2本の線と重ならない点 | ナノ

∇ 2本の線と重ならない点


 4時限目の世界史の授業中。黒板の内容をノートに写し終えて顔をあげた春市は、視界のすみに捉えたななめ前の背にちいさなため息を落とした。
(また寝てる……)
 机に突っ伏すことも、かくんかくんと船を漕ぐこともせずに、広げた教科書を両手で持ったままの姿勢で降谷は静かに微睡んでいる。入学して半年あまり、横顔すら窺えないこの角度からでも背を見るだけで彼が起きているのか否かの区別がつくようになった。今日は確か、1時限目の数学の授業中にも居眠りをしていた。2時限目の体育を適当にこなし(野球以外のスポーツにはさして興味がなく張り切るわけではないのにさらりと活躍し、クラスの視線を集めた)、そして3時限目の現代文ではアンニュイな雰囲気を漂わせつつ窓の外をぼんやりと眺めていた。
 降谷にとっての世界はきっと、きれいに二分されているのだろう。野球と、それ以外。幼い頃から兄とともに野球に明け暮れてきた春市だったが、ここまで極端な人は他に知らない。多少の個人差はあれど、集中力には限りがある。捻出可能な集中力をめいっぱいグラウンドでの活動に費やしているから、それ以外の場所ではぼーっとしているのだ。そんな言い訳じみた理屈でさえ、降谷ならば納得できてしまう。
 ふたりが強豪として名高い青道野球部のレギュラーメンバーであることを知らないクラスメイトは恐らくいない。それでも野球モードの降谷を知っているのは、ごくひと握りだろう。多くのクラスメイトの頭では、降谷=ぼーっとしている、という図式が成り立っている。たとえ試合を観戦したことがあって、降谷の怪物ぶりを垣間みていたとしても、その姿やオーラをあんなに近くで感じられるのはここにいる約40人の中で、後ろを守っている春市ひとりだけだ。そのことに、ちょっとした優越感を覚える。
 ここはテストに出るからな、という教師の声にはっと我に返り、慌てて星印をつけた。
(しょうがないなぁ。あとでノート見せてあげよう)
 そう考える春市の表情は、柔らかい。

 昼休みのざわつく教室、いまだに自分の席で目をしばたたかせている降谷に財布を片手に近づく。
「降谷くん」
「……?」
「早くしないと、降谷くんのすきな焼きそばパン売り切れちゃうよ?」
「うん」
 緩慢な動作で立ち上がった降谷と連れだって、購買部を目指す。
 春市が部でいちばん最初に仲良くなったのは、おなじクラスの降谷ではなく、沢村だった。そのきっかけとなった先輩との紅白試合では大胆な発言やプレーをしたものの、本来恥ずかしがりな春市は、降谷になかなか話しかけることができなかった。降谷は降谷で、御幸相手には積極的にぶつかっていくくせに、教室ではただ黙っているだけだ。今となっては、マイペースな性格と人付き合いに慣れてなかったゆえの態度だったのだと理解できるが、当時の春市にはわかるはずがない。練習についていくのもいっぱいいっぱいな時期、そんなことに気をもむ余裕すらなかった。
 人を自然に寄せつける沢村に巻き込まれるような形でぽつりぽつりと言葉を交わすようになり、さらに沢村と春市が一軍にあがってからは3人で行動することも増えた。そしていつのまにか、教室でふたりのときも話せるようになっていた。ほんのわずかな期間に起こった変化だ。そもそもチームが信頼を強め、あれだけの試合を繰り広げるようになるまで成長し、惜敗に涙するまでのすべての出来事がたった数か月間で起きている。それから新チームが発足し、いまだめまぐるしい変化のまっただなかだ。
 しかし、部員と部員としての関係とはまったく別の軸で動いているなにかが、降谷と春市のあいだには存在した。めまぐるい日々のふとした隙をついて、それを象徴する出来事が起こる。何気ない会話だったり、触れあいだったり、あるいは空気だったり、形は様々だ。いったいなにを象徴しているのか、全体像はまだはっきりしていない。
 長い列に並び、ようやく入手した昼ごはんを抱えてもと来た廊下を歩く。
「お目当てが買えてよかったね」
「うん。小湊くんは?」
「僕は今日はハムサンドとクリームパン」
「またクリームパン……」
「あ、ばれた?最近のお気に入り」
「へぇ」
「どうする?栄純くんのとこで食べる?」
 春市の問いかけに、降谷は首を振った。沢村のクラスには金丸もいるし、金丸と親しい東条やその他の野球部ではない沢村の友人が集まってきたりして、ふたりで食べるのよりもだいぶ賑やかな昼休みになる。降谷が頷く確率は半分をすこし切るぐらいだ。朝ごはんと晩ごはんは否応なく賑やかだから、たまには静かにすごしたいとかそういったことだろう、と春市は解釈している。それでも結局沢村のほうから遊びにくる確率は、4分の1ぐらい。
 気温は日に日に落ちてきているが、窓際の降谷の机にはほのあたたかな日だまりができている。ひとつ前の席の椅子を借りて、春市は降谷の向かいに腰掛けた。さっそくパンに齧りつく。
「昨日の夜さ、ゾノ先輩の寝言聞いちゃった」
「へぇ、寝てるときまで……」
「それ微妙に失礼だから。で、相手がたぶん伊佐敷先輩だったんだよね」
「なんでわかるの?」
「標準語の敬語だったから。ゾノ先輩の標準語ってやっぱりへんな感じする」
「そうだね」
「でも、最初にここに来て関西弁聞いたときは、全国からすごい選手が集まるところなんだなぁって緊張したよ。僕も東京出身じゃないけど、神奈川なんてすぐとなりだし」
「…………」
「そういえば、降谷くんはあんまり方言ないね?」
「そう?」
「うん。北海道から来てるなんてわかんなかったよ。気をつけてるの?」
 むぐむぐ口を動かしながら、首を振る。春市が、そっかと呟く。降谷の受け答えはあっさりとしているが、やり取りをたのしんでいないわけではないことは、言葉以外のものを通じてちゃんと伝わってくる。だから春市のほうから話のきっかけを作る。まるでおしゃべりになったみたいだと時折感じるのが、嫌いではなかった。
 いったん途切れた会話に、居心地の悪くない沈黙が取って代わる。このバランスがちょうどよい。
 サンドイッチを食べ終わり、クリームパンに取りかかろうとしたところで、降谷が口を開いた。
「小湊くん、」
 プラスチックの包装を破ろうとする手を止めて、春市は首を傾げつづきを促す。なかなかめずらしいパターンだ。
「……トリックオアトリート」
 つづいたのは、なかなかめずらしいどころか、耳を疑うフレーズだった。確かに今日はハロウィンではあるが、降谷はこういうことを言ってみせるタイプではないと思っていた。
「意味わかって言ってる?」
「うん」
「…………」
「トリックオアトリート」
「えーっと、じゃあ……クリームパンひと口あげる」
「だめ」
「え?」
「パンはお菓子じゃない」
「そんなこと言われたって、これぐらいしか持ってないよ」
「……いたずらだね」
「降谷くんが?僕に?」
「うん。小湊くんこそ、意味ちゃんとわかってる?」
「わ、わかってるよ!」
「それじゃさっそく……」
 降谷の手が伸びてくる。
「!?」
 ふに。両頬をつままれたのは一瞬だった。呆気にとられる春市を尻目に、パックのオレンジジュースのストローにそしらぬ顔で口をつける。
「なに……、なんで?」
「前からちょっと気になってたから」
 降谷くんでも野球以外のことで気になることがあるんだ。しかしその気になることがよりにもよって自分のことだったのに動揺してしまって、浮かんだ考えが台詞に変わることはなかった。つままれた部分が、後からじわじわと熱くなる。
 今日は沢村は遊びにこないのだろうか。春っちー、お菓子くれ!と今にもこっちの教室に飛び込んできそうな気がする。
 せめてあと1分は待って欲しい。



おわり

ハロウィンを無理矢理取り入れた感は否めない。うまくいけばまだ秋季大会の真っ最中の時期になにやってんの。こらこら。2012.10.31

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