(※数年後設定※)
(※“村”の設定捏造※)




 夢を見ることは好きだった。
 穏やかで優しい夢を見れば、目が覚めたときの幸福感に胸がいっぱいになるから。焦燥に溢れ恐ろしい悪夢を見たときは、自分はまだ生きて居るのだと安心感を得ることが出来るから。
 しかし、いつからか夢を見ることが怖くなってしまっていた。穏やかで優しい夢は甘い夢は決して現実ではないのだと無情に突き付けてくるから。焦燥に溢れる恐ろしい悪夢から覚めれば、自分はまだ長い生命の途中に居るのだと知らしめられるからである。いつしか、眠ることすら恐ろしい行為にすら思えてしまうようになっていたのだ。

 はたりと我に帰る。他人行儀に冷たいクローゼットから額を起こせば、不安定に視界が揺れた。不格好な体勢でうたた寝してしまったのだから、目覚めが悪くても当然であろう。ずくずくと疼く額を押さえながら、レナはゆっくりと頭を上げた。
 この数年で見慣れてしまった風景。彼女の、彼女だけのお城。幼い頃のように訳も分からず押し込められていた張りぼてだらけの歪なお城ではなく、正真正銘のレナだけの場所であった。しかし、そんな場所とも後数日だけの付き合い。慣れ親しんだ雑貨やぬいぐるみ。お気に入りの服やアクセサリーは既に眼下の大きな鞄の中である。したがって、彼女の琥珀色の瞳が捉えているのは味気ない家具たちが広がっているだけの無機質な部屋であった。

「――なんだか、知らない場所みたい。」

 当然、応じる声はない。ただただ真っ暗な闇の中で、レナの呟きだけが静寂な空間に響き渡った。その寒々しい感覚に、どうしようもない親近感を覚えながら。
 お気に入りだったカーペットもないフローリングは容赦なく夜の寒さを告げる。幾ら、生きた真っ当な人間とは異なる存在であったとしても、長時間も寒い場所に居れば流石に堪える。寝起きのせいで、未だに身体に残る倦怠感を理性で押し込めて、レナはのろのろと立ち上がった。
 先程までは、血のように赤黒い光が窓から差し込んでいたのだが、今ではすっかり夜の帳だ。灯りを点けていないせいで、室内は闇の中である。しかし、央魔という特質な存在の彼女にとっては、部屋が明るかろうと暗かろうと、さして問題ではないのだ。常人離れした優秀な夜目が存在するからである。そんな体質を愛おしくも憎らしくも感じながら、はっきりとした視界の中で開きっぱなしであった鞄を閉じた。
 正確な時間は分からないものの、眠りに落ちる前に見た情景から考えて、まだあまり時間自体は経っていないだろう。それに、もしも何時間もねこけていたならば、世話人であるアーウィンが黙っているはずがないからだ。近日中に、アーウィンとレナはこの村を去らなければならない。取り留めて急ぐ話でもないのだが、早ければ早い方が良いと二人は思っていた。
 コンコン、と控えめなノックが後方から響く。彼女は自然にアーウィンが痺れを切らして現れたのだと思った。だから、躊躇うことなく戸を開けた。

「ごめんなさい、ちょっと眠ってしまって……。」

 そうして、少しだけ後悔する。うっかり眠ってしまった自分の行動と迂闊さに。起き抜けの身体は正確に覚醒してはいなかったのだ。でなければ、この香りとアーウィンの香りを間違うはずがないのだから。

「久しぶり、ねえちゃん。」

 聞き心地の良いテノール。小柄なレナをすっぽりと覆い隠すような影を背負って、随分と久しぶりに見た顔があった。
 この屋敷の主であり、まさしく今、大老師就任間近のフレデリック・オーゼンナートその人である。胸につっかえた小さな蟠りを微笑みで飲み下して、レナはその顔を見上げた。

「お久しぶりね、…フレディ。」

 口から落ちた彼の愛称は、彼女の唇にひどく馴染んだ。その懐かしさを残しながらも、レナの頭にこびりついていたのは眠りについてしまったことへの、深い深い後悔であった。







 由緒正しきオーゼンナート家の第七子であり、この村の未来を担っていく大老師の称号をじきに手にするフレデリック・オーゼンナート。そして、央魔という特異な存在へと覚醒し、十四歳から姿が変化しないレナ・タウンゼントには一重には覆しようのない、不思議な縁があった。それは、お互いの生い立ちが関係しているのかもしれないし、央魔の血が起こした禁忌ともいえる奇跡のせいかもしれない。一括りにしては到底言い表せない二人の関係が、“村”という閉鎖的な空間の中で次第に身を寄せ合って親しくなることも、至極当然のことであった。“一緒に居たい”そんな、ごく自然な感情に二人は引き寄せられていただけだったのに。

「最後に会ったのはいつだったかしら。」
「……一週間前。」

 “村”にレナが訪れて数年の間は、毎日のように顔を会わせていた。しかし、ここ最近ではオーゼンナートの屋敷内ですら、お互いの顔を見合わせることはなかった。フレデリックの身体が成長していくにつれて、二人を囲む眼差しが、言葉が、とても厳しく冷酷なものになってしまったからである。
 まるで他人事のように平淡に言いのけたレナの言葉に、フレデリックは歯切れが悪く返した。その言葉を境にじんわりと広がってしまったのは居心地の悪い静寂。ほんの少しの後ろめたさを感じながらも、レナは中途半端に開いたドアを完全に開き、廊下に立ち尽くしたままのフレデリックを何もない部屋へと招いた。扉を完全に閉めず、少しだけ隙間を残すことを忘れずに。

「なんか、寂しくなっちゃったね。」
「私の私物は全部しまってしまったから。」

 廊下のランプが、狭い隙間から一筋の灯りとなって暗い部屋へと神々しく差し込む。その光を眺めながら、フレデリックの言葉にレナは頷いてみせた。彼女が眠れないとき、彼が夜通しで話をしてくれたこともあった。レナではなく、フレデリックの方がぐっすりと眠ってしまうこともあった。その他にも、勉強を教えて貰ったり、本を読みふけることもあった。その全てが、この部屋での大事な思い出である。
 そんな出来事たちが、温かな思い出に変化したのは、一体いつからだっただろうか。そんな風に頭を巡らせても直ぐに答えが出せないほどに、この数年で深く高い隔たりが生じてしまったのだ。

「その荷物がそれ?」
「……ええ。ちょっとしまうのに手間取っちゃったわ。」
「ねえちゃんって、昔から本当に片付けるの下手だったよね。」

 一筋の淡い光を受けて、大人びた銀色の眼が穏やかに綻んだ。優しげなはずの眼差しの中に、何処か悲壮感を感じさせるその眼。もしかしたら、彼も懐かしい記憶を眺めているのかもしれない。そんなことを、フレデリックの微笑を見上げながらレナは考えていた。

「もう。すぐそうやって、子供扱いするんだから。」
「ごめんごめん、怒った?」
「そんなこと分かってるでしょう。」
「うん、知ってる。」

 むっとして言い返したレナに、フレデリックは綺麗な笑顔で彼女へと首を傾げる。その宥めるような仕草が余計にレナへの子供扱いに拍車をかけている気がするが、彼女はこの仕草を彼が無意識のうちに行っているのだと、知っていた。だから、フレデリックのその言葉にレナが返したのは、小さな微笑み。それだけで、他に言葉を発さずとも二人にはお互いのことが理解出来てしまうのだ。曖昧な空白の期間が空いてしまったけれど、感受性豊かな頃に知ったお互いのことは、思い出と同じように色濃く記憶していたのかもしれない。和やかな空気が運んできたのは、やはりあの懐かしさだった。

「懐かしいね、フレディ。」
「……うん、」
「大人に、なっちゃったね。」

 その言葉がどんなに残酷な意味を含んでいるかは、二人はとても良く理解していた。レナの姿は変わることはないが、彼女も彼も、もう子供ではない。子供だからと許されていた我が儘や甘い夢さえも、時間の経過というものは無条件に奪い去っていく。夢さえ願うことさえ出来ない、大人になる。
 彼女の幼さを残す琥珀色の双眸は、そんな時間の流れをただ静かに見上げていた。

「……俺もねえちゃんも、ね。」

 ほんの少しの合間を挟んで続いたフレデリックの言葉が、尚更にその事実を突き付けた。
 フレデリックは後数日で大老師になる。そうなれば、様々な責任を背負っていかなければならない。そんな彼の弱みと成りかねない存在が、レナであった。数年前からそれを危惧していたのは“村”である。着実にその檻は二人の間に広がっていたが、決定打となる強固な檻が完全に出来上がってしまったのだ。
 その檻の名前は、離別。そこに至るまで沢山の議論があったが、最終的にレナと彼女の世話人であるアーウィンが“村”を出るということで話は落ち着いた。それに異議を唱えられるほど、若いフレデリックには立場はなく、レナはあまりにもちっぽけな存在であったのだ。ただそれだけのこと。
 見計らったように、置き時計がボーンと低く時刻を告げる。その無機質な音に弾かれたようにフレデリックとレナは目を見開いた。

「少し話過ぎちゃったね。」
「うん。」

 なだらかに流れていく時間は、意図も簡単に過ぎていく。その経過をしみじみと感じて、二人は顔を見合わせた。
 眉を下げたフレデリックの眼差しを避けるようにして、レナは足元に放置したままの重たい鞄を持ち上げた。

「もう、行かなくちゃ。」

 フレデリックとレナが二人で居ると知られれば、どんなお咎めが降りかかるか分からない。折角、保証された未来も脅かされてしまう恐れだってある。そんなことは、断固として避けなければならない。
 名残惜しさは拭えない。それでも、努めて冷静に振り切らなければならないこともあるのだと学ばざるを得なかったからである。口元に淡い笑みを乗せて、彼女はフレデリックへと早々に背を向ける。急かす心とは裏腹に、手にした荷物は重みを増すかのように彼女の細腕に負担をかけた。
 一筋の光を差し込ませるドアへと手を伸ばす。暗いこの空間も、少しだけ力を加えれば眩い光に照らされる。慣れ親しんだ部屋から、何もかもを持ち去って出て行くということは新しい旅立ちへの一歩となる。文字通り、輝かしい場所へと。
 そうして、レナは冷たいドアノブへと手を伸ばした。

「――待って。」

 真っ直ぐな言葉が張り詰めた部屋に突き抜ける。ノブを掴んでいた手が手前に引かれ、鈍い音が部屋に響く。完全に部屋は暗い静寂へと遮断された。
 暗く寒々しい場所。例えどんなに視界が悪かろうと、人間の域を超えているレナにとっては何ら問題はない。特に支障もなくはっきりと、同じようにその目に同じ景色を写すことが出来る。寧ろ、明るい場所よりも暗い場所の方が好ましいとさえ感じるのだ。今はその体質をただ疎ましく思った。一瞬だけ見たフレデリックの表情に、淡い夢を抱いてしまいそうになってしまうから。

「もう少しだけ、待って。」

 耳元に落ちた声。震える言葉は、まるでレナの知らない人物の声のように聞こえていた。懐かしい匂い、体温、肌。その全てを知っていたはずなのに、誘われた腕の中は未知の感覚で溢れかえっていた。波打つ心に、彼女の身体は硬直する。
 “一緒に居たい”そんな拙い想いだったはずだ。しかし、不完全な状態に断ち切れられた糸は不安定な繋がりを残したまま、歪な解れを肥大していった。時間の流れと共に。
 未知の感覚にレナが感じていたのは、やはり恐怖心と深い後悔であった。退路が完全に絶たれてしまった今、一つの答えを出す必要がある。息を呑むレナを更に追い込むようにして、フレデリックの大きな腕が強く彼女を抱き寄せた。
 こんなことを望んでいなかった。ただ長い時間を生きながら、平凡な生活を繰り返して夢さえ見ない眠りにつく。夢を見ることなんて、望んでいなかったはずなのに。身体の奥底から押し寄せる感情の渦に、レナは嗚咽をあげながら縋りつくことしか出来なかった。だってもう、明るい世界への扉は閉ざされてしまったのだから。


(おやすみまたあした)



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素敵タイトル+最後の一文はeerieさま。
定期的にもだもだするお話が書きたくなるみたいですね。周りからの重圧やら何やらで生きにくい大人になってしまった二人。
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