浅葱圭一郎は漸くデスクトップから顔を上げた。早々に仕上げたかった作業にそれなりの目処が着いたからである。大きく伸びをしながら深々へと椅子へと腰掛け、オフィスの出入り口に備え付けられた時計を見上げる。丁度お昼休みが始まったぐらいだ。同僚たちの声に適当に相槌を打って、はて今日の昼は何を食べようかと思案に耽っていると、デスクの上に置いたままの携帯が唸った。 ぶるぶると振動し、点滅する携帯が表示した名前に、浅葱は小さく溜め息を吐いた。おそらく大したことでもなければ、ろくなことでもない。暫く無視を決め込むが、掛けているであろう本人のように騒がしい携帯はなかなか静まらない。耐えかねて携帯を開くと、渋々通話ボタンを押して気怠げに言葉を待った。 『あ。浅葱さん!今お時間大丈夫ですか?』 「……切るよ。」 『わああ!ちょっと待ってください!』 想像通りというか変わらずというか。電話を寄越した相手は腑抜けたような元気すぎる声で喋っている。自ずと耳元から少しだけ遠ざけた携帯から、溌剌とした声が続いた。そして、発せられた言葉に思わず目を見開く。 「は?鍋?」 つまり用事はこういうわけだ。電話の相手である萩間靖之のアパートにて、鍋パーティー(自分を含め二人しか居ないのだからパーティーとは呼べないけれど)を行うらしい。返事云々より、自分と萩間しか居ないのだからノーという返事はしようがないのだ。 頭を抱えながらも頷くと、携帯を閉じた。今回は厄介ごとではなさそうなので良しとするが、些か彼の脳天気ぶりには振り回されてばかりだと思った。 「で、どういうこと。コレ。」 仕事帰りに萩間のアパートへと寄った浅葱はこめかみを押さえた。そんな浅葱の様子に萩間は疑問げに目を見開いている。 彼のアパートは別に何処にでもあるようなありきたりな部屋だ。大学生の一人暮らしと考えれば充分な場所である。しかし、この部屋には一つだけ日常とは異なるものが存在するのだ。 『何よ。あたしが居ちゃダメだって言うの?』 それなりに整頓された居間の中。真ん中に置かれた机には、美味しそうな香りを纏う鍋。そして、その横に座っているのは幽霊の女の子。 ぼんやりと透けている身体に、青白い肌。見るからに生きた人間ではないその少女は、この部屋に取り憑いていた幽霊なのだ。 あの夏の夜に起きた出来事を境に、さとみというこの幽霊の少女はこの一室に度々姿を現すようになったのだ。勿論、あのときのような乱暴な真似はしないし、萩間をあの世へと連れて行こうともしてないようだけれど。 あのときのような深い執着がなくなった少女は、とても穏やかな面持ちで現れるようになった。その自然な姿は、本当に生きている少女と見紛うほどに。だからといって、少女が死んでしまった事実とこの部屋で何名かをあの世へと引きずり込んでしまった事実だけは変わらないのだ。 「ほら!せっかくですから、さとみちゃんにも参加してもらおうと思ったんですよ!」 『……あたしだって断ったわよ。』 「お前の脳天気さは呆れを越して、寧ろ賛辞に値するレベルだね。」 つんとそっぽを向いたさとみの姿に、萩間が少女に頼み込んでいる図が容易に思い浮かんだ。他人と比べて人が良すぎる萩間は、物事を頼むときも直球で頼むタイプだ。損得勘定のないそれは、あまりにも断りづらい。当然、彼はそんなことに気付きもしないのだろうけど。 浅葱が思うほどに、何だかんだで己の立場を理解している幽霊の少女は、深いところまでは関わることはしない。そんな生者と死者の隔たりを萩間はあっさりと埋めようとするのだ。 客観的に見てそれは決して良い行いとは言えない。しかし、主観的に萩間靖之という人物を理解した上で見れば、すっかり善悪の境が分からなくなってしまう。 「……それ褒めてるんですか?貶してるんですか?」 「さあ?好きに捉えれば。」 『馬鹿ね。貶されてるに決まってるじゃない。』 「やっぱり貶してるじゃないですか!ひどいですよ、浅葱さん!」 呆れたように返されたさとみの声に、萩間はぎゃんぎゃんと喚き出す。それをやんわりと無視して、机の横に鞄やらコートを置くと、さとみの隣の席へと座った。 そうして、丁寧に置かれたお箸とおたまを取ると憂いの色を残す少女へと声を掛ける。 「で。さとみちゃんは何食べるの?」 『え…?』 「というか、食べられるのかさえ疑問なんだけど。」 『たぶん、平気。』 「ちょっとちょっとッ!俺のこと無視して進めないで下さいよッ!」 騒がしく浅葱の向かいの席へと座った萩間から、何処となく和んだ空気が流れてくる。萩間の底抜けの脳天気さと朗らかさは、とてもではないが真似できる芸等ではない。 純粋な気持ちで物事を見られる萩間の存在がある故に、悪霊に近かった幽霊の少女を生前の面影を残してこの場に留まらせていることが出来るのだろう。 幽霊が現世に未練を残して留まり続けることはやはり望ましくない。それでも、この少女の場合は萩間という存在のお陰で、長い時間がかかっても光の道へと辿り着ける可能性があるのだから。 「ホント、つくづく恐ろしい男だね。」 『全くだわ。』 「?、どうかしましたか?」 浅葱の独り言に気まずそうに同意したさとみに、当の本人である萩間はきょとんとした表情で二人を見つめ返す。別に、と浅葱は言いながら小皿に移した食べ物をぱくりと食べた。 つまるところ、その脳天気さが萩間靖之の良いところなのだ。おそらく、その結論に至ったのは隣の幽霊の少女も同じらしい。普通ならば、幽霊の少女と同意見という時点で疑問に思うべきだ。しかしそれさえも、気にならなくなってしまいつつある辺り、完全に萩間によって絆されている証拠である。 一名様、非日常にご案内 ******** 素敵タイトルは花畑心中さま ED後、一夜組がこんな感じで仲良くしてたら良いなあと思います。 NP作品の女の子でさとみちゃんは美人さんの部類に入りますよね! |