僕らは空のいちぶぶん | ナノ

∇ 僕らは空のいちぶぶん


 空の透き通る、五月のとある休日、さっぱりと明るいキッチンからはいい匂いが漂っている。春市が菜箸を片手にフライパンの上でたまごを巻くとなりで、降谷は炊きたてのごはんとの戦いを繰り広げる。今までのものよりも少しきれいにできた確信のあるおにぎりを、ごはん粒まみれの手で春市の視界のすみに入るように翳した。
「これは?」
「75点ぐらいかな。中身ちゃんと入ってる?」
「……あ」
「ははっ、やり直しー」
「……」
 せっかく三角形になったごはんを一度崩し、真ん中にツナマヨを入れる。ぎゅうぎゅうと握り直し、形も大きさも揃わないおにぎりの列の最後尾に置く。適当に冷ましたたまご焼きにナイフを入れ四等分にした春市は、余ったはじっこを味見して、こないだよりもおいしくできた、とにっこりと笑った。口元に迫ってくる、もう片方のはじっこが乗った箸には素直に応じる。まだあたたかいそれは、ふんわりとあまい。だし巻きたまごしか食べたことのなかった降谷は、はじめこそものすごい衝撃を受けたものの、春市の作るあまいたまご焼きにもだんだんと慣れてきている、どころかおいしいと思っていることを今になって自覚した。
 無表情で味見をする降谷を見あげる春市の笑みが深くなる。左目のすぐ横に手が伸びてくる。
「ここ、ごはん粒付いてる。どういう握り方したらこんなところに付くの……」
「普通に握っただけだよ」
「降谷くんの普通は普通じゃないよね」
「春市に言われたくない」
 会話の内容とは裏腹に、あたりの空気が不意に恋人らしくなる。出所が隠れている春市の視線は、しかし降谷のそれにしっかりと絡まっている。ごはん粒を掬った手は所在なく戸惑い、やがて肩にそっと落ち着いた。ひとひらの沈黙を置いて、春市の腰に両腕を回すよりも一瞬早く、頬を火照らせてぱっと離れてしまった。冷蔵庫でよく冷やしたレモネードをまほう瓶の水筒にたっぷりと注ぎ入れ、おかずがひしめくランチボックスの残りのスペースに、たまご焼きを詰める。無駄のない動きは、いつもよりもややぎこちない。
「準備したらもう出掛けるよっ」
「……うん」
 ぱたぱたと忙しなくキッチンを後にする春市の背中を、降谷は追いかける。部屋着から着替え、玄関のドアを開いたとたんに差しこんだ、昼間の元気な日差しに目をしばたたかせる。

 必要な物をかごいっぱいに乗せた自転車を走らせたどり着いたのは、そこそこ近所の広い公園だ。どこまでもつづく原っぱの日だまりに、さっそくレジャーシートを敷いて腰を下ろす。ひとまず持ってきた本でも読もうと言う頭と、キッチンで見たランチボックスの残像が消えないお腹の意見が合わない。食べたいと思いながら読む自分たちと、読みたいと思いながら食べる自分たちを比較した結果、お腹のほうに軍配があがる。
 形はでこぼこでもちゃんとおいしいおにぎりに、春市の表情はほころぶ。あんなにすごい球を投げるてのひらが握ったのかと思うと、貴重な気すらしてくる。残念なことに、生姜焼きを頬張る降谷には、すごい投手の風貌はない。
 フリスビーをキャッチしようと駆けるラブラドールが、近くで跳ねた。
「ボールとグローブぐらい持ってくればよかったね」
「春市相手に本気で投げるのちょっと怖いんだけど」
「キャッチボールぐらいにしとこうよ、そこは……。あ、それか今度御幸先輩でも誘ってみる?そしたら僕はバッターで入るよ」
「打たれる気がしない」
「それはどうかなぁ」
 計画はもはや、のどかな原っぱの舞台では足りそうもない。まだそう遠くはないいとしい記憶がきらりと光って、春市は空を仰いだ。ジェット機が飛行機雲を残して飛んでいく。傾けたプラスチックのコップからは、さわやかなレモンが香った。
 投げ出している脚にふと重さを感じて視線を落とせば、仰向けに寝転がる降谷がそこにいる。さも当たり前のように、軽く目を閉じている。
「なにしてんの?」
「膝枕」
「それ、気持ちいい?」
「うーん……」
 女の子の腿に比べれば肉つきが悪く、枕と呼ぶには柔らかさに欠ける。それでもそこを選ぶのは、今頭の下にある腿に枕としての資質があるかどうかが、べつだん重要ではないからだ。それが誰のものかとか、その人にどれだけ気を許しているかとか、要するにこころの問題だ。そういう意味で、「気持ち」がいいか、と春市が訊ねているのなら、答えはポジティブなのだが、いかんせん説明するのが面倒すぎる。
 うーん、と言ったきりなにも答えなくなってしまった降谷を諦めた春市は、上体を後ろに倒しおなじように寝転がった。さらにおなじように目蓋を閉じる。雲がすぐとなりでゆっくりと流れているように感じた
。本は読まずに終わるのだろうという予感は的中することになる。



おわり

ほのぼーのさせてみたかったのです。いや、野球もいつまでもばりばり続けて欲しいんですけど!いちゃいちゃさせようと思うとそれが成立しない…。2012.08.11

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