雪さえとける夜 | ナノ

∇ 雪さえとける夜


 大きなクリスマスツリーや豪華なイルミネーションはないものの、商店街の街灯にはリースや雪だるまの形をした電飾が括りつけられ、赤や緑にちかちかと点滅している。早々に暮れる陽を追って広がる群青の空にそれらが映えはじめる時間帯、行き交う人はみな、それぞれのあたたかい場所を目指す。師走の浮き足立つ通りをチキンとケーキの入った袋をぶら下げて歩く倉持と亮介も、すっかり景色に溶けこんでいた。
 亮介が横目で送る一瞬の視線に気づいた倉持が返す笑顔は、さっぱりとしている。数日前にあったやり取りを忘れているはずがない、もっと舞いあがっているかと思いきや、存外にふつうだ。公衆の面前でその話題を口にしようものならすかさずチョップをお見舞いしてやろうと目論んでいたのに、どうやら杞憂だったようだ。しかし、財布と携帯をポケットに突っ込んでいるだけの普段の休日のスタイルに反し背中で揺れるバックパックが、泊まっていくつもりなのだとさりげなく主張している。
 地元の洋菓子店の紙袋に収まる、それなりに重量のある箱を亮介は覗きこむ。
「これほんとに食べきれんの?」
「さっき店で実物見たけど、思ってたより小さかったじゃないですか。ちょろいっすよ!」
「じゃあ俺がお腹いっぱいになっても倉持が責任持って食べてくれるんだね。安心安心」
「う……、もちろん!やっぱクリスマスのケーキは丸ごとじゃねえと!チキンもうまそうだし、たのしみっすね」
「なんかすごい張り切ってない?昔からそんなにイベントずきだったっけ?」
 問いかけに、倉持は首をすくめる。頬と鼻先が気持ち赤いが、単に凍てつく風に晒されているせいなのか区別がつかない。
「クリスマスをいっしょにすごすって、……付き合ってるって感じしませんか。去年は俺が受験で忙しくてなんにもできなかったし」
 付き合ってるとか、外で言うな。チョップのボーダーラインぎりぎりの発言だったが、忙しない往来に紛れる自分たちの会話に誰かが聞き耳を立てていると仮定するのも自意識過剰かもしれないと、軽く流すことにする。
「そういやそうだったね」
「だから今年は2年分です!つーか4年分?」
「高校時代もいっしょにすごしたじゃん」
 クリスマスなのに部活なんて切ない、と口々に言いながら、なかばやけっぱちで冬の厳しいトレーニングに励んだ思い出が鮮明によみがえる。夜は寮の部屋に集まって、缶ジュース片手に菓子を頬張りながらふざけあった。まだ1年だったとき、倉持はパシリ役でコンビニと寮をひたすら往復していたし、2年のときにはせっかく亮介が顔をだしてくれたというのに微妙な関係が気まずくて、中田とゲームばかりしていた。
「……あんなのいっしょにすごしたうちに入りません」
 不満たっぷりに拗ねる倉持がおかしくて、亮介はくすくすと笑う。
「もう4年も経つんだ。早いね」
「そうですね……」
 しみじみとついたふたりぶんの白い息は漂い、そしてふわりと消える。
「……飲み物、まだ買ってなかった」
「亮さん家にあるもんでいいですよ」
「牛乳しかないけど。それかコーヒーかお茶」
「あーさすがにそれは……コンビニ寄っていきますか」
 大学に通いはじめてから、多少のアルコールはいっぱしに嗜むようになった。クリスマスといえば、恰好の飲酒の機会である。恋人同士は洒落たレストランやバーで静かにグラスを交わし、パーティを開く友人同士は賑やかにジョッキをぶつける。それでも、ふたりにはふたりの事情がある。
 これまで大事に深めてきた関係だからこそ、酔った勢いというのは嫌だった。そのときを紛れのない意思を持って迎えるためにも、すべての瞬間を記憶に焼きつけるためにも、今夜は素面のままがいい。ビールやチューハイの缶が並ぶコーナーをあっさりと通りすぎた倉持が選んだのは、色だけはシャンパンに少し似ているジンジャエールだった。
 家路を急ぐ。

 ケーキだけを冷蔵庫にしまい、買ってきたものをさっそくテーブルに広げる。雰囲気たっぷりの脚付きグラスなどあるわけもなく、馴染みのシンプルなグラスを翳す。はじける泡の向こうで、暗色の虹彩がきらきらしている。
「んじゃ、クリスマスおめでとうございます!!」
「そこはメリークリスマスって言うとこだろ」
「メリーってなんか照れません?」
「なんで?いつももっと恥ずかしいこと言ってるじゃん」
「〜〜っ、亮さん!」
 思い当たる数々の節に、吹き出しそうになったのをどうにか飲み下し、恨めしい目でじっと睨みつける。睨まれているはずなのにちっとも怖くない、それどころかこれが見たくてときどきからかいたくなってしまう、豊かな倉持の表情のなかでもお気に入りのひとつだった。おくびにも出さず、視線をさらりと躱してさっそく料理に手をつける。
「ん。うま」
「ほんとっすか?俺も食おっと!」
 うまいを連呼しつつ、チキンをぱくつく。
「こんなクリスマスらしいクリスマスははじめてですよ」
「倉持の家はクリスマスやんなかったの?」
「一応やりましたけど、チキンっつっても唐揚げだったり、親父かじいちゃんが焼き魚食いたいっつったらクリスマスだろうが魚が出てきたり、そんないいもんじゃなかったです」
「へえ。倉持でもサンタ信じたりした?」
「はい、一応。幼稚園のころは、親がサンタ名義でプレゼントくれましたから」
「それでイブの夜はわくわくしながら寝たりしたんだ?そんなかわいい時期が倉持にもあったんだね」
「そりゃあ、まあ!雑なサンタだったんで、近所のおもちゃ屋の値段シールが貼ったまんまとか、頼んでもない駄菓子の詰め合わせとか、そんなんばっかでしたけど。で、近所のガキ大将にサンタなんてほんとはいないんだぜーって言われて終わりましたね」
「ははっ。俺は春市がしばらく信じてたから、おまけで長めにプレゼントもらってたよ」
「弟くんいつまで信じてたんすか?」
「小……5?だったかな?」
「遅!それまで亮さんは夢壊さないであげてたんですね。優しい」
「あいつちいさいころはかわいかったから。それに信じてることにしたほうが、プレゼント多く貰えて得だしね」
「亮さんはガキのころから亮さんだったんすね……」
「なにそれ、どういう意味」
「いやいやなんでも……。そろそろケーキ出しますか!」
「うん。いいね」
 立ち上がった倉持が冷蔵庫からケーキを出してくる。店のショーケースではちいさく見えたそれも、狭いテーブルの上では立派な存在感を放っている。
「どうします?ナイフ持ってきますか?」
「なに弱気になってんの?このままフォークでいくに決まってんだろ」
「おお、亮さん男前!!」
 目の前にでんと居座るホールのショートケーキに直接フォークを刺して挑む。いちごを乗せた特大のひと口を思いきり頬張って顔を見合わせた。
「ケーキもうっまー!」
「思ったよりあまくないね。これならけっこういけんじゃない?」
「はい!」
 ホイップクリームを侮ってはいけない。ふわふわと軽いそれは、しかし確実に胃を満たし、満腹中枢を刺激する。はじめのうちは勢いよく進んでいたフォークも、ケーキがはんぶんもなくならないうちにだらけてくる。亮介がひと足先にギブアップし、後ろのフロアソファにぱったりと倒れた。
「俺はもう無理。あとはよろしく」
「えっ、まだこんなにあるのに」
「丸ごとがいい!って張り切ってたのは倉持だしね」
 ひとり残された倉持がうーうー言いながら戦っていると、亮介が不意に身体を起こす。
「お腹いっぱいなら無理矢理食べなくていいよ。ケーキがかわいそうだからさ」
「でも、せっかく買ったのにもったいないです」
「明日の朝ごはんにでもすればいいよ」
 明日の朝ごはん。ふだんはあまり耳にすることのない、たとえしたとしても心配するのはお門違いな話題が、今夜だけは倉持にも関わっている。おととい電話で泊まっていく約束を取りつけて以来そのことに触れてはいなかったが、亮介もそのつもりでいるのだと言外に示してくれている気がして、倉持は安堵する。
「朝からケーキっすか。それもクリスマスの翌日っぽくていいかもしれませんね」
「朝ごはんにホットケーキ食べたりするじゃん。あれとおんなじようなもんだよ」
「んなもん俺ん家じゃ死んでもでねえっすよ。サンタがいつまでも来るわ、ホットケーキはでるわ、なんなんすか小湊家は」
「ふふ。今度来てみる?」
「……えっ!?えぇ!すげえ緊張……、亮さんの親御さんに俺はなんて挨拶したらいいんだかっ」
 露骨にうろたえる倉持の反応に、亮介が面を食らって赤くなる。チョップのなりそこねのような平手が髪にぼふんと埋まる。
「なんか勘違いしてない?元チームメイトって紹介するだけだし」
「あ、そうですよね」
「そうだよ」
 急にぎこちなさが差す。数秒走った沈黙ののち、クリームが溶けるから食べないなら冷蔵庫にしまってきなよ、と命令がくだる。倉持が組み立て式の白い箱を元通りに閉じるのにもたついているあいだに、亮介はすばやくテレビの電源を入れた。
 この時期になると放送されるおなじみのクリスマス映画が、中盤に差し掛かっている。
「この映画懐かしい。昔よく見たなぁ」
「そうなんですか……」
「見たことないの?」
「はい」
「せっかくだから見よっか」
「でも、途中からじゃ……」
「見てればわかるって」
 ソファのとなりを叩き、座るように促す。テレビのスクリーンを見つめたままの亮介が、どこか不満そうにしている倉持に気づくことはない。ささやかな反論を平然と弾かれてしまってはそれ以上でてくる言葉もなく、仕方なしにのそのそと腰掛けて、背もたれに肘をつく。幼いころに見ていた映画を鑑賞するのもまだまだ知らない亮さんを知る機会のひとつ、と自分で自分を宥める。エンドロールまで、あとどのぐらいだろうか。ともすれば矢のようにすぎさってしまう1時間あまりは、今の倉持にとっては永遠に等しかった。
 待ちきれずに手を伸ばす。背中にぴたりと寄り添って肩に顎を乗せてみるが、亮介はとくに抵抗をすることもなくじっとしている。暫しそのまま許容されることのよろこびを噛み締めていたものの、すぐ横の耳がどうしても気になってそわそわする。思いきってそこに口づければ、驚いたのか腕の中の身体がわずかに跳ねる。たったそれだけのことで、箍が外れるあのときの感覚に引きずりこまれそうになる。
 おなじ過ちはくり返してはならないと、切実に名前を呼んだ。
「亮さん……っ、まだ……?」
 亮介が振り返る。瞳の中になにを見たというのだろう、またすぐに前を向いてしまった。倉持ががっかりしたのも束の間、エンドロールを待たずしてテレビの電源が落ちる。
「……、風呂入ってくる」
「そのあいだにテーブル片付けておきますね」
 着替えを持っていそいそと浴室へ消える後ろ姿を、夢見心地で見送る。

 入れ替わりに風呂に入った倉持が浴室から出てくると、部屋はすでに真っ暗になっていて、よもや眠ってしまったのではと焦った。
「亮さん!?」
「……なに」
「よかった、起きてた。なんでこんなに真っ暗なんですか、これじゃあ亮さんの顔も見れない……」
「電気ひとつでもつけたら、しないから」
 それは困る、と駆け寄ろうとして、テーブルに脛をしたたかに打ちつけた。
「あだ!!」
「なにしてんの、こっちだよ」
 声にいざなわれて行きつきたのは、何度も訪れているにも関わらず1度しか踏み入ったことのない、やわらかに沈みこむ狭い四角だ。ごそごそとあがりこめば、呼吸に揺れる空気や温度を近くに感じる。倉持はそれらを探り探り追った。
「いた……、亮さん」
 唇を触れあわせ、額をこつんとぶつける。うまい流れの作り方などわからず、唐突に切り出すしかない。
「えーっと。脱いでもらっても、いいですか……?」
「うん」
「……待った!やっぱ俺がやります」
「服ぐらい自分で脱げるよ」
「俺が、そうしたいんです」
 長袖のTシャツの裾を掴み、慣れない手つきで引っぱりあげる。ボタンを外す手間もなにもなく、たやすく素肌があらわになる。倉持もたった数分前に纏ったばかりの服をさっと脱ぎ捨てた。ほんの一瞬だけ悩み、2枚の服はまとめて床に落とす。改めて亮介に向き直れば、自分がやると意気込んだわりになんとも呆気なかったのをおもしろがっているのが、伝わってくる。
「満足した?」
「茶化さないでくださいよ」
 亮介だって大真面目だ。思わず茶化すようなことを口走ってしまうほど、緊張しているだけなのだった。
「……ごめん」
「そんな。亮さんに謝られると調子狂う……」
 そうっと抱きしめる。
 素肌を触れあわせる抱擁は、今までのものとはまったくの別物だった。あまりの心地よさにほう、とため息がこぼれ、ずっとこうしたかったのだという実感が押し寄せる。男ならば誰しもが持っている欲を吐きだすためだけではなく、惹かれあっている同士らしく、ちいさな慈しみを積み重ねていくようにじっくりと触れてみたかった。
 こんなに暗くては亮介の顔も見られない。さきほどの台詞とは裏腹に、目が慣れてくると照明がないことはさして問題ではなくなる。倉持より少し色調の明るい肌が浮かびあがって見える。視線の軌道をいくつもの口づけがなぞった。
 首すじ、鎖骨を伝って胸元にたどり着き、うすく色づいた箇所を唇で包みこむ。
「倉持……っ」
 ちゅうと音を立てて吸いついたら、戸惑う声が上から聞こえた。
「ごめんなさい……、びっくりさせちゃいました?」
「…………」
「男でも気持ちいいって読んだから」
「そういう問題じゃ、」
「そういう問題ですよ」
 しつこく吸いついているうちに、突起の形がはっきりとしてくる。舌の先で嬲ったり唇で挟んだりするのを受け入れるように、亮介が髪をくしゃりとかき回すくすぐったさに、まだまだ序盤だというのにしあわせが立ちこめる。勘が呼びかけるのに従って下半身に手をやれば、服の上からでもわかるほど立ち上がっている。何度か撫でたらそれだけでたまらなくなって、残りの衣服をすべて取り去った。
 物心がついてからというもの、浴室ではない場所で裸になったことなどない。エアコンがついているとはいえ冬まっただなかだというのに、火照った全身は寒さひとつ寄せつけない。こころもとなくて、亮介は不安に駆られる。
「お前も脱げ……!」
「わかってますって」
 そう告げる声はひどく優しく、余裕すら漂っている。倉持のくせに、という悪態が口をつく前に、おなじく一糸纏わぬ姿の倉持が覆い被さってきて愛撫を再開する。この先の未知の行為では不快な思いをさせてしまうかもしれないから、その前に果てるほどの快さを与えたいというのは、この2日間にあれこれと考えて練った計画の一端だった。
 右手を上下に動かしながら、左手を顔の側について覗きこむも、亮介は逃れるようにそっぽを向いてしまう。
「こっち向いてください。キスしたい……っ」
 おなじことを言ってうるさいとはね除けられた記憶はまだ新しいが、諦めがつかずに再度ねだってみる。返事はなく、息をするリズムがいささか変わったぐらいだ。今回は無視か、気まずいのをごまかそうと代わりの首すじに唇を寄せたときになって目が合った。口づけの合間に表情を見つめる。感じている表情をこんなに近くでちゃんと見るのは、はじめてだった。何度も頭の中で想い描いたそれとは、比にもならない。
「……んん!」
 果てる瞬間の表情を見るのも、はじめてだった。
 しかし、今夜はここで終わりではない。洗剤、整髪料、ティッシュ、シャンプー、歯ブラシ。まだ買い足す必要のないそれらを前倒しでかごに詰めこんでカモフラージュに使い、どうにか入手したコンドームとローションをバックパックから取り出すのもまた、おなじぐらい勇気のいることだった。すみで丸くなって息を整えている亮介の耳元で話しかける。
「亮さん、こっち来て」
 両足を投げ出して座り、自分の腿を指す。
「いろいろ考えたんですけど。これがいちばん恥ずかしくないって、思って」
 俺からは亮さんの背中しか見えないし。あ、でも声とか心配だったらべつの体勢でもいいです。亮さんがこれならいいって思える体勢なら、なんでも。もそもそときまり悪く付け足しつづける倉持を余所に、亮介は指された場所に意図した通り、向かい合わせに収まる。照れたように俯いている表情もいいな、と頬を緩めた矢先に予期せぬ刺激が走り抜けて、身を強ばらせた。すっかり煽られて欲情したそれを握りこまれている。乗っかる体勢を逆手に取られて、逃げることもできない。
 はっとして見上げれば、大人しく言われた通りにしているとでも思った?とでも言わんばかりに意地悪く微笑んでいる。
「ちょっと、亮さんっ、だめです……、んっ、く……っ」
「俺だけなんて納得いかない」
「……はぁ…っ、あ……も、ほんと……だめですってばっ!」
 強めに訴えて、ようやく手が止まる。
「なんで?」
「さわられたら、亮さんに集中できないでしょう。大人しく、掴まっててください」
 腕をひとつずつ取って、肩に掛ける。
「集中って……」
 呆れたようにぼやいていた亮介も、遠慮がちな倉持の手が臀部にまで降りてくると黙るしかないようだった。すべらかな肌の感触を確かめていたが、やがて意を決して奥まったそこに指を伸ばす。他人はおろか自分でも触れることのない部分に触れられてちいさく息を詰めつつ、抵抗することもなくすきなようにさせてくれていることに、感謝さえ覚える。
「できるだけ優しくするけど、俺もはじめてだから……、痛かったらちゃんと言ってくださいよ」
「……うん」
「が、我慢とかしたら怒りますからね!亮さんすぐ我慢するから」
 念を押して、指の先を侵入させる。爪まで入ったか入らないかのところではやばやと気がかりになって、訊ねた。
「痛くないですか?」
「平気……」
「ほんとに?」
「しつこい。そんなことしてたら朝になるよ」
「朝になっても亮さんを傷つけるよりましです」
「そんなの俺がやだよ。早くしろ……!」
「は、はい」
 入れたり出したりをくり返しながら、少しずつ範囲を広げ、より深いところにまで触れる。
「気持ちよく……ないですよね」
「気持ち、悪い」
「う、すいません。もうちょっとだけ、待ってください」
 気持ち悪いとまで言われてへこんでもめげずに、辛抱強く中をかき回す。
 どのくらいそうしていただろうか。首にある腕にぎゅうと力が込められて、亮介がつく息がふたたび熱っぽさを取り戻していることに倉持は気がついた。指がある箇所を通りすぎるたびに、鼻から抜けるような声がわずかにこぼれて鼓膜を揺らし、ここなんだと密かに悟る。それを言葉にして指摘したらきっとこのプライドの高い人の機嫌を損ねてしまうから、なにも言わずに空いているほうの手で背中を引き寄せて抱きしめ返す。静かな部屋に響く、たっぷりと染みこませたローションが立てる粘着質な音がいやらしくてどきどきする。
「……ん……、んぅ……っ」
「指増やしてもいいですか……?」
 縋る腕の力がひときわ強くなって、肯定の意思を伝える。
 タイミングがわからず踏み切れずにいたら、背中の薄い肉を思いきり抓られた。
「い!いたたた、亮さん痛いっ」
「いつまで、そうしてるつもり?もういいから、入れてよ……っ」
「なに言ってるんですか!ちゃんと慣らさないとつらいのは亮さんなのにっ」
「こんだけされたらもう慣れてる……倉持……!」
 受け入れてもいいとだけ思っていたのが、倉持のいっしょうけんめいな姿に絆されいつしか欲しいと思うようにまでなっていた。
「……っ、い、今ゴムつけますから……」
「つけてあげよっか?」
 倉持の手から正方形のパッケージをぱっと奪い、先端に被せた薄いゴムのそれを根元に向かって伸ばす。差し迫るそのときにめいっぱいに膨らんだ期待が苦しくて、倉持は亮介の首もとに頭を預けた。
「やっぱり、やめたほうが……」
「は?」
「いやっ、すげえしたいんですけど、でも亮さんのことが大事すぎて……怖くなってきたっていうか、すいません情けなくて……」
「ここは元気だけどね」
 ずっと立ち上がりっぱなしのものを指されて、かぁぁと赤くなる。
「亮さんっ」
「俺が欲しいって言ったら?」
 ごくり、と喉が鳴る。
「……いいんですね?」
「今さら余計なこと考えるなよ」
 亮介をシーツに横たえて覆い被さる。溶けあおうと試みる。
 時間をかけて解したとはいえ、指よりもさらに大きなものが押し入ろうとすれば、コントロールしようのない恐怖と緊張のせいで余計な力が入ってそこは狭くなってしまう。
「だいじょうぶだから、もうちょっと力抜いて……」
「ん、はぁ……っ、はぁっ」
 踊る呼吸が落ち着くのを待つ。顔を顰める亮介の額に浮かぶ汗や指先でていねいに拭い口づけを落とし、じわじわと腰を進める。そしてまた、呼吸が落ち着くのを待つ。気の遠くなるようなそれをただひたすらにくり返した。
 やっとのことでぴったりと繋がりあったとき、もともと高ぶっていた感情が堰を切ったように滔々と溢れ、流されて溺れてしまわないようにふたりはおたがいに腕を伸ばした。距離が近い。
「亮さん、亮さん……っ、入った……」
「う、……んっ」
「亮さんの中、やばい……っ気持ちいい……!亮さんは……?」
「……苦しい」
 ひやりとして反射的に退こうとする倉持に脚を絡めて許さない。この台詞はここで終わりではなかった。
「けど、う、うれしい……」
「亮さんっ!俺もっ、」
「バカ動くな……っ!」
「ごめんなさい、俺……、ずっとずっとこうしたくて……」
「知ってる」
「ひとりでするときも、こうすることばっか想像して……」
「それは、知らなかったよ」
「ひきました?」
 この期に及んで不安そうにする倉持を鼻で笑った。
「……かわいいじゃん」
「亮さん」
「倉持」
 しばらく身体を密着させたままでいる。心臓は相変わらずばくばくとうるさいのに、同時に眠ってしまいそうなほどに心地がいい、経験したことのなかった不思議な感覚だった。もうずっとこのままでいいや、とうっとりとしていると、首の後ろをやさしく撫でられる。
「倉持……、もう動いてもいいよ」
「え……あ、はい」
 ことさらゆっくりと腰を持ち上げ、沈める。はじめは半信半疑だったものの、あっという間に快楽に攫われて止まらなくなる。
「はぁ……っ、はぁっ、亮さん、いい……っ」
「ん、あ……っ」
 当初は苦しそうだった亮介も今は感じてくれている。そうわかったら一気に射精感が込みあげてきた。抗うように歯を食いしばる。しかし頭に渦巻くどうしても伝えたいことを言葉にしなければいけない。大きく息を吸いこんだ。
「亮さん……、あいしてる」
「!?」
「あいしてる……」
「……っ、俺も、あ、あい……っ」
 その瞬間、衝撃が火花のごとく散り、みなまで聞くことすらできずに倉持は果てていた。いくときはいっしょに、というせっかくの計画は最後の最後で台無しだ。亮介を置いていってしまったことが少し残念であり、そしてなによりも恥ずかしい。あまったるい余韻を悔し紛れにげしげしと蹴散らす。がっくりと項垂れて、亮介に頬を擦り寄せた。
「……俺、今」
「いっちゃった?」
「…………」
「しょうがないね」
 そう言うわりに、やけにうれしそうなのだった。肩甲骨のあたりをあやすように、ぽんぽんと叩く。倉持は名残惜しく繋がりを解き、いまだに固さを保っている亮介のそれに手を掛ける。自分だけよくなって終わりというわけにはいかない。
 ところが亮介に触れているうちに、あれだけの絶頂を迎えたばかりだというのに、底の知れない欲がまたもや顔を覗かせる。
「りょ、亮さん、もしよかったら……もう1回だけ……」
「…………」
「だめですか?」
「……夜のうちに寝かせてよ」
「はいっ!!次はいっしょにいきましょうね」
「お前が持ったらな」
「ひ、人を早漏みたいに言わないでくださいよ」
「え?違うの?」
 てのひらを返したかのように、なにやら失礼なことを言い出した口を塞ぐ。
 ホワイトクリスマスの予報が外れたことは、知る由もなかった。


おわり

これぞ茶番!長々とお付き合いくださって、ありがとうございました。2012.12.09

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