描いたような朝 | ナノ

∇ 描いたような朝


 朝はたいてい携帯のアラームや春市の声に揺さぶられつつ、睡眠と覚醒のあいだを行ったり来たりみっともなくもがく降谷の目覚めは、今回に限ってさっぱりとしていた。スイッチのつまみをオフからオンに切り替えるような手軽さで、目蓋がぱちりと開く。窓の外から聞こえる小鳥のさえずりは、明るく軽やかな旋律を形づくっている。耳を傾ける間に、頭のすみをひらりひらりと揺蕩う夢の切れ端は、たちまち透けて消えてしまった。少なくとも、悪い夢ではなかった。
 となりでは春市が、小さな寝息を立てて眠っている。ふわりとした頬や薄く開いた唇があどけない寝顔を覗きこみ、取るに足らないほどに目元を綻ばせたことなど本人は知る由もない。ただ、間近のそれらが柔らかくあたたかなことは知っている。起こしてはかわいそうだから、今はただ見つめるだけだ。
 早起きは三文の徳。とりわけ早くはない、めずらしく春市よりも早く起きられたというだけだったが、降谷にしては難しいことわざがぱっと閃いた。
 今日は何曜日だったか、予定は何だったか。考えるのがわずらわしい。いずれにせよ、春市がこんな風に穏やかに眠っているのなら、まだ起きなくてもいい時間だということだ。このままだらだらしていたい一心で目論む逃避は、強ちまったくの見込み違いではない。
「……ん……」
 寝姿を見つめつづけて30分も経ったころ、いよいよ変化が訪れる。規則的だった呼吸のリズムが崩れ、すうと大きく息を吸う。夢うつつの声がさ迷う。やや鬱陶しそうに寝返りを打ち、枕に顔をぐりぐりと押しつけた。
(あ、起きそう)
 毎朝くり返されているのであろう光景を、奇蹟の瞬間が起ころうとしているかのごとくどきどきと見守る。やがて乱れた髪の隙間から、今日をはじめて映す、ほわんとした瞳が覗いた。
「おはよう」
 まだ状況を把握しきれていないときに降り掛かってきた挨拶に、目を見張る。どうやらずっと見つめられていたらしいと理解して、瞬きをひとつ、それから瞳を逸らして恥ずかしそうにした。ふだんは起こしても起きない降谷がすぐ近く、無自覚の惚けた表情で見つめていたのだから、当然の反応なのかもしれない。
「おはよ。珍しいね、もう起きてるなんて……」
 呟きながら目元を擦る所作は、しどけない。たどたどしく紡がれる、体裁もとりつくろわない言葉の掠れた響きにきらきらとした感慨を覚える。両腕で引き寄せ、余すところなく抱きすくめる。抱きすくめられるようなことを口走ったつもりは春市にはなかったが、降谷には降谷なりの物事の繋がりがあるのだろうと深く考えもせずに諦め、すっぽりと収まった。寝起きののろのろとした動きでてのひらを背に持っていき、きゅ、と抱き返す。たったそれだけのことに、降谷は人知れず舞いあがる。
 言葉の内容をひと足遅れて理解し、答える。
「なんか、急に目が覚めた」
「へえ。悪い夢でも見た?」
「そういうんじゃ、ないと思う……」
「ふーん」
「春市は夢見てた?」
「うん、見てたよ」
「僕の夢……?」
「あはは、そんなわけないじゃん!」
 すべての音は結局のところ、振動である。こうやってぴったりとくっついて会話をしていると、よくわかる。春市が話すたびに、首から胸のあたりの肌が細かく震える。笑ったときが、いちばん顕著だった。
 それにしても、恋人の夢を見るわけがないとは、どういうことだ。なにも覚えていない自分を棚にあげ、あまりに明るくあっさりとした否定に降谷は拗ねる。かたや春市は、どこかたのしそうである。その夜広がる夢の模様など、眠ってみなければわからない。かわいらしい反応を期待した、戯れの裏切りにすぎなかった。
 眉を潜め、不満げに目を細める。期待通りの表情のくすぐったさに、態度を翻す。なだめるように、肩のあたりをぽんぽんと叩く。ふいに出たあくびが降谷の耳を掠めた。
「……泳いでる夢。魚になったみたいにすいすい泳げて、気持ちがよかった」
「ふーん」
「怒ってる?」
「怒ってないよ」
 抱き合ったまま転がる。仰向けになった降谷の上に、春市が乗り上げる。カーテンの隙間からうまい具合に差す光に、淡い色の髪が透けている。他とは違う方向に跳ねている束に、指先を絡ませた。
 鼻先を寄せれば、昨夜の秘め事が記憶に蘇る。
 頻繁に継ぐ息は熱さにことごとく融け、細かな汗の浮かぶ肌はしなやかに波打っていた。耐えきれずこぼれ落ちる、切なさにのぼせた声に名前が紛れる都度、衝動が心臓を強く揺らした。てのひらを肩から背、腰に滑らせ、記憶をなぞる。なだらかな尻の曲面が馴染むのを確かめていると、とうとう咎められる。
「どこ触ってんの」
「触り心地いい……」 
「そんなこと聞いてないっ」
 くったりと預けていた身体はいくぶんの力を取り戻すも、降谷の上から退くことはなく、ふたたびくったりと落ち着く。どんなに言葉で弾こうと、優しく触れられるのは心地がいいのだろう。
「ん」
 咎められ項に撤退した右手で引き寄せ、触れる。かさつく唇が潤むほど、目の前の頬は赤く染まる。
 

 両肘をついて上体を起こし、枕をクッション代わりにベッドヘッドに凭れる。
「口、ちょっとだけ開けて……」
「……ふ……っ」
 開いた口からちらちらと覗く舌に誘われて、深く口づける。戸惑うそれを触れあわせ、拙く絡めとって軽く吸う。両肩に乗っている春市の手は、応えようと懸命になるあまりにぎゅうと丸くなる。舌の先で弱い口蓋をつつくさなかには、もじもじと居住まいを気にする。意識すら届いていない仕草に、眠りとともに絶えたはずの欲はたやすく溢れ、溺れる。
 シャツの裾から指先を差し入れる。素肌を粟立たせつつも甘受するのがうれしくて、さらに欲しくなる。探り当てたそれはすでにぴんと尖っていて、溺れているのは降谷だけではないと伝える。指の腹で弄る。待ち望んでいた色めいた声がくぐもった。
 夢の延長さながらの触れあいは、それでも、うつつのものである。水中の魚のようにはいかない、口づけが長引けば、息は苦しくなる。こころを残したまま、しばし離れる。
「はぁ……、はぁっ……」
「いったん腰あげてくれる……?」
 小言のひとつもぶつけず、春市は大人しく腰をあげる。スウェットと下着をそろそろと膝まで降ろす。あまえた視線をじいと送りながらシャツを捲れば、春市のほうから取り払う。
 朝の光の漂う白い部屋、惜しみなく晒された素肌がきれいだ。あちらこちらに散っているしるしは、降谷がつけたものに違いなかったが、ほとんど覚えがない。それほどまでに夢中になった心境に今のそれを重ねつつ、しるしのひとつひとつにそっと口づける。すべてに触れる前に、焦れた春市が再度居住まいを正す。下唇を噛んで恥を忍んでいる表情がいじらしい。親指を這わせてほどき、自らの唇と合わせた。
 ゆるく立ち上がるそれに気づいていなかったわけではない。手を添えればますます昂り、ずっとそこに触れて欲しかったのだと降谷に言外に訴える。春市は額をすり寄せた。
「ん、はっ……」
「……」
「あぁ…っ、はぁ……」
 上下に擦りつつ、先端を指で刺激する。先走りが滴りはじめるといっそう大きくなる淫らな音は、爽やかであるべきこの時間帯にはいくらか不釣り合いで、ますます春市を追いつめる。空いている左の手で同時に背を撫で、抗わなくてもいいのだと促す。ひときわ大きく身体を震わせ果てたのは、それから間もなくのことだった。なかなかひかない余韻をやりすごそうと縮こまる身体を抱きとめる。果てる瞬間に涙ぐんだのかもしれない、肩に顔を埋めたままぐす、と鼻を鳴らす。
 てのひらに伝うあたたかな精液をどうしようかと考え舌で拭えば、落ち着きかけた春市の頬の温度がまたもやあがる。
「なにしてんの!?」
「べつに……」
「べつにじゃないよ」
 傍らに落ちていたシャツを乱雑に押し付けられる。
 そして、今度は降谷が攻められる番だった。決して油断はできない。些細なことで恥じらう春市は、ときにひどく大胆になる。
「っ……」
 すきな人が自分の手でよがるのを目の当たりにしてすっかり熱くなった降谷のそれは、さきほど深く舌を絡ませた、春市の口内に包まれている。脚の間に蹲り、遠慮がちに施す愛撫は、しかし的確に降谷の感じやすい部位を捉える。
「春市……っ」
 思わず名前を呼ぶ。春市を気持ちよくするのに常に必死な降谷は、こんな風に一方的に気持ちよくさせられるのには、いまだに慣れていない。返事はなかったが、答えるように自身を優しく吸われる。高まる快感にやめてほしい気持ちとやめてほしくない気持ちが混ざり合い、わけもわからず伸ばした手で、くしゃりと春市の髪を乱す。垣間見えた伏せる目蓋に、射精感が押し寄せる。
「はっ……、春市……もう、」
「……いいよ……」
「…う、……ぁっ」
 春市の出したものを舌で拭うのを咎めたにも関わらず、すべてを口で受け止めるまったくの矛盾がいとおしい。こくんと喉が動くのを見て、さすがに居たたまれなくなる。
「だいじょうぶ……?」
「だいじょうぶって、なにそれ」
「だって……」
「気持ち、よかった?」
「うん、すごく」
「そっか」
「よかったから、春市にもしてあげる」
「えっ、今はもういいって!」
「じゃあ夜……」
「今日はもうしないよっ」
「……えー」
 そのとき、枕元に置いてある春市の携帯が震え、そろそろ起きなくてはいけない時間であることを知らせた。降谷の最大音量のやかましいアラーム音とは大違いだ。こんなわずかな振動で春市は毎朝目覚めるのか、と降谷はぼんやりと感心する。
 その頬に小さな口づけを落とし、春市はすとんとベッドから降りる。壁沿いに置いてある、プラスチックの収納ケースから新しいシャツとスウェットを取り出す。ひとつのベッドで眠るようになってからというもの、引き出し一段分の部屋着は降谷の部屋に置くようにしているのだ。上半身になにも纏っていない春市の肩甲骨の動きに、性懲りもなくどきどきする。
 これからシャワーでも浴びるのだろう、取り出した服を身につけることなく抱え、ドアの近くで振り返る。
「シャワー浴びたら、朝ごはん作るね。できたら呼ぶから、それまでだらだらしてたら?」
「うん……」
 ぱたんとドアが閉じる。すぐに聞こえてきたシャワーの音に、さっぱりと浮上したせっかくの意識が滲みだす。まるで絵に描いたかのような、一日のはじまりである。



おわり

朝からいちゃいちゃ。若いのー。降谷くんはいい嫁貰えてよかったですね。2012.09.04

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