らくさん | ナノ






 さっくりと、おいしく。結構上手に焼けたと思う。あとは、そう。あったならで良いのだけれどリボンをかけて、ラッピングをしたら完璧。
 良いにおい、甘い甘い食欲を刺激されるにおい。すん、と吸い込んで吐いた。焼き立てでまだぬくみのあるこのおかしは、大層美味しいのだろうと自画自賛。許されるわよね、それくらいなら。
 一枚つまんで口に放り込んだ。この世界にしては、上出来だ。
 バタークッキー。質素かもしれないが材料を手に入れるだけでも苦労した。作ったのは気晴らしも兼ねた、お礼。不等号をつけるとしたら前者に大なりだけれど、自分で作って食べても美味しくない。ので、つくって渡す相手が居るのは結構力も入るし細かく注意も払うので疲れるのだがやはり、こうなんというか嬉しいというか、胸の中心がむずがゆくなるような気持ち。おいしいと言ってくれるだろうか、そんな不安みたいなものだ。
 恋焦がれる相手とかではない。断じて、無い。否定する。名誉毀損で訴える。ただ感謝、ありがとうなのだ。
 レイン=リンドバーグ。信用ならないしつかめないし、正直うんざりすることは多々あるがこの世界で今のところ唯一味方に近い存在だと思う、彼。この籠のような政府内から一時だけでも出る、外出するために彼は絶大なる効力を発揮して、雑だが案内もしてくれた。上司の命令とかそんなものもあるのだろうけれど私としてはとてもとても感謝、嬉しかったしすっと胸のすく空気を久しぶりに吸えた。ので。
 半ば無理やりこぎつけて、彼にクッキーたるものを焼いたのである。久しぶりの行為、お菓子作りと言った女の子らしいもの。失敗するかと不安だったが、うん。思ったよりも、いやそれ以上の。
 口内で最後の欠片が形を崩したところで、ふと目を細めた。元の世界の鷹斗との記憶がふと目前に、突きつけられるように舞い上がって。鋭く胸を付く小さな針をわざと無視して、机の上に両手を打った。かちゃりと、器具やら食器やらの打ち付けあう音がする。震えをやり過ごすことも忘れて手の甲を凝視して、あっと思ったその瞬間膝から力が抜けるような感覚に崩れ落ちた。
 脇の下に手が差し込まれ、ふっと吐息が耳にかかる。
「おっと」
 軽快、とでも言おうか。軽い声は聞きなれたものなのだが体が異様にだるいというか、よく解らない倦怠感のようなものに包まれている。そっとベッドに下ろされて、洗い立てのその感触を確かめている間にそれは唐突に引いた。脳天からすうっと、血の引いていく感覚。
「貧血、ですねー」
 コンマ数秒はやくレインはそう言い、転送の影響かストレスですかと分析する。いつのまにか部屋に入り込んでいたらしいその人を怒る気力も無く、しかも抱きとめてくれたのだから文句も言えず揺れる聴診器を眺めていたら視界に手が割り込んで無理やり意識を引きずり戻され、まばたきをして顔を見上げる。
 びっくりしました。大してびっくりしてなさそうに首の骨を鳴らして一笑。立ち上がろうと触れた簡易式のテーブルの上、誘われるようにレインが視線を移して喉を鳴らすような笑い方をする。そして、深呼吸。落とされた視線と視線がぶつかって、立ち上がりついでに目をそらした。
 一枚、つまんで。止めるまもなく笑みの奥に消える。食感のオノマトペで言えばさくさくが適切であろう効果音と共に、飲み下される音も便乗する。
「カエル君は」
 搾り出したのは的外れなセリフ。あまりにも混乱しているらしく上手く頭が回らない、もう、畜生何なのこの人。
「あー洗濯中ですー」
「・・・水に、沈めて」
「ぶくぶく」
 ふふっと愉快気な、レイン。思い出したのか一瞬高く笑い、肩を揺らす。君じゃないんですからやめてくださいよー、と。言う顔は確信犯。
「汚かったからですよー?」
 お茶でも用意しようか。即断即決、何かむかつくんでスルー。動き出してたまたま沸かしてあったお湯と共に茶葉を引きずり出し、紅茶を作る用意をする。柑橘系のにおいが仄かに香り、アールグレイかしらと大体の見当をつけながら湯を注ぐ。
「あーおかまいなくー」
「がっつり座ってんじゃないのよ」
「ええー、そう見えます?」
「残念ながらね」
 心地が良い。ような、そうでもないような言葉の交換。上辺をすべる会話は傷口を消毒している時のように、すっとするけれどわずかに痛みを伴う。彼はまあ今のところは優しくて、害のある存在ではない。話している時には楽しいし、たまにとても面白い話をする。興味があって、惹かれる話だ。
「これってボクにですー?」
 やっぱり、確信犯。唇の真ん中を引き上げるみたいな笑顔はつかめなくて、空気よりも抵抗が無く腕だけがぱたりと落ちる。もう、何なのよ。いいから掴ませて頂戴。
 ただその謎めいた一面が、少し。ほんの少しだけだけど、気になる。のは否定できない。なぞなぞみたいなものだ。簡単そうで簡単じゃないから頭を抱えて答えが気になる、それだけ。あくまでそう、観察対象。
 散歩がてらに寄ったらしい。紅茶の用意と共に突然の訪問のわけを聞かされて、ああだったかうんだったか適当に応える。政府内は確か仕事をするところで、散歩スポットだったとは初耳だ。皮肉れば「知りませんでした?政府の外も散歩スポットじゃないんですよー物好きがふたりですねえ」と若干の皮肉で返された。
 ティーカップを目前に置く。不機嫌をあらわした音で机に打ち付ければ両手を耳の高さまで挙げて英語で何かを叫ぶ。批判がましい口調から文句を言っていることは解ったが顔は、もう何度も言うが笑顔固定式だったので放置する。
「・・・・ん、あ。おいしいです」
 理一郎に絶大なる拍手喝采。おいしいお茶の淹れ方を習っておいてよかった。何で紅茶の淹れ方を知っているのかはいまいちよくわからないが細かいことは気にしないことにする。
 しばらく。と言ってもあまりたっていないのだろうが、陶器同士が擦れ合うチンっと高い音とクッキーの噛む軽いそれが響く。気に入ってもらえたのだろうか、にこにこと少し喜色を含んだそれが少し可愛らしくて満足。とりあえず不快な気持ちにだけはさせていないらしい。
「どうして鷹斗に?」
 切り出してみた。ふと聞いて見たくなり、波紋。ティーカップが、かちゃりと鳴って薄いブラウンが揺らめく。
「内緒です。あー、でも。同情だけではないんですよー」
 おしまい、なんだろう。彼が正直に答えるなんて露ほども思っていなかったのでどうでも良い。ただ会話の一旦、それだけだ。
 穏やかなのはどうも落ち着かない。レインとの会話は、きりっと弓道の弓を引くときのように張り詰めているくらいのほうがらしくて良い。何故だかそちらのほうが、落ち着くのだ。
 人口の光の下で、それでも瞳は綺麗で。じっと見つめていたら視線に気がついたのか眼球が揺らぎ、私を捉える。思いのほか視線は強くて射すくめられたように動けない。
 テーブルの向こうから手が伸びてくる。何をするのか、何のためにか良くわからなかったけれど、受け入れて。受け入れようとしている私が居て。
 動揺する。椅子を引いて立ち上がる。レインが何かを言おうとして、遮るように扉の向こうで声がした。
 唐突だった。激しく唐突だった。レインが一瞬めずらしく動揺して後頭部からベッドに突っ込むくらいには唐突だった。そして肘を突っ張って起き上がるまではコンマ数秒で俊敏だった。
 ひそめられているわけではないけれど、静かな声が遠慮がちに私の名前を呼ぶ。掠れた甘めの声は、そう。嫌でも聞いたことのあるもので。
「た、かと」
 まずい。この状況はとても、まずい。後ろめたいわけではないけれど、散々鷹斗の誘いを断っておいてレインとお茶会。なんだかよくわからないがとてもまずい。とりあえずまずい。クッキーはおいしかったと思うけれど。
 駄目だ。とても混乱している。
 どうやって追っ払おうかと結構酷いことを考えながら脳をフル回転させていると、以外にもというか迷惑以外の何者でもなく。
「あらあーキングじゃあないですか」
 レインが口を開いた。えっと、扉の向こうで声がする。
「・・・入るよ?」
 というか入らないで欲しい。
 声ごとおどろおどろしい鷹斗は薄暗い笑顔と共に入室してきて、部屋の状況に少しだけ目を張る。それも一瞬で、すぐに笑顔に張り替えられたけれど。
 ここにも笑顔固定式スマイル弾装備が一人。正直逃げ出して白いもふっとした感じの彼に助けを求めたい。
「んーと。何でレインが、ここに?」
「いやあキング。驚きましたー、またお誘いに」
 先攻レイン、アルカイックスマイル炸裂。助けて円本当助けて。
 ギスギスというよりも、無言。いっそ和やかにも見えるその空間が恐ろしい。何なんだろうこの人たちは。腹に一物も二物も抱えていそうな。
「あー、そうだ撫子くん」
 顔を上げた。いつのまにか俯いていたらしい。カケアミを背負って素晴らしい欝をまとった鷹斗を完全無視して、レインは少しだけ顔を近づけてきた。その向こうにいる鷹斗がちょっと、顔をゆがめる。
 ごめんなさい鷹斗嬉しくない。ていうかこの状況は何。
「クッキー、おいしかったです」
「・・・気に入っていただけたようで何よりです」
 今、言うか。確信犯は笑っていない目で笑うという器用な業を披露して、ひどくゆっくりな動作で私の隣に腰を下ろした。薬品とアルコールとクッキーの甘いにおい、両方がにぶく香る。白衣に落ちた青い影を目でなぞり、すごい勢いでしわだらけだったので指先で伸ばしてやった。
 のが、悪かった。
 ありがとうございますと頭をなでられ、肩にもたれかかられ。いつも以上にわけのわからない行動をしてレインは、ふうっと息を吐く。何で満足げなのかとりあえず三時間ほど問いただしたい。
「クッキー」
 なぞって鷹斗が呟いた。部屋の空気がツンドラ気候よろしく冷ややかになって思わず身震いをした。
「ええ、クッキー。彼女に作っていただいてー」
「へえ。良かったね、ルーク」
「とっ・・・ても美味しかったですー」
「ふうん」
 和やかなる論争。論点がいまいち見えないが、とりあえず言い争っている。何、誰か逃がして。
「ルーク。仕事終わったの」
「次回渡されるであろう物も先回りしてー。いやあ、わかりやすくて大変仕事がしやすいですー」
「そう、それはよかった。ルークはもしかしてまだ、日本語とか苦手なのかな。ごめんね、気付かなくって」
「いえいえー大丈夫ですよ。部下思いの上司さんですねー」
「能力は充分に評価してるんだよ、能力は」
 二回言った。
 いっそ私が日本語さえわからない別の国の人になりたい。ちくちくちくちく、密かに毒を含んだ言葉はそうじて皮肉で彩られ、語尾や言葉のなかの単語などが少しだけ鋭さをふくむ。よく聞けば相手に対する、卑下。腹の探りあいにも似た緊迫感。張り詰めた方が落ち着くとは思ったけれど、さすがにこれは少々辛い。
「で、どうしてここにいるのかな」
「あれ、解りませんかー?楽しくお茶会ですー」
「楽しく、ね」
「クッキーも手作りらしくてー。撫子くん、料理うまいですねぇ」
 話を振らないで欲しい。完全に空気と一体化することに成功したのにまた日の下に晒される。叫びだしてヒステリーを起こしてやろうかと一瞬考えたが、やめておく。とりあえずお菓子作りならと曖昧に言葉を濁し口をつぐむ。無言の話しかけないでオーラが果たして伝わったのかは定かではないが、二人はお互いに興味を移して会話式ボクシング的な殺伐戦争をはじめた。
 神は居た。
 扉が静かにすべってひらいて微妙な顔をしてたっていた救世主に手を伸ばしたが、無常にもステンレスか鉄か銀色に光るそれがまたしまる。いつの間にやら離れていたレインと鷹斗は気付いていないらしかったので、そっと扉ににじりよって。
「巻き込まないでください本当すみませんでした離して下さい」
「お願い助けて円っ・・・!」
「嫌です絶対嫌です断固拒否しますあんた何しでかしたんですか馬鹿でしょ」
「一息ね!」
 早口でまくしたてながらちらちらと室内を確認して、面倒くさそうに目を細める。心底嫌そうな彼は嫌そうな口調で、嫌そうに私から逃れようとする。だがしかしこちらだって死活問題に匹敵するのだ、そうそうに逃がしてやる気は全く無い。
 袖口を引いてどうにかしてよと小声で囁く。無理ですとさっくり返されて立ち去ろうとする背中にすがって、エンドレス。とりあえず助けてくれるならば誰でも良い。
 そして室内は、静かだった。うわあ、と円の声がする。どうやら声が大きすぎたらしく、二対の目が私と、そして円を見ている。射るではなく、見ている。正直見るという行為のどこにこれだけの寒気を誘うのかが解らない。
 円の何かを諦めた顔、謝れば哀愁漂う風体で微笑まれた。
「ビショップ」
 そっと、鷹斗が名前を呼んだ。引き攣った顔で円が応じて、静かに。慈愛に満ちた声音で鷹斗が、そっと円の名前を呼ぶ。
「よろしくね」
 凄い量の電子端末、なのだろうか。メモリーのようにもみえたそれを何処に隠していたのか取り出して、大量のそれを円に押し付ける。可哀想に、心のそこからそう思っているんだろうレインは部屋の中でまだクッキーを優雅に食しており、張り倒してやろうと決意した。


















「レイン」
 引きずられていった。円がだ。何だか八つ当たりみたいな風に鷹斗が引きずっていった。可哀想にとレインは繰り返す。
「何でしょうー」
 息を吸って。
「元凶!」
「なんのことでしょうー」
 とっくに平らげたクッキーの皿は綺麗な真っ白、食べかす一つ落ちていない。どんだけ食い意地張ってんのよとか思ったけれどどっと疲れが襲ってきたので無視。とても、とても、疲れた。ベッドにダイブして休みたい。
「なんでよ・・・」
「はいー?」
「なんで喧嘩売ったのよ馬鹿・・・」
 いやだってねえ、聴診器を指先でもてあそんですねた子どもみたいな顔。様になるから腹が立つ。
 白衣がシーツと一体化してしまいそうなくらいに、白い。肌も透けてしまいそうに白く、日焼けしていないというよりは地で白いんだろうそんな色。
 そっと鼻を突く薬品とアルコールのにおいの混じったそれはいい加減もうなれたもので、レインと直結するようになっていた。
「えー、だってですよ」
 にっこりと。笑んで立ち上がる。
「折角の二人きり、邪魔されたらむかつくでしょー」
 答えを聞く前に退室していく背中。前のめり気味の姿勢でフリーズしたまま見送って、ずっと椅子からずり落ちた。
 ばか、繰り返してもむなしく部屋に響くだけ。意味を問いただしてやりたいけれど彼の崩れないポーカーフェイス笑顔バージョンを前にしてどうすることも出来ないのだと思い、火照った頬を押さえるだけに留めておく。
 わからない。相変わらず、わからない。すきとかきらいとか、得意じゃない。知りたいという欲求が、恋愛に結びつくほどに簡単じゃないことも解る。
 アルコールと薬品。独特の香りままだ、部屋の中に漂ったまま。






警告、警告。きっと私は戻れない。

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