琥珀色のゆりかご | ナノ

 いくら眠っても、目覚めはいつも悪かった。脳に酸素が足りていない。睡眠中に目が覚めてしまうこともしばしばで、そんなとき、しんと静まり返った暗い寝室がひどく恐ろしく思えた。
 この闇の中、オレは世界に一人取り残されているのではないか。誰からも必要とされていないのではないか。
 上半身を起こしてぼうっと暗闇を見つめる。熱源を失ったシーツは冷たくなっていた。ほんの数分で消えた熱に、ふと既視感を覚える。
 ああ、まるで自分のようだと思った。誰かに求められれば応える。何だって与えてあげる。しかし、離れれば追いはしない。そうして心は冷えていくのだ。
 そうか、オレはベッドのような男かと思って、闇の中自嘲した。いつだって受け入れると構えていて、相手が来たら温めてあげる。だけど、相手が温かくなって満足して去っていったら、オレはそのまま動かずにそれを見送るだけなのだ。そして冷えていく熱と心を何度も味わうはめになる。
 いつだって受動的で、偽善的。本当は自分だって温めてほしいのに、それを言うこともなく、愛を注ぐだけで満足だとでもいうような態度を取って。だから相手はみんな、それがオレの役割だと勝手に思い込んで、愛を注がれて満足して去っていく。
 みんな自分が愛されることばかりで、誰もオレ自身に愛を注ごうとはしなかった。だから、心はいつも冷え切っていた。

 そんな中、彼女に出会った。真っ直ぐにオレを求めてきて、最初は他のレディたちと同じかと思っていたのだが、何か違った。男に慣れていない様子も面白そうだと思って、ほんの気まぐれでペアになってみた。思えば本能だったのかもしれない。
 一緒に過ごすうちに、彼女は今まで出会ってきたレディたちとは違うとはっきりわかった。彼女は、オレに歌ってほしいといつも言っていた。それだけならばいつもと同じだ。しかし、自分が作曲した曲を歌ってほしい、と言うのだ。あなたの魅力を活かしたい、あなたに気持ちよく歌ってほしい、と。彼女は、オレに音楽を注いでくれようとしていた。その音楽とは、彼女の愛情そのものだった。
 初めてだった。今までは求められるままに行動すればいいだけだった。けれど、彼女は真っ直ぐにオレに愛情を注いでくれた。嬉しかった。しかし、戸惑った。どうしていいかわからなくなったのだ。いつものように与える、という形ではない。この愛情を受け取った以上、オレはその愛情に応えなければならない。愛をくれとせがまれるのではなく、愛を先に与えられたのだから。
 彼女の要求は、自分を愛してくれというのではなく、あくまでオレの才能を活かした曲を作り上げ、歌ってほしいというものだった。ただ愛に応えればいいというのではない。彼女を満足させるには、彼女がくれた愛情そのものである音楽で応えなければならない。
 このとき、オレはすでに彼女が好きだった。彼女に、オレ自身を愛してほしかった。彼女の愛を得るために音楽を頑張るようになった。…頑張る、なんて気持ちがオレの中に残っていたなんて、随分驚いた。けれど、歌えば喜ぶ彼女を見て、頑張ることも悪くはないと思えた。それに、彼女の曲は歌っていてとても気持ちがよかった。自分の知らなかった才能がどんどん引き出されていくようで、その度に彼女の愛情に包まれる気がしたからだ。

 途中でいろいろあったけど、卒業オーディションでは優勝を勝ち取った。そしてオレは歌詞に込めた彼女への思いを告げた。愛の言葉なんてたくさん言ってきたはずなのに、彼女に対してはどうにも気の利いた言葉がでなかった。それがもどかしくて、抱きしめて唇をふさいだ。やっと手に入れた温もりに、オレは安堵した。

 それから春歌とは順調に付き合っている。彼女と付き合い出してから、オレは自分がわがままで寂しがりなのだと知った。
 春歌が知らない男と楽しそうに話しているだけで不快に感じるし、朝から晩までデートをしても、別れたあとすぐにまた会いたくなる。本当はいつだって春歌を抱きしめていたい。オレだけに微笑んでいてほしい。だけど、こんな子供染みたことを彼女に言ったら失望されてしまうんじゃないかと、オレはいつも余裕のあるふりをして我慢していた。
 
 それが崩れたのはつい先日のことだ。
 久々に春歌とゆっくり過ごせる休日だった。出かける場所も決めていて、食事をするレストランも予約を取っていた。しかしこの休みを調整するために少し無理をしたのと、久々に春歌に会える安堵から、オレは当日、あろうことか熱を出してしまった。それでも動けないことはなかったので、春歌には告げずに出かけるつもりで、彼女の部屋へ迎えに行った。
 チャイムを鳴らすと、すぐにドアが開いて春歌が顔を出した。

「おはようハニー。今日もかわいいね」
「おはようございます、えと、ダーリン…」

 顔を真っ赤にしながら、オレが呼んでほしいとお願いした呼び名を口にしてくれる春歌。その姿が愛しくてたまらなかった。

「さあ、出かけようか」

 いつものように振る舞ったつもりだった。しかし、春歌は返事をしかけたあと、じっとオレの顔を見つめてきた。

「どうしたんだい? ハニー」
「あ、すみません。…神宮寺さん、もしかして熱があったりしませんか?」
「…どうして?」
「何だか、お顔が赤い気がして」
「ハニーに会えて気持ちが高ぶっているせいかな」

 笑顔でかわそうとしたが、春歌は納得していない表情だった。そしてオレに一歩近づき、「ちょっと失礼しますね」と言って額に手を当ててきた。

「!」
「熱い…! 神宮寺さん、やっぱりお熱があります!」
「…大したことないよ、大丈夫さ」
「悪化させたら大変です! 今日は一日安静にしててください」
「ハニー…」

 真剣な表情に、これ以上言ってもダメだと悟った。

「まったく、どうして気づいてしまうんだろうね、君は」
「だって、神宮寺さんのことをいつも見てますから」

 さらりと爆弾を落とす春歌。嬉しいやら照れくさいやらで、オレはたまらず春歌を抱きしめた。春歌は小さな声を挙げ、それから少しためらいがちにオレの服をキュッと掴んだ。ドクンと鼓動が跳ねる。さらりと髪を梳き、首筋に唇を寄せると、春歌がビクリと震えた。

「ねえ春歌…デートは諦めるから、今日一日傍にいてくれる?」

 耳元で息を吹き込むようにそう言うと、春歌は腕の中で身じろぎした。少しからかいすぎたか。腕の力を抜いて介抱しようとしたとき、春歌のか細い声が聞こえた。

「………した」
「ん? 何だいハニー」
「わかりました、わたし、今日一日神宮寺さんの看病をします!」

 腕の中、真っ赤な顔で春歌はそう宣言した。小さな両手を胸元で握り締める姿がまた愛らしい。

「本当?」
「はい、本当です。そうと決まったら、お部屋に戻りましょう。ベッドに横になって休んでください」

 そうしてオレはぐいぐいと身体を押されて自分の部屋へ戻り、寝室へ帰った。

「わたし、何か飲み物を取ってきますね。その間に着替えて寝ていてください」
「ああ、わかったよ」

 パタパタとリビングに向かう足音を聞きながら、今のやりとりを思い出し、何だか夫婦みたいだな、と思って口元が緩んだ。どうやら自分は世話を焼かれるのが嫌いではないらしい。知らなかった。今まで世話を焼かせるほど自分に踏み込ませた相手がいなかったので。そうすると、やっぱり彼女だからなのだと思う。
 着替えを済ませてベッドに横になると、目を閉じて深く息を吐く。思いの外身体がだるかったことに気づいた。
 コンコン、と控えめなノックが寝室に響く。返事をすると、お盆の上に湯気の立ったカップを携えた春歌が戻ってきた。

「お待たせしました。台所、少しお借りしました。はちみつとレモンがあったので、ホットはちみつレモンを作ってみました」
「ハニーは気が利くね。ありがとう」

 身体を起こしてカップを受け取る。甘さは控えめです、と差し出されたそれは、レモンの酸味とはちみつのほんのりとした甘さが身体に染み渡った。

「うん、おいしい…」
「よかった」

 ほっとしたように笑う春歌。飲み干すと再び横になるように言われ、オレは言われた通りベッドに身体を沈めた。春歌の手が額に触れる。それがひんやり感じられて、案外熱が上がっているのだと感じた。
 春歌も察したらしい。眉尻を下げ、「熱いですね」と心配そうに言った。

「お薬見当たらなかったんですけど、どこかにありますか?」
「いや、ないよ…。それに、薬なんて飲まなくても、ハニーがついていてくれればすぐに良くなる」

 春歌の手を握ると、頬を染めながら「わ、わかりました」と答えてくれた。

「ありがとう。ねえハニー…お願いを聞いてくれるかな」
「何でしょう? 何でも言ってください」
「ハニーを抱き締めて眠りたい」
「!!!」

 春歌は真っ赤な顔で動揺していた。彼女はこういうことには慣れていない。そんなところが可愛いし、無理強いはしたくないから、いつもはここで冗談だよ、とはぐらかすけれど。今のオレは、余裕のある態度を取り繕うまでの思考が働かなかった。

「お願いだ…」

 自分でも驚くほど情けない声が出た。ああ、嫌われるかもしれない。窺うように春歌を見ると、彼女は優しく笑っていた。

「わかりました」

 その言葉を聞いた途端、オレは春歌の手を握って布団の中に引き入れた。

「きゃ」
「乱暴にしてごめん…痛かったかい?」
「いいえ…大丈夫です」

 腕の中にぎゅっと抱きしめる。春歌の髪に顔を埋め、甘い香りを吸い込んだ。

「春歌…」

 身体に春歌の熱が伝わってくる。それが心地よくて、もっと欲しくて、オレは抱きしめる腕に力を込めた。

「温かいね。本当は、毎日でもこうして君の熱を感じて眠りたいんだ」
「神宮寺さん…」
「離したくない……。春歌、愛してる」

 うわ言のように春歌の名前を呼んだ。春歌はオレの髪を優しく梳いてくれた。そして頬を撫で、「わたしも、愛してます」と言ってくれた。その穏やかな表情に、オレは泣きたくなった。ああ、本当に、全てを包んでくれる。狂おしいくらいに、愛しさがこみ上げた。

「今日の神宮寺さん、何だか可愛いです」
「………。情けないのは認めるけど、可愛いっていうのは聞き捨てならないな」
「情けなくなんかないです。神宮寺さんは、いつも余裕があって、リードしてくださって…わたしばっかりお願いを叶えてもらっている気がして。だから、こんな風にお願いしてもらえることがとても嬉しいんです」
「……まいったな」

 彼女の前では格好いい自分であろうとした。弱い部分を見せないように、失望されないように、紳士であろうと接してきた。本当のオレは、君を独占したくてたまらない、ただの男なんだ。余裕なんてない。
 こんな自分を見せたら、嫌われると思っていた。だけど、彼女はオレのわがままを嬉しいと言ってくれた。ありのままのオレを受け入れてくれる。こんなに心が満たされたことはなかった。

「…今日は、このままこうしていていい?」
「いいですよ。ゆっくり休んでください」
「ありがとう」

 甘い香りのする髪にキスをして、目を閉じる。弱っていなければこんなこと言い出せなかっただろうな、と思い、風邪もたまには悪くはないなどとアイドルとしては不謹慎なことを思いながら、オレは眠りに就いた。

End
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淋しがり屋で甘えたな神宮寺を可愛く思う春歌というなんとも素敵なリクエストをいただいてレン春への思いが止まりませんでした。淋しがり屋なのにそれを表に出さないレンさんが春ちゃんには甘えていいんだと気づいた瞬間がレン春の幸せゲージMAXだと思います。それ以降はゲージつき抜けて幸せだと思います。リクエストありがとうございました!
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