家や寮に暮らしていたころは出されるがままに食べていた果物も、ひとり暮らしになるとめっきり食べる機会が減る、という発見とともにてっぺんのひとつに手を伸ばす。
「……わ、これすっぱい」
「僕のけっこうあまいよ。はんぶん交換する?」
 もらったみかんのほうが確かにあまかったが、問題はそこではない。
 亮介がまだ高校にいた頃から、降谷と春市のあいだでほわほわとしたなにかが浮上しているのは、明らかだった。野球バカの集団だ、気がついているメンバーがどれだけいるのかは定かではなかったが、少なくとも亮介にはそれが見えていた。おなじく野球バカであるはずなのに見えてしまったのは、自分もまさにそのほわほわの渦中にいたからなのかもしれない。現に倉持までもが、あいつらなんかおかしくないっすか、と早々に察していた。
 あの春市も、こんな風に落ち着かない心地を味わっていたりするのだろうか。亮介が知り得ない秘密を、降谷と共有していたりするのだろうか。まったくの赤の他人や胡散臭い人物なら、昔いじめっ子を片っ端から追い払ったように、容赦なく春市のとなりから引き剥がしていた。降谷だからと油断して放っておいたものの、そのへんのことがどうなっているのか、自らの置かれた状況にリンクして気になりだす。
「降谷とさ……」
「もーまた降谷くんのこと?」
「どこまでいった?」
「へっ!?」
 ぽかんとしていたのがじわじわと赤くなって、みかんが指先からこぼれ落ちた。この反応はまだだな、と安堵する。
「どういう意味!?」
「そのまんまだよ。わかんないならいいよ、お前にはどうせ百年早い」
「……」
「降谷にひどいことされたら俺に言いなよ」
「降谷くんは、そんなことしない」
「ふーん。すごい自信だね」
「……わかった」
 机に転がったみかんを口に含む。ほんとだすっぱい、と小さく呟いた後、亮介のほうを向く。
「倉持先輩となんかあったんでしょ」
「は?」
「やっぱり」
「……っべつに、春市が思ってるようなことじゃないし」
 拗ねた響きをくすりと揺らす、春市の仕草にむっとする。
「倉持先輩は待ってると思うよ」
「お前に倉持のなにがわかんだよ」
「わかるよ、ちょっとぐらい。僕だって、倉持先輩と組んでたんだからさ」
「生意気!」
 今度こそ耐えかね、こたつの中に手を突っ込んで足首を掴む。問答無用で足の裏を思いきりくすぐれば、春市は上体を起こしていることもできずにぱったりと後ろに倒れる。身体を捩ったりこたつから這い出ようとしたりして逃れるのを許さずしつこく追跡する。子供の頃のくすぐり合いでは負けたことがないのだ。
「ちょ……っ、もう離して」
「やだ」
「く、くすぐったいよっ」
「くすぐってるからね」
「ごめん、ってば!」
「ほんとにっ、どいつもこいつも、生意気でむかつく」
「兄貴……」
 どいつもこいつも、になにかを感じ取ったのか、大人しくなる。とたんにつまらなくなったから、足首を解放してあっさりとこたつから立ち上がった。
「どこ行くの?」
「手、洗ってくるんだよ。春市の足の裏触った手でみかん食べたくないから」
「ひどい、そっちからくすぐってきたくせに」
「うるさいな、またくすぐられたいの?」
「……」
 無言で背を向け丸くなった春市が、亮介の手の中の携帯に気づくことはない。
 声の届かない2階の自室に引っ込み確認すると、それは倉持からのメールを新たに受信していた。もう実家に帰ってるんですか、というなんでもない内容のメッセージではあるが、何気なさを装った必死さが窺い知れる。同時に頭の中で、倉持先輩は待ってると思うよ、とさきほどの春市の声が重なる。あんなことを言うようになったのは、最近のことだ。沢村や降谷の世話をしているうちに、前よりも少しおせっかいになったのではないか。
 なんにも知らないくせに、言い返しながらスクリーンに触れ、耳に充てる。
『亮さん!?』
「もう家に帰ってるよ。倉持ももう帰ってんの?」
『はい。昨日から、てゆうかなんで今までなんにも返事してくれなかったんですか!?あんなことがあった後だから、てっきり嫌われたのかと……』
「あんなことがあった後なのに、嫌うわけないだろ」
『……ですよね!俺、あれから亮さんのことしか考えられなくって、でもなんか落ち着かないっつーか、俺は今まで亮さんのなにを見てきたんだろう、って、あっいやもちろん前からすげえすきだったんですけど、今はすっげーすっげーすきで』
「俺はそこまで言ってないよ」
『言わない……、だけでしょう?』
 心臓を掬われる。あの朝の表情をしているのだと、直接顔を見なくてもわかる。嘘をつくことも、肯定をすることもできず、またも言いよどむ亮介に追い討ちがかかる。
『そういう扱いが面倒なとこもすきですけどね!来年も、よろしくお願いします』
「……年が明けてから言うもんだよ、ふつうは」
『そうっすか?じゃあまた明日電話しますね。明日、って言っても今日の夜中?年が明けた瞬間に』
「勝手にすれば」
 うっかり口を衝いた禁句にしまった、と思うもすでに遅し、相手は絶好調のときの笑い声をあげている。そんなピークの時間帯に電話をしてもどうせ繋がらないと捨て台詞を残し、足音を立てないようそっと階段を降りてくれば、丸まったままの体勢で春市がのん気に寝息を立てていて、亮介はどこか晴れやかな気分で無防備な脇腹にふたたびくすぐりの攻撃を仕掛けた。



おわり

っていう話を、大晦日のうちにアップしたかったのですよ。その後余裕を修得する倉持と、余裕をなくす亮さん。くらりょの書き方わからなくなってしまったかも。2013.01.01

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