▼ 落ちた
対象がいると思われる扉の前の護衛を片付け、扉を開く。疑心暗鬼に陥った政治家は、自分の近くには人をあまり置かなかったらしい。これぞまさに、といった様子の脂ぎった頭皮と固太りした腹の醜さに鎖砂は思わず笑ってしまった。
「ばいばぁい」
政治家の口が開くより先に額に穴が開いて、見開かれた目からすべての色が消えた。
「依頼達成したよぉ」
「お疲れ。寄道せず帰って来いよ」
労いの声は乱暴に開かれた扉の音によって鎖砂に聞かれることはなかった。
赤い少女が青い少年に肩を貸して立っていた。間近で見ると少女は美しく、眼帯すらも彼女の美を引き立てるようだった。
「……貴方、さっきの」
少女は鎖砂の手に握られた銃を見て言葉を詰まらせた。
負傷者がいる割には早いお出ましだと、鎖砂は微笑む。邪魔者も、思考を阻む眼鏡もないので彼らの情報はよく見えた。口を開かない鎖砂に対して、少女は礼を述べた。
「……さっきは、彼を助けてくれてありがとう。あなたは……わたくし達と同じかしら」
暗殺者という意味でなら同じだ。しかし鎖砂はあくまでもただの人間である。
焦りの色が強まり始めた少女に鎖砂は答えず、少年に目を向けた。
「そこの彼、面白いねぇ」
「……は?」
少女の口から場違いな声が漏れた。何を言い出すのかと。鎖砂は気にも止めず読み取る。
「……風川流人くん? 彼の血を浴びたらみんな倒れていくんだもん。筋肉弛緩剤飲まされたみたいにビクビクしながらさぁ」
少女は完全に不審の色を濃くした。コードネームであろう「流沙」の文字も鎖砂には見えていたが、敢えて本名を口にした。
彼女の名も見えた。「薔薇戦争」こと、荊華院薔子。
「君もすごいよねぇ、荊華院のご令嬢なのにまさかあんなにばったばったと敵を薙ぎ倒すなんてさぁ!」
あんな戦い方は見たことがない。彼女は強い。ーー彼女と戦いたい。こんな闘争心と高揚を感じるのはいつぶりだろうか。東が諌めるように呼んだが、鎖砂は無視した。
そして鎖砂の思惑通り、薔薇戦争の焦りは限界に達した。薔薇戦争は残る矜恃と理性でそれを押し留め、流沙に小声で呼びかけ下がらせた。右手には既に見事な刀を携えていたが、更に左手でレイピアを抜いた。
「何者なの」
「それはこっちのセリフだよぉ」
「……我らは神に愛された者よ」
神に愛された者。なるほどと鎖砂はほくそ笑む。神に愛されたからこその戦闘能力ならば、強くないわけがない。生憎、鎖砂は無神論者だったが。
「ば、ら」
張り裂けんばかりの静寂を、掠れた声が響いた。鎖砂は目を向ける。自らの血か、血塗れの流沙が浅い呼吸で彼女を呼んだのだった。
愛、か。
薔薇戦争が流沙に答えようとしたとき、真洋が半ば諦めたように口を挟んだ。
「余計な厄介事は増やすなよ」
「うん、ほどほどにするから大丈夫だって!」
地を蹴った彼女に、鎖砂は躊躇いなく発砲した。