諏訪の彼女はおそろしいほど容姿端麗である。諏訪は陶器のように滑らかで白い頬が薔薇色に染まるのを見るのが好きだ。まさに花笑みといったところで、見ているこちらが赤くなってしまうほど美しく可愛らしい。現に堤や笹森は顔を紅潮させていた。まあなんとも美しく微笑む彼女であるが、大口を開けて笑うこともある。それを見るのも好きだった。鈴が転がるような声、地方出身の彼女の方言も聞き心地がいい。束縛も一切しない。春駒旭は、描いたような理想の彼女なのだ、が。


「悪い、遅れて…悪かった」
「ええんよ。お仕事でしょう」
「そうだけどよ」
「あらあたし、洸太郎に、絶対来いて言うてしもたかしら」

その花笑みに皮肉はない。彼女の心の底からの言葉である。
いつもこうだ。諏訪が急な任務で彼女との約束の時間をすっぽかしても、何かしら難癖をつけてかわし、諏訪に非はないと丸め込んでしまう。難癖のバリエーションは豊富で、時には言葉足らずのあたしが悪かったり、またある時は察しの悪いあたしがあかんかったりした。
旭は、執着しない。
諏訪は、彼女のこんな甘さに乗じるほど怠惰な彼氏ではない。この甘さが逆に心苦しい。心苦しく思っているわりに連絡ひとつ寄越せないのは、招集がかかると諏訪の頭を支配するのは途端に戦闘一辺倒になってしまうからで。まぁそれも、早く済ませて旭のところへ向かわなければいけないという意思の表れなのだが、もともと連絡がマメなほうではない諏訪は、約束の日に入った任務が終わっても携帯を確認することが希薄だ。
どんなに遅れても、彼女はいつも待ち合わせの場所で待っている。

今日の待ち合わせ場所に使われた行きつけのカフェで、旭は、すっかり冷めているであろう紅茶のカップを手に持って揺らし、手持ち無沙汰というふうにカップの中で波を立てるオレンジ色の液体を眺めていた。ケーキ皿にはすっかり何も載っていない。それを見て思わず諏訪は、悪い、と二回謝罪の言葉を口にしたのだが。
絶対来いと言われた覚えなんてなくて答えあぐねる諏訪に、旭はにっこり笑って席を立った。

「それもういいのか」
「うん?ああ、ええよ。二杯目やったし」
「……お前さ、もうちょっと怒っていいんだぜ」
「怒ってほしいの?」
「べつに……いや、怒ってもらわねえと、気が済まないってのはある」
「そう?まあ、とりあえず店出よか」

会計を済ませる彼女の小柄な後ろ姿を諏訪は黙って見ていた。こういうとき、普通ならこんな華奢な背中が頼りなさげに見えたり寂しそうに見えたりするものかもしれないが、あいにく旭は背筋をいつも通りしゃんと伸ばして、凛としている。
品のいいブラウスに薄手のカーディガン、すっきりと細い脚を包むスキニー。整った体のラインがよくわかる。任務帰りで気持ちが高揚しているのもあって、諏訪は彼女のボディラインに少なからず欲情した。近頃ご無沙汰なのは諏訪が忙しいからであり、それに対しても旭は何も言わない。

こいつ本当に俺のこと好きで付き合ってんのかな。諏訪がこう思うのは何度目か知れない。もしかすると旭もそう思っているのかも、とは、あまり女心を知り得ない諏訪の思考にはなかった。あったとして、彼女も同じ気持ちになるか否かはイーブンだが。
放っておいたら確実に喰われる。約束の“時間”はどんなに遅れても、約束自体はすっぽかさない理由だ。男除けに、諏訪が贈った婚約指輪も彼女の左手薬指に光っている。それでも、誰かに取られる可能性が完全に消えるわけではない。効果はなきにしもあらず、とは言え、この指輪は諏訪への気休めと、諏訪の彼女へのささやかな償いという、婚約者であることを示す本来の目的以外もしっかり果たしている。


「歩いて帰ろ」
「俺ん家はそう遠くもねえけど、お前ん家、遠いじゃねえか」
「アホ、あんたんち行くんや」

そう言ってから思い出した。彼女はいつも待ち合わせ場所を諏訪の自宅近くにする。これも諏訪を気遣ってのことなのだ。つくづく自分の不甲斐なさにため息が出る。

「あのねえ」「うん?」「あんた待ってる間にな」「おう」「男のひとにナンパされた」「はあ?」

なんだそれ早く言えよ。諏訪は一気に焦る。ずっと危惧していたことがすぐそこに押し迫った感じだった。

「大丈夫だったのかよ」
「あたしそこまでヤワやないもの。指輪見せても引かんで、あんまりしつこかったからなあ、見えてませんなら言いますけどあたしにはあなたよりずっといい男がおりますって、足踏んで言うてやったわ」
「足踏んでってお前…」
「ヒールやないだけマシや」

こいつ指輪してんのによく話しかけられたもんだな。お前よりずっといい男だってよ、ざまあ。顔も見ていないナンパ男に、諏訪は頭の中で思い切りトリガーをぶっぱなす。
が、それも自分のせいだ。こんな美人がずっとツレも持たずに居座ってたら、多少のリスクを冒してでも声をかける奴はひとりやふたりはザラにいるだろう。そんな奴よりいい男だなんて、自分はそう言ってもらえるほどのことを旭にしているのか。

「今日泊まってもええ?」
「いいけどそりゃまたなんで」
「帰りたないんよ」
「そーいうこと軽々しく言うなよな」
「本音?帰るんしんどいだけやで」
「くそが」
「ふふ、うそよ、うそ」

旭が諏訪にすり寄る。人通りの少ないアスファルトの細道に、彼女のスニーカーと地面が擦れる音が響いた。

「…ん、嘘?」
「ねえ洸太郎」
「なんだよ」
「あたし何時間待ったと思う?」
「……二時間半」
「三時間」
「……わりい」
「そう思うんならな」
「…なら?」

途端、旭が、諏訪の腕に自分の腕をからめた。彼女にしては、こういう積極的なスキンシップは珍しいことなのだ。驚いた諏訪が、頭ひとつぶんは下にある彼女の顔を見ると、それはそれは美しく妖艶に笑んでいた。花笑みは花笑みでも、まるで藤のような。
諏訪は息を飲んだ。久しぶりに見た、旭の女の顔。その目に映しているのは間違いなく諏訪だけだった。

「今日は朝まで抱いてよ」

さみしいの埋めて、と、旭が言った。

「だから、そういうの、」
「心配してんやろ」
「なにをだよ」
「怒ってええて言うたでしょう。怒らんよ。なんせ愛してるからね」
「……、っ」
「これからも彼氏でおってくれたら、あたし、なんも言わへんわ」

そしてまた藤が綻んだ。
たまらず諏訪は、外なのも構わず、旭を抱き寄せて唇を合わせた。

「これからも彼氏とか、ふざけてんのかバカかお前」
「あら、じゃあ別れる?」
「バカかお前」
「あたしより勉強できんのにバカって」
「鼻で笑うな!バカか!」
「あんたバカしか言えへんの」
「……彼氏じゃ、ねえよ」

柔らかい手をつかんで、指を絡め取る。
家まではあと少しだ。

「さっさと結婚しちまおうぜ」
「…えっ、あ」

彼女は諏訪を愛しているからこそ何も言わないのだと言ってくれた。諏訪だって彼女を愛している。彼女はこんなにも大きな心をもって自分を愛してくれている。諏訪は彼女ほど心が大きくはない、彼女を愛しているからこそ、まだ確実なものではないからこそ、不安になるのだ。そうだ。だったら早く確実なものにしてしまえばいいのだ。彼女自身も、その指輪も。

「……そうやね」
「朝まで寝かせねーからな。覚悟しとけ」
「いけずせんといてな」


「花?あたしが笑うのが?…花ねえ、そんな大層なもんやないわ…」
「あー、あの、あれだ。アネモネ?」
「あたしが洸太郎の誕生日にあげた花やね。うれしいわあ。何色?」
「赤」
「あんた花いうて赤のアネモネしか知らんのやろ。ついでに花言葉、『あなたを愛す』なんやって」
「マジか。愛されてんな」
「どっちが?」



眩しいほどの花吹雪
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -