プレゼント | ナノ

∇ プレゼント


 ケトルの水が沸騰して、ひゅう、と音を鳴らす。リモコンの一時停止ボタンを押し、春市は立ち上がった。テレビのスクリーンだけを光源にしていた部屋が、キッチンの作業台を照らす蛍光灯ですこし明るくなる。
「降谷くんも飲むでしょ、紅茶」
「うん」
 レンタルショップで映画のDVDを借りてくるのは、決まって春市だった。アクション、コメディ、恋愛、SF、ミステリー。そのときの気分によって、ジャンルはまちまちだ。かならずふたりで見る。降谷は、4分の1ぐらいの確率で途中で寝てしまう。映画を見ること自体は嫌いではないが、ストーリーに入りこむことは苦手だった。四角の中で運命に翻弄される主人公を、ふーん、とどこまでも冷静に観察する。
 エンドロールが流れはじめると、春市は感想をひと言、ふた言こぼす。おもしろかった、とくにどこどこのシーンがよかった、と言うときもあれば、今回のはいまいちだったね、と言うときもある。それらの言葉のほうが、よっぽど興味深い。春市にとってはこれがおもしろくて、あれがいまいちなのか。つまり映画を見る行為は、降谷にしてみればすきな人をより深く知るための手段のひとつにしかすぎないのだった。
 リプトンのタグがついた糸の下がるマグカップふたつと、冷蔵庫から取り出した平たい箱をうまく抱えた春市がやってくる。いつも自分が使っているほうを受け取って両手で包めば、やさしい湯気と香りが鼻先をくすぐる。春市は箱のふたをそっと持ち上げた。
「今日はどれにしようかなぁ」
 バレンタインに降谷が渡したチョコレートだ。春市がたったひと粒だけ口にするのは、遅くならないうちに帰ってこられて、なおかつほっと息をつくひまのある、穏やかな夜に限られていた。しばらく迷った末に、ホワイトチョコレートのトリュフを選び、小皿の代わりに広げたティッシュの上にそっと置く。
「降谷くんもいる?」
 その問いに、首を振る。迷っているのにしあわせそうなやわらかい横顔を見るだけで、もうじゅうぶんだった。春市は、そ、とやけにさっぱりした声で言ってふたを閉め、残りのチョコレートを冷蔵庫に戻しにいく。作業台の蛍光灯が消え、部屋はほの暗さを取り戻す。肩に掛かっている寝室から持ってきたブランケット、その余っている半分に春市がふたたびもぐりこみ、映画を再生する。ジョエルとクレメンタインが凍った川に寝転がっているシーンだった。
 いちばん最後のひと粒、ヘーゼルナッツクリームフィリングのミルクチョコレートが溶けたのは、ホワイトデーが数日後に迫るころだった。

「……う〜〜〜ん………」
 春市はそれはもう、おかしいぐらいに盛大に悩んでいる。あのときはうれしくて、1か月後たのしみにしててね、などとうっかり言ってしまったが、具体的な考えがあったわけではない。ホワイトデーがいよいよ近づき、悩みは複雑になるばかりだった。自分とおなじぐらい、降谷にうれしくなってもらうにはどうしたらいい、なにをあげたらいい。バレンタイン前とは正反対の類いの悩みも、悩みであることには変わりない。 
 たいそうなものは貰っていない。種も仕掛けもないチョコレートで、こころは魔法をかけられたみたいに宙に浮かびあがった。種でも仕掛けでもない、込められた気持ちがうれしかったことぐらい、ちゃんとわかっている。そこいらの人にチョコレートをもらっても、それはただの糖分のかたまりにすぎないのだ。
 ならば、今テーブルの上で丸まっている紙くずに気持ちを込めて渡したらいいのか、といったらそれも違う。降谷が紙くずでよろこぶかどうかの問題以前に、春市の納得がいかない。おなじ気持ちを込めるにしても、せっかく渡すのだから、できるなら降谷が欲しがっているものがいい。
 降谷にはものに対する執着というものがあまりない。あれが欲しいこれが欲しいと口にするのをほとんど聞いたことがない。唯一知っているのは、チームのエースとしてマウンドに立つことに対するなみなみならぬ執着ぐらいだ(実をいえば、降谷は春市に対してもそれ相当の執着心を抱いているのだが、自分でそのことを思いつくほど春市はうぬぼれてはいなかった)。このあいだ、腕時計が壊れたときだって――
「……あ」
 落ちてきたアイディアに、まばたきをひとつ。
「ああ、でももう買っちゃったかな。それに腕時計なんてありきたりすぎる…」
 そしてため息をひとつ。降谷はなにをもらえたらうれしいのだろう、という問いにまた戻る。春市の思考は、無限ループをいつまでもぐるぐると辿りつづけた。その回転の数だけ、降谷がうれしくなるとも知らずに。 

 3月14日。改札から出てくる人の波の中に待ち人の姿を見つけ、春市は手を振った。
「栄純くん、こっち!」
「おー、春っち!ひさしぶりだな!!」
「先週会ったじゃん」
「1週間がひさしぶりじゃないって言うのかよ……春っちと俺の友情はそんなものだったのか……」
「ああもう……、ひさしぶりだね!会いたかったよ!」
 投げやりに言うと沢村は、にしし、といたずらが成功したときのような笑顔をみせた。駅の出口に向かって歩き出す。
「今日は腕時計探してんだよな?」
「うん。付き合わせちゃってごめんね」
「気にすんなってー。俺も最近買い物してなかったしな!いろいろ気になってるもんあんだよ」
「ありがと…」
 あれから散々悩みつづけたものの、いいアイディアは浮かばず、結局最初に思いついた腕時計を買うことにした。そう決めてもなお、数ある腕時計の中からたったひとつを自分ひとりで選ぶのはどことなく心細くて、沢村を誘ったのだ。ぎりぎりまで悩んでいたせいで、当日になってしまった。
 誰に付き合ってもらうか。亮介という選択肢は、まず最初に却下された。ホワイトデーに降谷くんに渡すプレゼントを買いたいから付き合って、なんて口にした時点でけらけら笑われて、この先半年はからかわれるのは目に見えている。だからといって、亮介相手では買い物のほんとうの目的を隠し通す自信もない。センスの面では御幸も選択肢に入るのだが、こちらも似たようなものだった。店を回りながら知らないあいだに降谷との関係について洗いざらい告白させられていて、後日なぜか倉持から、お前ら○○なんだってな!ヒャハハッとからかわれるシナリオが簡単に想像できてしまう。沢村は私服を見れば案外おしゃれだし、「あれ」だからほんとうの目的もごまかせるかもしれない。仲がいいぶん、明日空いてたら買い物に付き合ってくれる?という差し迫った内容のメールも送りやすかった。
 立ち寄る店々でいろいろなものを試着してみる沢村にコメントしながら、小物のコーナーもチェックする。何軒目かのセレクトショップで、ようやくすこしぴんとくるものが見つかった。
「ねえ、これどう思う?」
「うーん…かっけぇけど、春っちのイメージとは違うような気がすんだよなぁ」
「そ、そうかな」
「どっちかつーとこういうのは降谷がつけてそう…って、えぇ!?」
 思わず赤くなる春市を、沢村が驚いて覗き込む。
「なんで照れてんだ?…………はっ!もしや、これは…降谷へのプレ」
「わああーー!!」
 降谷がつけそうな時計、と言われて赤くなっていては、いくら察しの悪い沢村でも気がついてしまうらしい。仕方なくぼそぼそと事情を説明すると、沢村は春市の肩をばしばし叩いてはしゃいだ。
「なんだよー!さっさと言えよなぁっ。水くさいぞ!!」
「〜〜っ」
「降谷ってとこが悔しいけど、こうなったら仕方ない!この俺がっ、最高の時計を見つけてやる!!」
「ちょ…っ、栄純くん、声大きいよ!みんな見てるって…」
「わはははっ」
 それから沢村は試着することなく、真面目に腕時計探しに専念した。率先してあの店にも行こう!と張り切る姿に恥ずかしがりながらも、春市はあたたかい気持ちになる。
 2時間ほど街を歩き回り、満場一致(といってもふたりしかいないのだが)の満点が出て買ったのは、黒い文字盤に黒いベルトのシンプルで洗練されたデザインの腕時計だった。プレゼント用に包装してください、とはさすがに言えないなぁと諦めていたら、沢村がすかさずプレゼント用で!!と店員に伝えてくれて、春市は改めて沢村に感謝した。
「いいのが買えてよかったな!」
「うん、ほんとにありがとう」
「んないいって!今度降谷も入れて3人でどっかメシでも食いにいこーぜ」
「そうだね!」
「ところでさ、さっきからちょっと気になってたんだけど…、」
 切り出す沢村がにやにやしていて、嫌な予感がした。
「ホワイトデーに降谷にプレゼントって、逆じゃね?俺はてっきり春っちはバレンタインにあげんのかと…」
「それは…っ」
「そのへんは詳しく聞かせてくんねえの?」
「…………」
 沢村も「君に届け」をたのしく読めるぐらいにはそういう話がすきなのだった、ということを今になって思い出す。なあなあ、とぐりぐり押し付けてくる肘を、顔をあつくしつつなんとか押しのける。
「それはまた今度っ」
「ちぇー春っちのケチー」
「むくれても無駄!」
 しつこくなってきた追求をあしらいながら、次のバースデーには降谷くんも巻き込んで例年よりもすごいものをあげちゃおうかな、と春市はこっそり企むのだった。
 せっかくいいプレゼントが買えてもいっしょにすごす時間がなくなってしまっては、本末転倒だ。夕方には沢村と別れ、帰路につく。

 ラッシュアワーの混み合う中央線に揺られ、ごちゃごちゃした商店街をすり抜け、住み慣れた部屋にたどり着く。玄関で靴を脱いでいると、降谷が奥のリビングからでてきた。いつもは帰った音を聞きつけてわざわざ玄関まで迎えにきたりはしない。
「どっか寄ってた?」
「うん。なんかあったの?」
「べつに。帰ってくるのが思ってたより遅かったから…」
 遅いと言われるほどまだ遅くはないし、そもそも遅くなって文句を言われたことなどこれまでなかった。めずらしい態度に首を傾げて見上げれば、降谷はばつが悪そうにななめ下に視線を逸らした。それからただでさえ大きくない音量をさらに一段階下げた声で、ぼそっと呟く。
「今日はホワイトデーなのに…」
 初めて使ったのであろう、ホワイトデーという単語の発音があやふやだった。その言い方と内容があまりにもかわいくて、春市のこころはきゅ、とひと回り縮む。思わず手を伸ばして、黒い髪を撫でる。
「ふ。ちゃんと覚えてたんだ」
「たのしみにしててって言ったのは春市のほうだよ」
「そうだけどさ。ごめんね、栄純くんとちょっと買い物してた」
「…………」
 降谷の唇がむ、と結ばれる。沢村と春市の仲に今さら本気で嫉妬するほど、ちいさな器ではない。沢村の名前を聞くと、自動的に対抗心が燃えあがるようにできてしまっているだけだ。そうわかっていても、だめだった。
 今すぐにでもよろこぶ姿が見たくて、打ち明けずにはいられない。
「……夕ごはん食べ終わるまでは隠しておこうと思ったのになぁ」
「?」
「降谷くんにあげるプレゼント、買ってたんだよ。ひとりで選ぶ自信なかったから、栄純くんに付き合ってもらってさ」
「え……」
「ここで渡すのはさすがに雰囲気なさすぎるから、部屋にあがらせてよ」
 ぼーっと突っ立っている降谷の横を通りすぎようとすれば、左の手を掴まれる。外ですらそんなことはしないのに、リビングまでの短い距離を手を繋いで歩くのは、なんだか気恥ずかしかった。
 プレゼントを開けた降谷が感動でしばらくしゃべれなくなったこと、代わりに「じーーーーん」で部屋が埋め尽くされたことは、言うまでもない。



おわり

栄純活躍!ふたりが見ていたのは、エターナルサンシャインです。だいすきな映画。2012.09.29

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