トリックかトリートか | ナノ

∇ トリックかトリートか


 ハロウィンだからといって、街にお化けのコスチュームが溢れるわけではない。玄関のドアの前で、かぼちゃのランタンが目を光らせるわけでもない。せいぜいテーマパークでイベントがあったり、一部の者が仲間内でパーティを開いて騒ぐぐらいだ、日本での普及の程度などたかが知れている。倉持が午後になるまで今日がハロウィンだということを忘れていたのも、とりわけおかしくはない。
「はい。倉持くんにもこれあげる」
 講義開始5分前。学期のはじめに偶然となりの席になったことから話すようになった同学年の女子に、オレンジの紙に包まれたキャンディを差し出される。てのひらに乗るそれを一瞥し、倉持は首を傾げた。
「あ?なんだこれ」
「飴だけど」
「見りゃわかるっつーの。なんでんなもん俺にくれんだよ」
「ハッピーハロウィーン」
「……ん?あぁ、そういや今日はそんな日か」
「忘れてたんだ?」
「まあな。つかハロウィンって菓子配る日だったっけか?」
「ほんとはトリックオアトリートって言われたら渡すんだけどね。せっかくだから配ってんの!」
「へー」
 ありがとな。一応礼を言って、ジーンズのポケットに突っ込む。頼まれてもねえのにわざわざ金出して菓子配るなんて、女子って意味わかんねえな。そう思いながら、バッグからノートと筆記用具を引っ張り出した。

 夜、いつものように亮介の部屋でくつろいでいるときに、そのことを思い出した。亮介は今日がハロウィンだということを知っているだろうか。突然言って、驚かせてみようか。年上の恋人、ということもあっていっしょにいても普段は発揮されることの少ないいたずらずきの側面が、ひょっこり顔をのぞかせた。
「亮〜さんっ」
 となりに座ってテレビを見ている亮介に話しかける。やけにたのしそうな倉持に怪訝な表情をしつつも、振り返った。
「なんだよ?」
「へへっ、トリックオアトリート!」
「…………」
 亮介は一瞬ぽかん、とした後、くすくすと笑った。
「倉持にしては洒落たこと言ってくるじゃん」
「俺どんなイメージなんすか」
「それはまあ今はおいといて。……で?どんなおもしろいいたずらしてくれんの?」
「は?」
「まさかお菓子が欲しくて、そんなこと言ったんじゃないよね?」
「……!」
 先手を打たれた上に、ハードルをぐんと上げられる。確かにお菓子を期待していたのではない。お菓子なんか持ってないよ、と慌てもせずにひょうひょうと言う亮介はなんとなく想像していたのだが、まさかそれを見越していたずらを要求されるとは思ってもみなかった。明らかにうろたえて言葉に詰まる倉持に、亮介の笑みは深くなる。しかしここで退いてしまっては、この人の相手は勤まらないのだ。
「じゃあ、とりあえず目つぶって下さい」
「ん。これでいい?」
 口元は笑んだまま、亮介はふんわりと目蓋を閉じる。無防備ともいえるその表情に、倉持の心臓は高鳴った。まだまだノープランだ、どうすればいい。
(おもしろいいたずら、おもしろいいたずら……。くそっわかんねえ)
 そもそも亮介の「おもしろい」の定義がむずかしい。人気のお笑い番組を静かに眺めていたと思えば、突如関係ないようなシーンで笑いだしたりする人だ。
 突進することしか知らない倉持をひらりひらりと躱したかと思えば、気まぐれに迫って惑わせる。そして狼狽が醒めるころにはまた、すこし遠くにいる。強くて、弱くて、強い。いつだって、掴みきれない。
 近づきたくて、たまらないのに。
「……っ」
 有無を言わせない力で、かき抱いた。いつものそうっと窺って確かめるような抱擁とは違って、両腕ごと縛って身動きを許さない。噛みつきかねない勢いで、首すじに顔を埋める。そのまま、ふーー、と深く呼吸をした。
「なに、それだけ?」
 これでもずいぶん勇気を振り絞ったのに、声色すら変えずに亮介はそう宣った。
「もっと大胆なことしてくるのかと思ってたよ」
「えっ、じゃあ、」
 仕切り直しで。と言いかけるのを亮介の言葉が遮る。
「トリックオアトリート」
「…………」
「言われるとは思ってもなかった?」
「……菓子なんか、持ってねえっすよ」
 あの女子からもらったキャンディがまだポケットの中に入っていたが、あれは倉持に渡されたものであって、倉持から亮介へのもてなしにはならない。
「なら、いたずらだね?」
 目つぶってよ。耳元で囁かれて、さっきから鳴りっぱなしのどきどきがいっそう強まった。油断した腕から、亮介がするりと抜け出る。どうしようかな、という台詞はわくわくと弾んでいて、この状況をたのしんでいるのが伝わってくる。一体なにを企んでいるのだろう。亮介なら、とんでもないこともさらりとやりかねない、気がする。
 ぶわん。頭上で空気が揺れた。特大のチョップだ、そう瞬間的に理解して腹に力を入れる。
「……!!」
 ところが、予想していた衝撃はこなかった。代わりに額に落ちてきたのはほのかに温度のある柔らかな感触で、痛くもかゆくもないはずのそれは特大チョップよりもずっと大きな衝撃をもたらした。倉持は、ばっと額を押さえる。一瞬のことだったのに、まだじんじんと疼いている。
「なっ」
「まだ目開けるなよ」
「なんですか、今の!!」
「さあね、なにかな?」
 ちくしょう、おもしろがってやがる。歯を食いしばって、押し殺すように訴える。
「ずるいっすよ。こんなの……、ルール違反です」
「なんでだよ」
「俺が欲しがってるもんくれたって、いたずらにならないですから」
「……そう。じゃあさっきの倉持のいたずらは、俺がお前に抱きつかれるのを嫌だって思ってる、ってことになるね?」
 まるで、それが間違っているとでも言いたげな口調だった。亮介のいたずらが倉持にとっていたずらではなかったように、倉持のいたずらは亮介にとっていたずらではなかった。さっき倉持は亮介に抱きついた。つまり、亮介はいつも倉持に抱きつかれるのを望んでいる、ということにならないか。そこまで思考が発展するのに、数秒を要した。
「亮さん、それってっ!」
「だから目、開けんなって言っただろ……!」
 視界に入ったのは亮介の赤い頬で、この人も案外普通の人なのかもしれない、と倉持は思った。



おわり

でこちゅー書きたかったんだ!ふらみんさんのお誕生日をお祝いするつもりで書きました…!すこし早いですが、おめでとうございます!2012.10.29

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