亮さんのところ | ナノ

∇ 亮さんのところ


 倉持の携帯は、亮介から連絡が入ると、高校時代の彼のヒッティングマーチが流れるように設定してあるらしい。そのことを知ったのはだいぶ後になってからだった。なんだかんだまめだよね、と指摘すれば倉持は、個別に設定してあるのは亮さんだけっすよ、と恥ずかしい事実をあっさり認めた。かたや亮介の携帯は、すべての相手に一貫してバイブレーションのみのサイレントモードが適用されている。連絡をしてくる時間帯のパターンかただの冴えた勘か、寸分違わない細かい振動から倉持のものだけを区別してしまう亮介も似たようなものだ、ということは断じて認めない。そう誓った矢先にポケットが震え、直感が閃いた。
 "今日、亮さんのところに行ってもいいですか?"。週に2度か3度、へたをしたらそれ以上、つまりしょっちゅう受信するこのメッセージへの返事は、そのときの状況や予定によっていろいろだったが、倉持が来ないでおわったことは今のところ1度もなかった。いっそのこと、"今日、亮さんのところに行きます"に変えればいいのに、いつまで経ってもそうしないのが彼らしく、そして憎たらしい。
 3限目の、ひまな授業の最中だった。白い髪と黒い髪の割合がちょうど半々ぐらいの教授が、パワーポイントのスライドをスクリーンに映しながらぼそぼそとしゃべっている。指先でくるくると回していたシャープペンをノートの上に置き、亮介はすばやく今回の返事を打つ。"もう友達と飲む約束しちゃったんだけど"。
 それから1分も経たないうちに、ふたたび携帯が短く震えた。"平気です。待ってるんで"。言い回しこそぴったりではなかったものの、内容は思った通りだった。
「……………」
 勝手にすれば、と打ちかけてやめた。それはまさに、倉持をよろこばせるためだけにある禁句だった。調子づかせないためにはどう返せばいいか。悩みかけて、しかしすぐにばかばかしいと思い直し、"ふーん"とだけ返す。
 きっぱり断れば、逆らえない倉持は来ることができない。知っていながら、亮介の返事にはいつも、9割以上の拒否の色にわずかな希望が混ざっている。3日後に提出のレポートがあると言えば、ぜったいに邪魔はしませんからと返ってくる。疲れているからなにもしたくないと言えば、メシなら作るしマッサージもしますと返ってくる。そうやって倉持は、あたかも自分のほうが無理にわがままを通しているかのように振る舞う。
 すこしでも希望がある限り、諦めない。そのことを亮介が把握しているのを、倉持はきっとわかっている。つまり、どんなにきつくてもとんがっていても、"来るな"という言葉を含んでいなければ、まんざらでもない、ということになる。しかしそれを露骨によろこんでしまっては、亮介の意地も台無しだ。倉持のわがままということにしておけばいい。
 倉持は単純まっすぐばかに見えて、賢いところもあるのだ。"今日、亮さんのところに行きます"ではなく、あえて"今日、亮さんのところに行ってもいいですか?"と聞きつづけることで、ほんのりとあまい攻防をたのしんでいるのかもしれない。それが亮介にもなんとなく見えているからこそ悔しくて、憎たらしい。
 素直になれない亮さんもかわいいです。浮かびあがった倉持のうれしそうな表情を、スライドの文字でかき消した。

 友達にはもちろん、この後に約束ができたことは伝えない。あくまで先約が優先だ。居酒屋チェーンの3時間の飲み放題に、最初から最後まできっちりと付き合う。カラオケにも付き合う。飲むことが決まってから来ると言い出した倉持に、気を遣ったりはしない。本人が待ってるから平気です、と言っていたのだから、それでいい。
「亮さんっ!」
 だいぶ遅くなってから自宅のアパートに戻ってきた亮介の姿を見つけて、ドアの前にしゃがみこんでいた倉持が立ち上がる。スポットライトでも当たったかのように、顔がぱっと明るくなった。
「いつからそこにいんの」
「さっき来たばっかですよ。もしかして…心配してくれてんすか?」
「不審者だと思われて通報でもされたら困るって思っただけだよ」
「それって結局、俺が逮捕されちゃったらどうしようって心配してくれてんじゃ…」
「バーカ。この部屋の前で捕まったら、俺まで事情聴取されるだろ」
「なんだ…そーゆーことですか」
「うん、そーゆーこと!」
 倉持にとってのさっきは、どのぐらいの時をさかのぼるのだろう。たとえ丸1日待っていたとしても、まったくおなじ表情でおなじ台詞を言うのだろうな、と鍵を開けながら亮介は思った。
 待った時間や苦労のぶんだけ、たのしいことが巻き起こると思ったら大間違いだ。服や髪に染み付いたたばこや油のにおいが気になる亮介は、倉持をひとり放ってとりあえず風呂に入る。30分ほどしてあがってくると、倉持はベッドに凭れてテレビを見ていた。最近よく出る芸人が披露する流行りのネタに、ヒャハハと笑う。頬が意外にふっくらとしている横顔をなんとなく眺めながら、亮介はグラスに注いだジュースをごくごくと飲む。あたたまった身体に、冷えた液体が滑り落ちる感覚が気持ちいい。
 ついでにもうひとつグラスを用意して、テレビの前のテーブルに置いてやった。どこになにがあるか、もうとっくに把握しきっているぐらいしょっちゅうしょっちゅう来ているくせに、倉持はこの部屋の食べ物や飲み物に許可なく手をつけない。
「あざーす」
 視線や意識はテレビに向けたままの、おざなりな礼が癪にさわる。倉持のくせに。
「なにその態度」
「ふつうに礼言ったじゃないですか。それよりちょっと今話しかけないでください」
「…は?」
「いいとこなんですよ」
「ふーん。そんなにテレビがいいんなら、」
 ちょうどそのとき番組がCMに切り替わって、いいところではなくなった。倉持は諦めたように、亮介のほうを振り返った。顔が赤い。
「ああもう、嘘に決まってるでしょう。風呂あがりのほかほかした亮さんなんかまともに見たらやばいから、見ないようにしてただけっすよ!」
「ほかほかって……高校時代も俺、ちゃんと風呂入ってたんだけど」
「寮とここじゃぜんぜん違うんです!!」
「…………」
「寮じゃふたりになる時間なんかろくになかったし、それに亮さんはわかんねえかもしんねえけど、この部屋にいるだけで亮さんのこと何倍も近くに感じるんですよ」
 力説する倉持がおかしくて、亮介はくすくすと笑った。
「でもお前、何回も来てんじゃん」
「そ、そうですけど…。…………だって、今日はダメなんでしょう?」
「うん。明日もふつうに授業あるし」
「じゃあこっち来ないでください」
「……へんなやつ」
「…………」
「終電逃さない時間にちゃんと帰れよ」
「わかってます」
 テーブルの向こう側の倉持は不自然に視線を逸らし、さっきと同じ芸人を今度はじろりと睨みつけた。

「そろそろ帰ります」
 深夜のニュース番組がはじまったころ、倉持がのそのそと立ちあがる。いつも帰りはこのタイミングだった。倉持が住むアパートからここまで地下鉄を2回乗り継いで片道1時間半、ドアの前での待ち時間が推定1〜3時間、それなのにいっしょにいたのは亮介が風呂に入っていた時間を入れても2時間にも満たない。
「倉持さ、なにしに来たの?」
「そりゃ亮さんの顔を見に…」
「で、見れた?ちゃんと」
 くすくす。さっきのことをもう1回からかってみる。挑発された倉持は、ほかほかではなくなった亮介を、じいと見つめる。眉根がすこし寄っている、拗ねたような表情だ。
「今見てるとこです」
「じろじろ見すぎ」
 もう関心をなくした亮介は、ふいと顔を逸らす。
「ちょ…っ、亮さん…」
「ほら。これやるからさっさと帰れよ」
 逸らしたまま、拗ねる顔のすぐ手前にあるものを翳す。銀色のそれは、てのひらにしばらく握られていたせいで、すっかりあたたまっている。
「えっ、これって…!」
「やっぱり事情聴取は嫌だからね」
 倉持が密かに憧れつづけていた、合鍵だった。
「だって亮さん…、合鍵は作っちゃいけない契約だからダメって言ってたじゃないっすか…」
「スペアがいっこもないとは、言ってなかったけど?」
「亮さん〜〜〜」
「そのかわり」
 びし、とおでこを人差し指で突く。勢いまかせにちゃっかり伸びてきた両腕は、距離を詰めるのに失敗してぶん、と空を切った。
「これがあるからって事前に連絡もなしに勝手に来たら、即没収、即立ち入り禁止だからな」
「もちろんっ、ちゃんと聞いてから来ますよ!」

 "今日、亮さんのところに行ってもいいですか?"。



おわり

初倉亮。き、緊張〜〜〜!!2012.10.05

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