それは春歌の何気ない一言が発端だった。
「神宮寺さんのお家には、メイドさんはいらっしゃるんですか?」
「うん、いるよ。掃除とか、料理とか、家のこと全般をやってもらってる。何せ男手ばかりで、しかも皆、仕事命で家庭を顧みない人間ばかりだからね。ジョージも家事はてんでダメ」
「そうなんですか。お家にメイドさんがいるなんて、ドラマみたいです。メイドの皆さんはやっぱりメイド服を着ていらっしゃるんですか?」
「ああ、まあそうだね。…ハニーはメイド服に興味あるの?」
「はい、可愛いなあと思います」
「そう。じゃあ着てみるかい?」
「え?」
レンの言葉にきょとんとする春歌。そんな春歌に、レンは笑いながら言った。
「実は、今この家にあるんだよ」
「ど、どうしてですか?」
「………」
いつか春歌にメイド服を着せてみようと思っていたから、などという理由は、口にはできなかった。
レンの部屋の一角に密かにしまわれているメイド服。それは神宮寺の家から拝借してきたものだった。男ならば大抵一度は抱くロマン。きっと健全な男子なら誰もが認めてくれるであろうが、あいにく春歌はそういった話や発想とは無縁に違いなかった。迂闊に話して「最低です!」なんて言われようものなら、自分はきっと立ち直れない。しかし、せっかく春歌から興味を示したのだ。このチャンスを逃すのは惜しい。レンは頭をフル回転してもっともらしい理由を考えた。
「…この前、兄貴からデザインを変えたからって送られてきたんだ」
「お兄さんから…。そうなんですか」
春歌は素直に納得したようだった。
すまない、兄貴。レンは心の中で謝罪した。
「見てみる?」
「はい、見たいです!」
「うん。じゃあ今持ってくるよ」
気を取り直して、レンはソファから立ち上がると、寝室から一着のメイド服を持ってきた。
「わあ〜素敵なメイド服です!」
春歌に手渡されたそれは、紺地のワンピースと白いエプロンだった。ワンピースの胸元には白いレースとリボンがあしらわれており、袖と裾にも繊細なレースがついていた。手触りは滑らかで、高級な素材なのだとわかる。
「シンプルですけど、レースが細かくて可愛いですね」
「動きやすさとデザイン性にこだわっているらしいからね」
目を輝かせて可愛いと言う春歌に、レンは内心ほっとした。そう、神宮寺家のメイド服は決して派手ではない。何の衣装かと引かれるようなことがなくてよかったと同時に、それを採用した父親に感謝した。
さて、春歌とメイド服がそろった今、すべきことは決まっている。
「ハニー、気に入ったのなら着てごらんよ」
あくまで爽やかに、レンは笑顔で言った。やましい気持ちなど感じさせないように。可愛いものが可愛いものを身につける、それだけだ。そこに他意はない。誰にするでもない言い訳を考えている時点で充分下心があるということを、レンは気づいていなかった。
「いいんですか? でも、大切な服を汚したりしたら大変です…」
「大丈夫、実家に帰れば替えなんていくらでもあるさ」
「それに、きっと似合わないです…!」
「いーや、絶対似合うよ。オレの目に間違いはないからね。それともハニーは、オレが信じられない?」
「そ、そんなことないです」
「そう、よかった。なら着替えてきてくれるね?」
「……」
メイド服を手にしたまま、春歌は赤面して固まる。レンは耳元で囁いた。
「何なら手伝おうか?」
「! だ、大丈夫です!」
耳まで赤くなった春歌は、ソファから勢いよく立ち上がってレンを見た。
「そう、残念。じゃあ楽しみにしているね」
にこにこと笑うレン。その笑顔は春歌に「メイド服を着る」という選択肢以外を与えなかった。これ以上抵抗しても無駄だろう。春歌は意を決して手触りのよい白い布を握りしめた。
「着替えてきますから…寝室、お借りしますね」
「ああ、どうぞ」
レンは心の中でガッツポーズをした。
****
洋服を脱いで、メイド服に袖を通す。肌に触れる生地はやはり滑らかで着心地がよく、身体によく馴染んだ。
「さすが神宮寺さんのお家です。働く人のことまでちゃんと考えているんですね」
エプロンにも腕を通し、背中で結ぶ。今日は黒のストッキングを履いているので、組み合わせとしては大丈夫だろう。春歌はそっとレンの寝室から出た。
ガチャリと扉の開く音がして、リビングにいたレンは振り返った。
「おかえり、ハニー」
「は、はい…お待たせしました…」
「……………」
メイド服姿の春歌を見た瞬間、レンは言葉を失った。可愛い。恥じらいながら佇む姿が尚更可愛い。こんなに可愛い生き物は他にいないのではないか。少なくとも自分はこれ以上に可愛い存在を知らない。
「…変、でしょうか?」
「…いや、よく似合っているよ。もっと近くでハニーの姿を見せてくれるかい?」
そう言うと、春歌はレンの座っているソファにやってきた。レンがソファをポンポンと叩き、隣に座るように合図すると、春歌はちょこんとそこに座った。
「…………」
春歌を隣に座らせたはいいものの、レンは困った事態に陥っていた。春歌の可愛らしさに、つい頬が緩む。これではまずい。あまりにやけないようにしようと、レンは視線をそらした。
すると春歌は小首を傾げ、次にとんでもない爆弾を投下した。
「えっと…あの…。ご、ご主人様…?」
「………っ!」
レンの動きがピシリと止まった。ついでに理性にもピシリと亀裂が入った。ギギギと音が鳴りそうな動作でゆっくりと春歌に向き合う。するとそこには不安げに自分を見上げる可愛らしい春歌がいた。
「メイドさんなら、こう言うのかなって思ったんですが…やっぱり何かおかしかったですか?」
そんなことはないよ、と言うより先に、レンは春歌を抱き締めていた。
「じ、神宮寺さん!?」
「…ハニーが可愛すぎて、もうオレの心臓がもちそうにない」
「!!!」
肩に顔を預けて、囁くように言ったレンの言葉に、春歌はぼっと顔を赤くした。
「春歌…」
耳元で低く名前を呼ばれ、春歌の身体がびくりと揺れる。
レンは身体を起こすと、春歌の頬に手をかけてそっと撫でた。
「ねえ、メイドさん。1つお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
「な、何でしょう…?」
するとレンは艶やかに微笑んで言った。
「春歌から、キスして」
「!」
恥ずかしいと逃れようとするも、レンの腕にがっちりと腰を固定されていて離れることができない。しかし、レンから春歌にお願いをすることは滅多にないことだった。ならば、ここは逃げてはいけない。むしろ応えなければ。
春歌は羞恥を捨て、身を乗り出してレンの唇に唇を重ねた。
「ふふ」
重なる唇から、機嫌のよさそうなレンの吐息が漏れる。どうしたのだろうと思って唇を離そうとすると、後頭部を固定され、次に甘く深いキスが降ってきた。
「んん…!」
「…本当に、困った子だね」
熱をはらんだ吐息に、頭の中がくらくらする。困った顔をするレンも好きだな、なんて思いながらぼうっと見つめていると、レンはくしゃりと苦笑した。そして額にちゅ、と音を立ててキスを落とす。
しゅる、とエプロンのリボンが解ける音がして、春歌が涙目になりながら怒り出すのは、あと数秒後の話。
End
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レンが実家から持ってきたメイド服を春歌ちゃんに着せる甘々な話…何とも神宮寺においしいシチュエーションでした。
春ちゃんにメイド服なんて最強ですよね! 変態と引かれないように冷静を装うもあっけなく陥落されるレンさん。すごく楽しかったです。
リクエストありがとうございました!
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