(※数年後※) (※独自設定有※) (※暗い※) 薄暗い室内で、彼女は凛然とした面持ちで椅子に腰掛けていた。闇夜に紛れてしまいそうな気配と、暗い闇に映える白磁の肌。相反する特徴を持つその姿は、とても巧妙かつ繊細に造られた人形のようにも見える。しかし目を凝らして眺めるとその肩は小さく揺れて呼吸しているし、緩やかにその瞳は瞬きだってする。赤く濡れた瞳が覗くそのさまは、彼女が確かに生きているという証拠だった。その命も風前の灯のように脆いものだけれど。彼女の限界が差し迫っていることは、最早明白なことであった。世界はとても、彼女に対して残酷だった。 「どうしてそんな顔するの?」 朧気な月明かりに照らされた顔が静かに問いかける。彼女は至って冷静であり、終始穏やかな表情を崩さない。今彼女が置かれている状況とはまるで削ぐわない穏和さが、余計に人形めいた魅力を引き立てているように思う。いつからか、彼女は自分の境遇に嘆くことなく、受け入れているようになっていた。川が流れていくように、花が咲いて散るように、自然な流れとして捉えていたのだ。 身体の成長は止まってしまったけれど、心の成長は止まることなく、彼女を大人にさせた。 「せっかくの綺麗な顔が台無しだわ。ほら、笑って?」 首を傾げて促すような仕草をした彼女の肩から、さらりと長い髪が一房滑り落ちた。きらきらと夜の闇に瞬くその髪に目が眩む思いだった。その一つ一つの動作が彼女の儚い眩さを駆り立てる。ただ一つ不釣り合いなのは、澱んだ輝きを持つ赤黒いその瞳だけ。 到底、人間が持ち得ないその色彩は彼女が人間ではないという証拠。そして、変わることのないその赤い瞳こそが、何者でもなくなってしまったという事実だった。 「ううん、昔は私より小さかったのに。今はもう、手を伸ばさなきゃ届かなくなっちゃったのね。」 彼女はゆったりと椅子から立ち上がると、手を伸ばした。長いスカートの合間から覗く白い足は背伸びをしており、明確となった身長の差を現している。その時になって初めて、彼女は淋しそうな眼差しを称えたのだけれど、直ぐにそれは淡い微笑みの底へと隠されてしまった。 伸ばされた手は、直前にぴくりと躊躇いを見せたが、彼女の手は強かな意志を秘めて頬に触れた。冷ややかな体温。大凡、人間よりも冷たすぎる体温ではあるが、その柔らかな感触は、不思議と肌に馴染む。 「すっかり、大人になったね。でも、男の子だもの。当然なことだわ。」 頬を包む手はそのままに、彼女は言葉を続けた。話しているのは目の前の彼女のはずなのに、諭すようなその言動たちが胸に蟠っていく。時折、心を刺すように痛むそれが、彼女と対峙しているこの状況には丁度良かった。この痛みだけは、彼女を繋ぐ確かなものだから。 彼女の絶大たる力が思わぬ方向に逸れたと分かった瞬間の、“村”の対応はあまりにも当然かつ冷酷なものだった。このままの状態を維持すれば、彼女にどんなに悲惨な末路を与えられるかなど誰の目にも明らかなことであった。 「でも、」 そう区切って彼女は手を離す。背伸びしていた踵をしっかりと床に着け、今度は手を取った。小さな両手に丁寧に握られた右手に彼女は、やっぱりと小さく呟いた。見上げたままの緋色の双眸は、柔らかく彼女の本質を写し出す。血濡れたその瞳は、今も昔も変わらずに彼女の穏やかな性格を示していた。 「この手の優しさは変わってない。」 着実に流れた時間の中で、お互いにさまざまな経験をした。良い意味でも悪い意味でも、大人になったのだ。その経過に、この手で切り捨ててきたものは数多にある。それは定められた道であり、進むべき道には必要な犠牲だったから。その手を、彼女だけは変わらないと言ったのである。彼女自身もまた、この手によって振り払われるというのに。 「ここまで、私が生きてこれたのは貴方のおかけでもあるのよ。」 殺伐とした空気の中、彼女はその顔を優しげに綻ばせた。 何故、そんなにも彼女の心はこんなにも寛大で悲壮感に満ち溢れているのだろうか。いっそのこと、詰って憎んでくれたって構わないのに。決してそのような浅ましいことをすることはなかった。痛々しいまでに、彼女は高潔だったのだ。 「だから、後悔なんてない。」 きっぱりと言い切った彼女は、反論の余地などないほどに毅然としている。彼女の意志はとても強固なものだった。 ふつりと途切れた会話に、彼女は丁寧に手を握りながらその手を引く。再び彼女が舞い戻った先は、あの椅子の上だった。そこに戻ることが、取り決められた運命かのように。定められた道を現されたようで、ひどく胸がざわついた。 「……そんな顔しないで。」 彼女の頬に手を合わせた。するりと輪郭をなぞれば、淑やかに長い睫が震える。 結局、道は一つしかなくて。違えることも、覆すことも出来やしない。全ての事柄がべっとりと絡みついて、振り払うことすら叶わない。その先に待つのは、夜よりも深い暗闇だろう。 「心が、泣いてしまうわ。」 夜に紛れてしまいそうな漆黒のドレスを着た彼女は、確かに存在していた。その存在を否定するこの世界は何なのだろう。欲に塗れたこの世界の方がよっぽど醜く、不条理なことに満ちているというのに。世界が、彼女を見放したのだ。 する、と彼女の手が離れる。緋色の瞳が、悲しげに笑った。 エンドロールの 先頭には君の名を 彼が取るべきは彼女の手ではない。懐に忍ばせた鈍色の銃だ。それでも手にしたのは悲しいまでにか細い彼女の身体だった。この時間は決して永遠ではない。長い時間の中のほんの限られた一瞬。だからこそ、その一瞬だけは手放したくなかった。 屈んで身を寄せる彼の懐に彼女は額だけ傾ける。ひたりと押し付けられた唇に懐の銃が突き刺すように冷たくなり、鈍い重みが増した。 「――君の世界だけは壊さずに守りたかったんだ。」 ************* 素敵タイトルは誰そ彼さま 一本道の未来。本編で垣間見える優しさと強さは長所であって短所だと改めて実感しました。だからどうしても、他人に定められた息の詰まるような未来が思い浮かんでしまうのですよね。 |