土千斎(薄桜鬼) | ナノ


 その文は突然やってきた。差出人は不明だったが、宛名と筆跡を見て、俺は全てを察した。監察方として行動するときに使っていた名を知る者は限られている。そして何よりも、見慣れたその文字を忘れるはずがなかった。

「生きておられたか…」

 安堵の溜め息と共に、知らず言葉が口をついた。
 彼の人の死が新政府から公にされてから久しい。あの方が死ぬはずがないと信じる己がいる一方で、あれだけの死闘を繰り広げたのだからもしや、と思う己もいた。ただ一つわかることは、あの方は最期まで誠を貫いたということ。
 確かめる術がないのならば、せめて彼の人は何処かで生き延びて穏やかに暮らしているだろうと願いにも似た憶測をするようにしていた。そしてその隣には、最期まで彼の人の傍にいた彼女がいてくれたらいいとも。

 封を切って文を取り出す。そこにはやはり見慣れた文字が並んでいた。胸がじんと熱くなる。この文字を見ると、あの動乱の時代が思い出された。文の初めが、丁度隊士たちとの思い出話だったからだろう。余計に懐かしく思えた。

 しかし、文を読み終えたとき。俺は文を握り締め、きつく目を閉じていた。奥歯がぎりりと鳴る音が頭に響く。

「……副長…」

 声にならない声で、彼の人のかつての役名を呼んだ。瞼の裏には、彼の人が腕を組んで眉を顰め、真っ直ぐに俺を見ている姿が浮かんでいた。

「受けてくれるか」

 彼の人は低い声で問うた。
 冷たい瞳だと、誰かが言っていた。恐ろしくて目を合わせられないとも。俺は、彼の人を恐ろしいと思ったことなどなかった。厳しさの潜む瞳。その厳しさは、他の誰でもなく、彼の人自身に向けられたものだと知っていた。だから、俺はいつも迷わず答えたのだ。

「…承知」

****


「千鶴」

 隣で呼吸をする愛しい女房の髪を梳きながら、小さく名を呼ぶ。すると千鶴は顔を上げて「何でしょう、歳三さん」と言いながら微笑んだ。

 何者にも邪魔されない、穏やかな時間。ついこの間まで死と隣合わせだった日々を思い返せば、まるで狐に化かされているのではないかと思うほど、今の生活は静かで安らかだった。
 雪が庭に積もる気配がする。月明かりに照らされ、障子に舞い落ちる雪の影が映っていた。
 暦の上では、季節はもう春になった。気候が随分違うので気づかなかったが、こいつと出会ったのも、丁度今頃だったか。
 こんなに穏やかな夜を過ごせるだなんて、当時の自分からしちゃあ考えもしなかっただろう。あのときは、ただがむしゃらに、前だけを向いて走っていたから。この腕にあるのは刀だけ。そう思っていた。
 それが、どうだ。今、俺の腕の中にあるのは、刀ではなく、惚れた女ときた。
 昔の俺が聞いたら呆れてものも言えないだろう。自分だって未だに信じられない。武士になり、武士として生き、武士として死ぬのだと思っていた。それが、戦が終わった今も、こうして生きている。愛しい存在と共に。これ以上の幸せがあるだろうか。正直戸惑うくらいだ。

 だが、この幸せは長くは続かない。人の理を外れた力を使った報いは、受けなければならない。
 ──俺は長くは生きられない。千鶴を置いて、先に死ぬだろう。惚れた女を最期まで守り抜くことができない。寿命のことはどう足掻こうがどうしようもないとわかっていても、歯痒くて仕方がなかった。

 俺がいなくなったら、こいつはどうなる?
 こんな辺鄙な田舎で女が1人で生きていけるか?
 誰がこいつを守ってやれる?

 考え込んでいると、ふと眉間を「えい」と押され、俺は我に返った。

「眉間に皺です」

 どうしました? と尋ねながら、千鶴はそのままぐりぐりと俺の眉間を押し続けた。「鬼の副長」と恐れられたこの俺の眉間の皺を解そうとする奴なんて、きっと日本中を探してもこいつしかいない。そして、それを許し、あまつさえ可愛い、などと思えるのも、こいつ以外には有り得ない。

「大した女だな、お前は」

 笑いながら、細い手首を掴んで、そのまま引き寄せた。千鶴は小さく声を上げたが、そのまま大人しく俺の胸に頬を寄せた。温かい。抱き締める腕に力を込めた。

 温もりを確かめながら、考える。千鶴にはこの先も長い人生がある。このままこの腕に閉じ込めておければと思うが、それは俺の身勝手な望みだ。こいつには、俺がいなくなっても、生きて幸せになってほしい。

「千鶴…」
「はい…」

 再び名を呼ぶと、千鶴は眠りそうな気配だった。

「………」

 耳元で言い聞かせるように言葉を囁く。

「いいな?」

 念を押すと、千鶴は「はい…」と言ったきり、規則的な寝息を立て始めた。

「こりゃ、覚えてるかわかんねえな」

 苦い笑いを浮かべつつ、ぬばたまの髪を再び梳く。ずるい人間だ、俺は。千鶴の意識がしっかりしていないときに告げても、それは言い聞かせたことにならない。だが、まだ。この温もりを離したくはないという欲が、はっきりと告げることを躊躇った。
 先ほどの言葉に含ませた意味を、賢い千鶴はすぐに察するだろう。そうして悲しみを堪えて微笑むに違いない。

「すまねえ…。もう少し、お前の笑顔を見ていたいんだ」

 せめて今夜は、穏やかなままの眠りを。


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(お前は過去に生きるよりも、未来に生きろ)


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