フレデリックがレナを呼ぶとき、彼はいつも“ねえちゃん”と親しみを込めて彼女のことを呼んでいた。数奇な邂逅をしたあのときから、“村”での生活に慣れ始めた今となってもそれは変わらない。極自然にフレデリックはレナに接していたし、レナもまたフレデリックのことを慕い、受け入れていた。 ――はずだったのだけれど。 レナ・タウンゼントはひどく混乱していた。その細い腕の先にいるのは、綺麗な輝きを放つグレーの眼。深い色彩を持つフレデリックのそれに射抜かれ、レナはぴくりとも身動きすることが出来ない。 「……は、離して。」 「やだ。離したら、ねえちゃん逃げるでしょ。」 「そんなこと、しないもん。」 震える声で懇願した彼女の言葉は、ばっさりと切り返されてしまう。おまけにこの緊迫した状況を作り上げたフレデリックの手は、一向にレナの手首を離す気配はこれっぽっちもなく。ますます、彼女は戸惑ってしまう。 「ねえ、……レナ。」 追い打ちをかけるように強くなった手の力に、真摯な眼差し。そうして呼ばれた名前。そんなフレデリックにレナは大きく肩を跳ね上がらせた。 ここ最近、レナには小さな悩みがあった。その悩みが原因でフレデリックを避けていたのも事実である。以前までは、フレデリックと共に過ごしていても何ら異変はなかった。けれど、彼とレナが一緒に過ごす時間が増えていくに連れて、些細な変化が彼女の中に生まれた。ときどきフレデリックが“レナ”と呼ぶようになってから、尚更にその変化は顕著なものになった。 「――わからない、の。」 「え?」 どうしてこんなにも心が乱れるのか、彼女は理解が出来なかった。だから、尚更にぐるぐるとした困惑に動揺するしかなくなってしまったのだ。 震える手で高鳴る胸を抑えると、レナは意を決したようにフレデリックの眼を見据えた。 「……どきどきするの。」 一緒に居ると緊張するのに、離れているとどうしようもなく切ない。誰かを大切に想うことは知っていても、彼に対する確かな気持ちの変化にレナは困り果てていた。 フレデリックは唖然とした面持ちでレナの言葉を聞いているようだった。正直に言えば、このような不思議な気持ちを年下の彼に打ち明けるのは気恥ずかしい。しかし一度口火を切ってしまえば、あとはするすると恥じらいを捨てた本音が唇から落ちていく。 「フレディの隣にいて、名前とか呼ばれると、……すごく、どきどきしてわかんなくなるの。」 たどたどしく言い切ると、レナはいたたまれない様子でフレデリックの眼差しから顔を背ける。それが、彼女に出来る精一杯の強がりだったのだ。 突然、こんなことを言い出したのだ。フレデリックだって、混乱するに違いない。そうすれば、彼も手を離してくれる。と、ぐるぐると困惑する頭でレナは考えていたのだが、フレデリックの返答は彼女の予想を遥かに超えていた。 「オレだって、そうだけど?」 「えっ、」 「オレもねえちゃんといたり、名前呼ばれたりすると、どきどきするよ。」 弾かれたように顔を上げた先には、少しも動揺の色を見せないグレーの双眸。後ずさろうにも、彼の手がそれを許す気配はない。 「フレディも…?」 「うん。まあ、オレはねえちゃんよりも昔からだけど。」 「それって、」 どうゆういみなの? その呟きは、強く引っ張られた腕に呑み込まれてしまう。レナの身体が誘われたのは、彼女よりも少しだけ小さなフレデリックの腕の中。大きく見開かれた琥珀の瞳に重なるようにして、落ち着いた声が耳元に落とされる。 「ねえ、“レナ”」 心臓と時間が緩やかに停止していく感覚。腕を掴むフレデリックの手は離れるどころか、よりその拘束が強まっていく。彼女の心さえも奪い取るかのように。 「オレがどきどきしてるの、わかる?」 背中に回った腕に、レナは為す術がない。ただ一つ分かるのは、彼の心臓の音をかき消すほどに、彼女自身の鼓動が激しく音を立てているということだけであった。 とっくにノックダウンの心臓 ******** イケショタver 素敵タイトルは誰そ彼さま。 「私、フレディが好きよ。」 例えば、目の前に好きな女の子が居て。その子から、率直な好意を伝えられて嬉しくない男は居ないと思う。少なくとも、健全な男子であるフレデリックはそうであった。 くい、と服の裾を引っ張られ、自然に振り返った先に立つのは、琥珀色の瞳を持つ少女。木漏れ日の淡い光を受けて白磁の肌は艶やかに輝き、柔らかな風に蜂蜜色の髪が揺れる。息を呑むような一瞬の後に、彼女の唇が紡いだのは、それは真っ直ぐな愛の言葉だった。 「好き。」 彼女、レナ・タウンゼントは突拍子のない行動をとることは身内の中では誰もが承知の事実である。だから、レナが何らかの理由でフレデリックの足を止めさせたというのは容易に推測がつく。しかし、彼女が告げた言葉が最もな問題だと言えよう。 「い、いきなりどうしたの?」 「なんとなくよ。フレディのこと、好きだなぁって。」 夢見るような愛らしい表情で、レナは微笑む。別に、これが二人にとって初めての告白というわけではない。お互いに何度か口にしたことはある。だから、フレデリックにしてもレナからの告白は純粋に嬉しくも喜ばしいものでもあるのだ。かなり、驚いてしまうのだけれど。 「好きよ、フレディ。大好き!」 「ちょ、ちょっとねえちゃん…!」 「……フレディは?」 「へ」 例えば、彼女がとても相手を惑わすのが上手な女性だったとする。上手とまでは言わずとも一般的な感覚である、嘘を吐いたり、その嘘で誰かをからかうことが出来る人物だったとすれば、フレデリックもそれなりの切り返し方や、はぐらかし方も出来たであろう。だが、レナという少女は大凡そういった思考とは無縁の人物だったのだ。 「私のこと、………好き?」 淑やかに震える睫に、綺麗に赤く色付いた頬。そして、きゅっと申し訳なさげに掴まれたままのコートの裾。 見栄も計算もない、純粋な申し出のなんと質の悪いことか。一体、いくつあっても心臓が足りないんじゃないかとさえ思えてくる。 「オレだってねえちゃんのこと…!」 「私のこと?」 「っ、」 率直な想いを言葉に乗せようにも、ふんわりとした琥珀色の眼差しを受けてしまうとついつい言葉が続いていかない。不自然なタイミングで躓いてしまったフレデリックの言動を、彼女に少しでも悟られぬように彼はそっぽを向くことしか出来なかった。 「隙あり!」 その刹那。女の子特有の甘い香りが鼻腔を掠めたと思えば、フレデリックの額に落とされた柔らかな感触。驚いたように眼前の彼女へと目を向けると、彼女は口元を隠しながらくすくすと笑っている。 それだけで、大方の予想がつく。息を呑んだフレデリックをよそに、レナの小さな手はするりと彼のコートから離れていった。 「私の勝ちね。」 華やかな笑顔を残し、蜂蜜色の髪とシフォンのワンピースをふわふわと揺らしながら、レナは踵を返した。 とうのフレデリックは触れるだけのキスをされた額を押さえて、茫然としてしまう。ああもうなんて質が悪い、赤く染まった頬に悪態を吐きながら、悪戯な彼女の背を追いかけた。 臆病な駆け引き上手 ******** 思春期へたれver 素敵タイトルは同じく誰そ彼さま。 2代目の拍手文でした。 イケショタもヘタレショタもおいしいですね。最終的にいちゃいちゃしてれば良いと思います。 |