吸ってもいないくせに、タバコの味は知っている。知ってからますます好んで吸おうとは思わなくなった。よくこんなの吸えるねと言うと、美味しいの不味いのじゃなくて慣れたからそのままズルズル吸ってるんだと返ってきて、それは完全に惰性じゃないか。まぁ、諏訪くんほどじゃないんだけど。
東とのはじめてのキスはやたらに苦くて、誰だ、レモンの味なんて言ったのは。二回目のとき、それが東の好んで喫むタバコの味だとわかった。
タバコは好きじゃないけど、東が吸ってるところを見るのは好きだ。それを言ったら今の今までタバコを咥えていた口でキスされて、ふうーっと音をさせて煙を口の中に吹き込まれたのを覚えている。煙が目に沁みて涙が出た。肺まで吸い込んで死にそうなほどむせた。それを見た東は楽しげに笑っていた。悪趣味。

成人だけが味わえる酒もタバコも、成人してから数年経つのに、あまり味わっていないように思う。ハタチになりたての頃、酒は飲んでも飲まれるな、を気にしすぎた結果だ。
大人だから絶対しなきゃいけないってことはないし、酒は嗜む程度には飲むし、特になんとも思っていないけど。ハタチか、あの頃は若かったな。そろそろ私もアラサーの仲間入りか。せつない。ちなみにここで言うアラサーは正しい意味、つまり三十路プラマイ3歳ということで27歳以上33歳以下の意味でよろしくお願いしたい。
時間が経つのは本当にあっという間だ。ということを、昔から何度思ってきただろう。誰が酒飲みになりそうだの誰がタバコ中毒になりそうだのとどうでもいいことで盛り上がれた、女子高生特有のきゃぴきゃぴした時代が私にもありましたとも。
社会の理不尽とか面倒くささの濁流に流されそうになって、踏ん張って、たまに流されて、そのままズルズル生きてきた感じだ。今じゃ無謀としか思えないほど大きな夢を抱いた時代だってあった。なんのことはない普通の大人になった。特別な職業に就いたわけでもない。東は特別な職業に就いたと言えるんだろうけど、それが昔からの夢だったかはわからない。なりたいものになれると思っていた純真無垢なあの頃を時々思い出しては苦笑する。

「ふへ」
「なに、気持ち悪いよ」
「そんなこと言うか」
「どうした」
「夢見てたなあって」
「うわあ」
「うわとか言うか」

ふー、と最後の一息を惜しむように少し長く吐いてから、タバコの先が携帯灰皿にギュッと押し付けられた。紫煙がふわりと漂って、私の鼻腔をくすぐる。ヘビースモーカーではないにしても、東は家以外であんまりタバコくさくないのがふしぎだ。

「夢って?」
「まあ…いろいろ」
「ふうん」
「露骨に興味なさそうな反応やめろし」
「聞いても言わなかっただろ」
「いろいろあるからね」
「ふうん」
「東はさあ」
「ん?」
「タバコ吸うの夢だった?」
「…んー」

東は取り出しかけていた新しいタバコを箱に戻して、数秒沈黙があってから、「そうでもなかったかな」と答えた。だよね。私だってこんなありきたりで平凡で当たり障りない人生が夢だったなんて、ありきたりで平凡で当たり障りない大人の安っぽいちっぽけなプライドにかけて、あんまり言いたくない。
私なんで大人になったんだろうな、若いっていいな、戻りたい。まだ中途半端に若いから、そんなことを考えてしまうんだ。

たとえば吸いもしないタバコの味を知っているように、東のおかげで私は、普通に生きていれば知らないこと―――近界とかボーダーのこととか、全くでは無いにしろほとんど関わりがないそのあたり、も、知っている。
小さい東はどんな大きな夢を抱いていたのかは知らないけれど、それは別に知りたいとは思わない。もしその夢がそっくりそのまま叶っていたら、たぶん私は東に会えていない。昔でも東は東であることは変わりないのに、私の知らない頃の、もしかしたらの東を知ってしまったら、なんだか余計に遠く感じてしまう気がしている。どうせなら近くに感じていたい。副流煙が届くくらい。それを私の口に吹き込めるくらいの距離にいてほしい、そばにいてほしい。悪趣味なんて今さらだ。だから怖いんだ。簡単には死なないのかもしれないけど、あんな怪物みたいなものと戦う東は、やっぱり、変に遠く感じる。そばにいてって、陳腐かもしれないけど。

子どもの頃、つまり“純真無垢なあの頃”は、タバコも嫌いだったのに。私がなりたいなりたくないに関わらず、私は、大人っぽくない大人になってしまった。ありきたりで平凡で当たり障りない、でも吸わないタバコの味を知っていて、なりたいものになれるとは思わなくなったけど、なりたいものはますます無謀になった。考えるほど、私に大人は勿体無いな。ねえ東。

「そう思わない?」
「ごめん、なにが?」
「私に大人は勿体無い」
「ちゃんと言おうな、びびるから」
「すんません」
「俺は、お前がそのまま大人になってくれて良かったと思うけどな」
「どうして、……ん」
「こうしてキスもできないから」

やっぱり私は、タバコの味は苦手だ。それが嬉しいと思えるのは、大人だから、じゃなくて、私と東だから。近くにいるってよくわかるから。でしょ。当たり?こんな考察ができるのは、それくらいは、大人だからってことにしといてね。



それは確かに叶えたかった夢でした
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