∇ 冷やかしの客 (早く帰りたいな……) 忙しい昼時をなんとか乗り越えた中途半端な午後、客を待機するという名目で、降谷は店の入り口付近に突っ立っている。ぼーっとしないで常に自分から仕事を見つけて動け、と口うるさい店長は、休憩室で遅めの昼食を摂っている。これさいわいと、思う存分ぼーっとしているわけだ。 大学に入学してすぐ、ファミリーレストランでアルバイトとして働きはじめた。面接のときには、キッチン中心で忙しい時間帯にはホールにも出ることになる、と告げられ同意したはずなのに、研修期間の皿洗いの段階でキッチンでは使い物にならないと見切りをつけられてしまったようである。ホールはホールで、笑顔が足りない、ぼそぼそしゃべらない、だらだらしない、注文を間違えない、とあれやこれや注意されてばかりだが、今のところ客からの大きな苦情は来ていない。イケメンはいいねぇ、とこれまた店長に嫌味を言われる。 予想よりも遥かに大変な仕事の内容に、何度か辞めようと考えたこともあった。家に帰って、もう辞めると春市相手に愚痴のようなものをこぼすたびに、楽なバイトなんてないよ、もうちょっとだけがんばってみたら?と励まされ丸めこまれて、まだ辞めないでいる。 今朝抱きすくめたときの照れた表情を思い出してほっこりとしていたら、透明のガラス扉の向こうに人影がちらついた。 「いらっしゃいませ。……あ」 よく知った顔だった。しかも、そのうちのひとりは今まさに頭の中にいた人物だ。 「春市。……と沢村くん」 「遊びにきちゃった。栄純くんも来るっていうからいっしょに」 「よう、降谷!」 シンプルなストライプのシャツに黒いズボンという一般的な制服に身を包み、マニュアル通りの接客をしただけだ。それでも沢村にとっては、降谷がこんなところでいらっしゃいませ、などと言っていること自体がすでにおかしいらしく、顔を見たとたんに指を差してけらけらと肩を揺らす。いささかむっとするも、他のアルバイトや客がいる手前、なにもできない。沢村のよく通る声のせいですでに数人の視線を集めている。客と談笑していた、と後で伝わったら面倒だ。仕方なく、こちらへどうぞ、といつも以上にぶっきらぼうにつづけ店の奥へ案内しようとすれば、沢村はしつこくぷは、と吹き出した。 少し離れたところから、頭を寄せ合いひとつのメニューを覗きこむ春市と沢村を眺める。途中、店を去る客の会計に応対し、空の皿をキッチンへ戻さなければいけない邪魔が入った。ひと仕事終えたのち、ハンディターミナルを片手にふたりの腰掛けるテーブルに近づく。 降谷を見上げるふたりはにやにやしている。 「様になってたよ」 「笑顔は足んねえけどな!」 「……ご注文は?」 「なあなあ、この店員さん俺らにだけ余計に冷たくね?ご注文はお決まりですか、とかじゃねえの?」 沢村が降谷を見ながらわざとらしく春市に耳打ちをする。 「…………(つーーーん)」 「えーっと……、僕はアップルジュースにしようかな」 「俺はメロンクリームソーダで!」 まだ若干おぼつかない手つきで注文を入力する。それだけ?と問うような視線を無意識に送っていたのだろう、春市が申し訳なさそうにする。 「ごめんね、昼ごはんはべつのところで食べて来ちゃったんだ」 「お好み焼きすげえうまかったぜ!な、春っち」 「うん」 どうやらほんとうに降谷を冷やかすためだけに来たらしい。迷惑だった?という春市に、軽く首を振る。こんな風に親しい人間(うちひとりはかわいい恋人だ)がわざわざ客としてお金を払ってまで様子を見にきてくれるだなんて、数年前までは想像もつかなかった。御幸に球を受けてもらいたい一心で東京の高校に飛びこみ、野球を通してたくさんの良い出会いに恵まれた。大学で新たな人脈が広がりつつある今でも、青道のメンバーはこころを許すことのできる特別な人たちだ。こんなことは言葉にも態度にも表すつもりはないが、降谷は沢村にもおおいに感謝している。 妙な感慨に浸っていると、大きな茶の瞳がきゅ、と細められる。 「お前もバイトがなきゃ来れたのになー!」 「……メニューを返してください」 「ほらよ」 「降谷くん、今日は何時までだっけ?」 「5時」 「そっか」 こくんと頷き、テーブルを離れる。キッチンから大した距離がないせいで、たのしげな声が途切れ途切れに聞こえてくる。 「それで?」 「だから……が、………で、……なんだよ」 「ははっ、栄純くんの勘違いなんじゃない?」 「なっ、そんなことはない!ところで、……はどうなんだ?……なのか?」 「えー、うん。……だよ」 気になってちらりと盗み見れば、春市がほんのりと頬を染めながらなにかを言っているところだった。耳を最大限に大きくしてみるが、潜めた声は聞き取りづらく、肝心のところが抜け落ちてしまう。降谷を置いてけぼりにして、ふたりは顔を見合わせてにこにこと笑っている。輪に入りたくて、うずうずする。積極的に会話に参加したいわけではない、ただその場にいたいのだ。 沢村、降谷、春市の3人でいるとき、たいていは沢村が話題を見つけ喋りはじめる。春市がときに優しくときに厳しく、合いの手を入れる。やがて揃って笑ったり、じゃれたりする。その光景を半歩後ろから眺める降谷を、春市が不意に振り返り、会話に加わるきっかけになるような質問を投げかける。せっかくのそれを膨らませるでもなく、降谷はただ頷いたり、首を振ったり、短く答えたりする。沢村が突っかかってきたときには、いつものように無視で返す。場合によってはオーラも燃やす。 一連のやり取りは嫌いではない。仲の良い沢村と春市を見ることですら、嫌いではなかった。自覚の有無はべつとして、降谷は1年のころから春市に想いを寄せていたが、当時からそのことで沢村に妬いたことは不思議と1度もなかった。 常に沢村に側にいられたらうるさくてたまったものではない。しかし同時に、大人になってもこの関係が変わらなければいいと思っている。 バニラアイスクリームをディッシャーを使って丸く掬う。ドリンクとデザートを用意するのは、ホールの仕事なのだ。 「お待たせしました」 「おう、おっせえぞ!さては、俺らだと思ってなめてやがったな」 「もう栄純くんいいから……」 「アップルジュースと、」 春市の前に、グラスをなるべく静かに置く。 「……ホットファッジサンデーでございます」 親の敵のようにホイップクリームを堆く盛った背の高いグラスは、沢村の前に置く。 「は!?こんなもん頼んでねえし!わざとだろてめえ」 「…………(つーーーん)」 「俺のメロンクリームソーダはどこに行った!」 「これでもいいじゃん。おいしそうだよ?僕も手伝うから、いっしょに食べようよ」 「ぐ……っ、春っちがそう言うなら仕方ない……」 「これ、降谷くんが作ったの?」 「うん……あ、はい」 「すごいね!」 その通りにすればみんなが作れるマニュアルのはずなのになんでお前はできないんだ、と先輩に何度も呆れられながら、最近ようやく店に出せるものが作れるようになった。嫌がらせのつもりで持ってきたサンデーだったが、春市に褒められてほくほくする。 「ほくほくしてんじゃねえ!スプーンもうひとつ持ってこーいっ」 「少々お待ちください……」 なんだかんだ言って、サンデーをきれいに完食したふたりを見送る。ありがとうございました、と頭を下げる降谷の耳元に春市がそっと近づく。 「5時までこのへんぶらぶらして待ってるよ。いっしょに帰ろう」 そのひと言だけで、この後に来るかもしれないやっかいな客も店長の小言も、なかったことになる。帰り道で、さっき沢村となにについて話していたのか聞こう、とこころに決めた。 おわり この3人がだいすきで書きました。結局ちゃんと食べて帰っているので、正確には冷やかしの客ではないのですが、この題がしっくりきました。2012.12.13 main . |