月に一度、レナがとても楽しみにしている一日があった。
 お気に入りの洋服を着て、いつもとは異なるアクセサリーや小物を使ってみる。普段よりもちょっとだけおしゃれに気を配るこの日は、レナにとって大切な一日なのだ。その証拠と言わんばかりに、彼女の部屋に掛けられているカレンダーには、今日の日付には赤いインクで大きく丸印がついている。シンプルなそのカレンダーに映えるその赤い丸印が、彼女の期待の表れだといえる。
 そんなレナは、ふかふかのベッドの上に置かれた、デザイン違いのカーディガンを苦い顔で見下ろしていた。温和な彼女にしては珍しく険しい顔をしている理由は、ごく単純なこと。そんな一方的なにらめっこを中断させたのは、隠すことなく早急さを表すノック音。
 その早急さを気に留める様子もなく、レナは緩やかにドアへと振り返った。

「アーウィン、どうしよう。」
「……どうするも何も。さっさと決めてしまいなさい。」

 大きく溜め息を落として開けたドアにぞんざいに寄りかかったアーウィンに、レナは困ったように眉を下げた。彼自身も大方の予想はついていたらしく、すたすたと部屋の奥へと進むと、ベッドの上に広がる洋服を見下ろした。そして、レナのように長い間睨み合うわけではなく、すんなりとアーウィンは漆黒の眼差しをレナへと向けた。

「このスカートと合わせるなら、ネイビーの方にしては如何ですか。」
「こっち?」
「ええ。きっと似合いますよ。」

 普段と変わらず淡々とした物言いではあるが、その眼や口元はいつもよりも穏やかさを滲ましている。手渡されたネイビーのカーディガンを見ながら、レナはふんわりとはにかんだ。時折みせるアーウィンの優しさが、彼女はとても好きだった。頭の回転の早いアーウィンにしては珍しく、本人はそのささやかな変化に気付いてはいないらしい。随分昔にそのことを告げたら、物凄く険しい顔をされてしまったので、その優しさに気がついてもレナがアーウィンにそれを指摘することはなかった。

「ついでに、この服装に合わせた靴を出しておきます。」
「ありがとう、お願いするわ。」
「小さいのも待ちくたびれているので、さっさと準備なさい。」

 てきぱきとベッドに広がっていた洋服をクローゼットにしまいながら、アーウィンは言い切る。そうして、彼が見繕ったブーツを足元に置くと、アーウィンは静かに部屋を後にした。ぱたんと閉じたドアを背にして、アーウィンの後を追うべくレナもまたせかせかとカーディガンへと腕を通すのであった。
 毎月、一日だけ“村”から少しだけ離れた町へと買い物に行くという約束があった。各々の予定によって日付や曜日は異なるものの、月に一度は買い物に行くことになっていた。“村”に来た当初は、レナやアーウィンの家具や生活必需品を買い出すのが目的だった。それがいつの間にか、定期的なものへと変わっただけ。レナとしては大変嬉しいことなので、この変化はとても幸せなものであった。
 ようやく身支度を整えたレナは、肩に鞄をかけると廊下へと駆け出す。足元に気をつけながら階段を下ると、見慣れた銀色の髪を彼女の目は捉えた。

「あ、ねえちゃん。」
「フレディ!」

 レナの足音に気がついたらしい、その銀色の髪の主であるフレデリックは彼女へと振り返った。にっこりと微笑むその姿に、レナはぴょんと抱きつく。

「ちょ、ちょっと!ねえちゃんってば!」
「びっくりした?」
「……そういう冗談はあんまりするもんじゃないの。」

 じょうだん?と目を丸くして復唱してみせたレナの身体は、フレデリックによってやんわりと引き離された。レナとしては、気付かれずに後ろから抱きついて、フレデリックを驚かせるつもりであった。が、結果として目の前にいるフレデリックは少なからず狼狽えていたので、彼女にとって満足する結果となった。悪戯が成功した子どものように、口元を隠してふふと笑うレナに、罰が悪そうにフレデリックは唇を尖らせる。

「ほら!にいちゃんも待ってるし、もう行こ!」
「ごめんなさい、すっかり待たせちゃったものね。」
「おしゃれしたねえちゃんを見れるなら充分だよ。」

 恭しくレナの腕を引きながら、溌剌とした笑顔を浮かべるフレデリックに、今度はレナが狼狽える番であった。
 そうこうしているうちに、玄関へと辿り着くと、アーウィンが懐中時計を片手に相変わらずの仏頂面で立ち尽くしていた。

「もうじきバスが来ます。もたもたしていないでさっさと行きますよ。」
「もうそんな時間なの?」
「ええ。だから急ぎましょう。」

 パチンと懐中時計の蓋を閉じると、じとりと二人を睨みつける。その眼差しが言わんとしていることは、大方推測がつく。それを見て呆れたように溜め息を吐いたのは、フレデリックであった。

「あーはいはい。わかってるってば!」
「……お前は別にゆっくり来たっていいんだぞ。」
「にいちゃん、それ喧嘩売ってる?」

 ちょっとした口論を繰り広げる二人の背を、ぼんやりとレナは見つめる。口喧嘩が絶えない二人ではあるが、その様子はとても仲が良く見えるのだ。世間で言うところの兄弟喧嘩のようなものであると、いつもレナは思っていた。勿論、このことを話せばアーウィンだけではなくフレデリックからも反論されるのが目に見えていたので、このことは彼女だけの小さな楽しみなのである。
 レナを間に挟んで繰り広げられる口論は、彼女にとって大変見覚えのある光景だった。今も昔も変わることのない彼女の親友たち。あの二人も、よく口喧嘩をしていた。そして、二人の間で口論を聞くのがレナはとても好きであった。なんだかそのやり取りがとても子どもっぽくて、穏やかな日常を無条件で教えてくれていたように思う。
 ――今はもう、あの二人の口論を聞くことは出来なくなってしまったけど。

「レナ、どうしたのですか。」
「ねえちゃん?」

 あの瞬間は、レナにとって何ものにも代え難い大切な時間だった。ずっと、ということは不可能ではあるけれど、幸せな関係は継続していくと信じていた。もう二度と手に入らないと知ってから、その尊さと愛おしさを痛感するのだ。泣いても泣いても、泣ききれないほどに。だからこそ、気がついたことだってある。
 窺うようなアーウィンの眼と、フレデリックの心配そうな眼差しに、レナは華やかな笑顔で返した。

「わっ!」
「……全く、貴女という人は。」

 そうして、レナは二人の腕に抱きついた。今、確かに生きているアーウィンとフレデリックの腕に。
 彼女が喪失してしまったものは、あまりにも大きかった。その心中を澱んだ絶望で埋め尽くしてしまうほど、レナにとって苦い記憶である。懺悔と後悔は、数え切れないほどに繰り返した。今でも、彼女はその気持ちは忘れていない。
 守りきれなかったあの幸せな時間は、もう二度と戻らない。だから、今、目の前にある幸せは絶対に守るのだとレナは決意したのだ。

「――なんでもないよ。」

 それは、とても難しいことなのかもしれない。だからといって、諦めて後悔することはしたくはなかった。きっとそれを、あの親友たちは望むはずがないと思えるようになったからだ。そう考えられる強さをくれたのが、アーウィンとフレデリックだった。
 長身のアーウィンに普段は早く歩くフレデリック。しかし今は、二人は腕に抱きつくレナの歩くペースに合わせてゆっくりと歩いてくれた。そんな彼らの優しさに温かな気持ちを募らせながら、レナは小さな日常を噛みしめていた。
 確かに、今、重なっている足音はまぎれもなく“幸せ”の証拠だから。





「ねえねえ、私たち仲の良い家族に見えるかな?」
「さあどうでしょう。…なぁ、フレデリック。」
「……うん。にいちゃん、やっぱり喧嘩売ってるでしょ。」




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素敵タイトルは花畑心中さま。
三人で仲良く買い物に行ってたらかわいいですね。レナの洋服選びで対立する二人だとかもかわいいです。実際のところ、レナが三人でお出掛けたのしいねーとぼやいていたのを聞いた二人が律儀に守ってくれてたりという裏設定があったりします。
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