The Waves Travel through the Night Sky | ナノ

∇ The Waves Travel through the Night Sky


 倉持が出ていったほうを見つめ、亮介はしばし呆気に取られていた。
(なんだよあいつ……)
 たった15分前までは、いつも通りだった。
 学校帰りの電車に揺られていたら、倉持もちょうどおなじぐらいの時刻に着きそうだと連絡が入ったから、駅の改札で待ち合わせた。スーパーに寄って、晩ごはんの買い出しをする。アイスクリームのケースの前で亮介がなんとなく立ち止まれば、となりでかごを持って歩く倉持もそれに気がつき、冬はアイスうまいっすよね、買っていきましょうよ!と提案する。夏にも暑い日にはアイス欠かせねえっす!とか言ってたじゃん、とするどく指摘すれば、なにがたのしいのかヒャハハと肩を揺らした後、夏に食いたいのはかき氷みたいなアイスで、冬にはああいうのが食いたいんですよ、と力説しバニラアイスクリームに視線を向ける。悔しいながらも納得してしまった亮介は、指されたカップをふたつかごに放り込んだ。
 それから部屋に帰って倉持が料理をしているあいだ、伊佐敷に借りた漫画を読んでいた。読め読めと怖い顔で勧められるのは昔から、優柔不断な女が好意を寄せる男相手に勝手に舞いあがったり落ち込んだりするどうしようもない話と決まっている。だから今回もまったく期待はなく、ふーんこういうのまだ読むんだ?などとからかいつつ、1巻だけ借りたのだ。ところがこれが意外にもおもしろい。
 どうせしょっちゅう来るのだから倉持にも読ませてあげよう。はじめのうちはそう思っていたのだが、3巻から新たに登場した主要人物のひとりに、気が変わった。見た目は似ても似つかないくせに、どういうわけかやたらと倉持を彷彿させる。恐らくそう感じるのは亮介だけで、伊佐敷はおろか本人が読んだところでなんとも思わないだろう。それでもやはり、落ち着かないものは落ち着かない。そいつの存在を倉持だけには伏せておきたかったし、そいつの密やかな恋が叶わなければいいと平然と考えている。
 とにかく、漫画を閉じた瞬間からなにかが違う方向に動きはじめた。正確に言えばその少し後、倉持が新メニューの話を振ってきてから。さらに正確に言えば、亮介が倉持に。
(キスぐらい、俺からだってたまにはするじゃん)
 触れてくるのはほとんどが倉持のほうからだったが、だからといって倉持の片思いというわけではない。冷たくあしらう素振りを見せようが、憎まれ口を叩こうが、最終的にそこまで踏み込むことを許す亮介もおなじ気持ちなのだ。倉持からになることが多いのは単純に倉持がすぐに触りたがるからで、そうでないときに亮介が触れたいと思えば亮介のほうから近づく。
 それにしても、あんなに強引な倉持を見たのははじめてだった。ふだんはそわそわと亮介の反応を窺いながら、難色を示せばそれ以上は追ってこない。さきほどはまるで、亮介の抵抗が目に入ってさえいないようだった。蹴りがなんとか決まったからよいものの、決まらなかったらどうなっていたのだろう。
 亮さんのことが欲しいです。真剣そのものの表情と声色を思い出して、また頬が熱くなる。つまりはそういうことだ。
 青天の霹靂というほどでもなかった。確かに急に襲いかかってきたと思えば欲しいだの抱きたいだの騒ぎ立て、挙げ句の果てには人の話も聞かずに出ていった様子は嵐さながらだったが、その実薄々は感づいていた。おたがいが果てた後も足りないとでも言うかのように、しかしそれに抗うように、抱きついて離れないことがときどきあった。
 急襲だったから、反射で抵抗してしまった。亮介は亮介で、抱きついて離れない倉持がいつか葛藤を乗り越えてその先を求めてくるときには流されてやろうと思っていたのに。
(なにが、連絡待ってますから、だよ)
 要するに、倉持は抱く抱かないに関する議論の行方をすべて亮介に委ねたのだ。流されるだけのほうが百倍楽だった。自分勝手でもなんでも、倉持なりに考えて導いた決断をそっくりそのまま受け止めるぐらいの覚悟や想いなら持っているつもりだ。なにも言わずに汲んで欲しいのに、すべてきちんと言葉で確認しなければ気が済まないらしい。高校に入ってから更生したと聞いたが、へんなところでへんな風に真面目なのも考えものだ。
 どう切り出したものか。答えはとっくに出ている。しかしいきなり核心を突くのも憚られ、もう家についた?と当たり障りのない内容のメールを送る。どこをほっつき歩いていたのだか、着いていてもおかしくない時刻を何時間もすぎたころになって、つきました、と返信があった。

 それから1週間が経つ。上辺を撫でるようなメールのやり取りは相変わらずつづいていた。バイトで疲れただの、授業に遅刻しただの、文字上はあの日以前と変わりない。
 決定的に違うことがひとつだけある。今日亮さんのところに行ってもいいですか?と訊ねる、あのいつものメールをあれから1度も受け取っていない。つまり、倉持はあれから1度も亮介に会いにきていないのだ。多忙の時期に3日ぐらい空くことはしばしばあるが、1週間はさすがに不自然だった。会いにこられないときには必ずある弁解もない。そうなると、いつも通りのメールさえ不自然に思えてくる。
 ちょくちょく来ていた人が姿を見せなくなれば、寂しさを感じざるおえない。らしくない感情から目を背け、知らないふりをしつづけることにも疲れ、いよいよ認めはじめるのと同時に、苛立ちが募ってくる。
 そんなに俺に会いたくないならもういいよ、というメッセージを送りつけてやったのは、それから数日後の夜のことだった。案の定1分もしないうちに、携帯が震える。着信のパターンだった。
『違います!!ほんとは……すげえ会いたいです』
「でも会いにこないよね。どうでもいいメールばっかり送ってきてさ」
『……亮さんは、覚えてないんですか?俺は亮さんに無理矢理……、あのとき自分でもうまくコントロールできなかったっていうか、なにしてんのかよくわかんなくて。会いにいったらまたああなるかもしれないって思うと怖いんです』
「ふーん」
『それにっ、どうでもいいメールばっかりなのは亮さんだっておなじじゃないすか!俺はあのときの返事をずっと緊張して待ってるのに、昨日だって、み、宮ちゃんと飲みにいったとか……!』
「あのさ、」
『はい』
「そんな大事なことをメールで言うわけないだろ」
 反論しそこねた倉持が、ぐ、と息を飲むのが聞こえてきた。
「もし、俺が抱かれたくないって言ったら、倉持はずっと俺に会わないつもり?」
『……亮さんが抱かれたくないって言ったら、そしたら俺は……、ちゃんと理解するし、会ってももうあんな風にならないように、自分の中でけりをつけます。亮さんがいいって思えるまで待ちます』
「…………」
『亮さんがそういうの求めてなくても、いっしょにいたいし、は、離れたくないです……っ』
 必死な声が震えている。もしかしてこのまま泣いてしまうのではないか、とさえ思える。亮介が欲しいというだけで、離れたくないというだけで、それなりの年齢のいい男が泣きそうになっている。いつどこで、ここまですかれるようなことをしたというのだろう。そういう態度を取られると、亮介のこころはぎゅうと締めつけられて苦しくなる。
「なに泣きそうになってんの?もし、って言ってんじゃん」
『…………』
「俺は、倉持だったらいいって思ってるよ」
 はっきりと告げる。
 ごそごそ、がたーん。その矢先に聞こえてくる、携帯を取り落としたのだと容易に想像のつく雑音に、亮介は顔を顰める。
『……ほんとに!?ほんとですか!?』
「俺が今まで嘘ついたことある?」
『なっ、ない……、ないです。うわぁ…、俺、うわぁ……!』
「言っとくけど、倉持が聞いてくる前からそう思ってたからな。それなのに……、人の話も聞かないで帰るし」
『すいません!だって俺、あんなこと言うつもりなかったから、どうしたらいいのかもうわかんなくて……つーかほんとに!うわぁ、すげーどうしよう!!』
「お前がどうしようだよ。てんぱりすぎ」
『落ち着いてなんかいられないですよっ、あの亮さんが……』
「あの、とか言うな」
『……そうだ!もう遅いかもしれないんですけど、クリスマス……予定入れちゃいましたか?』
 倉持が自信なさそうに訊ねる。水面下でぎくしゃくしているうちに、クリスマスが間近に迫っていた。恋人がいると公言していない亮介は、今年も友人からパーティに誘われた。
「入れてないよ」
 どうなるかわからない倉持のために、下手をしたらひとりですごさなければいけないのを承知の上ですべての誘いを断った。時給150円増しのバイトのシフトも入れなかった。それぐらいのことはなんともない。
『よかった……その日、いっしょにすごしましょうね』
「うん」
『チキン食って、ケーキ食って。それから泊まっていってもいいですか……?』
「うん。いいよ」
『へへ!あの、俺がぜんぶ用意しますから。亮さんはそこにいてくれるだけで、いいですから』
「…………」
『ちゃんとがんばって、気持ちよくします』
「そういうこといちいち宣言しなくていいから。もう切るよ?」
『はい……亮さんっ』
「?」
『だいすきです!!』
「……じゃあね」
 亮介は言葉の安売りはしない。問題のクリスマスがもう2日後に迫っているともなれば、なおさらだった。



つづく

亮さんも倉持のことだいすきなのが伝わっていたら本望です。2012.12.04

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