「どうしたもんかな」

掠れた声で紡がれたその言葉は、私が言いたいくらいだ。


よく言うでしょう、お前はオレのものだとか、その逆だとか。そんなの若気の至りっていうか恥ずかしいほどラブラブな付き合い始めのノリみたいなものっていうか、とにかく私はそういった類が苦手で、周りの女の子たちと自分のギャップに悩むこともあった。
高二にして初めてできた彼氏はそんなセリフは口にしなくて、一緒にいると気が楽で、可愛げがない私の目を正面から見てすきだと言ってヘラッと笑う、ようなやつ。心の中を満たすものに少年らしさをしっかり残して、でも、大人。私は米屋が好きだった。

いや、過去形じゃない。過去形なんかではない。ないけれど、米屋、あんたにとっては過去のことなんでしょう。だから私も頑張って過去のことにしようとしているのに。していたのに。
そういうの、前は絶対言わなかったのに。
どうして今さら、そんなこと。


「頼むぜ…なあ、春駒」

付き合いだす前の呼び方。
米屋はそんなに薄情なやつだったっけと考える。違う。そうじゃない。

「お前が置いてるはずなんだよ」

頼りない人差し指が、遠くから、私の左胸あたりを示す。心臓。こころ。せわしない拍動。今まで職務怠慢をしたことがない心臓は、おかしな速さで、私の身体に血液を送っている。
さっきも言ったことを、わかりやすく、噛み砕くように、私に説明する。時に生気すら感じさせない米屋の大きな目は潤んでいた。

「オレの心、かえしてくれよ」

そしてくしゃっと笑った。無理やりだった。表現は悪いけど、丸められたティッシュみたいだった。用済み。どっちが?
喉に何かが詰まったような、蓋をされているような、声が出ない。出せない、何も言えないまま、私はただ突っ立って、その場に足が根を張ったように動けなくて、米屋の言葉を待つしかできない。目が離せない。泣き出しそうに笑う米屋になんの言葉もかけられず、急かすように見つめてしまう。ひどく酷なことをしている気分だ。

「…お前のこと、忘れられなくて」

思わず背筋が粟立つ。でも、米屋は、そういう意味で―――若気の至りとかで言ったんじゃないのだ。それはわかっている。背筋に浮いた鳥肌を頑張って引っこめる。
忘れられなくて。
別れを告げたのはそっちのくせにと思った。好き勝手言うよ、と。
米屋に負けず劣らずひどく掠れた声が、出ていた。米屋が苦笑いする。目尻に涙が少しだけ滲んだ。私たちはあけすけな物言いをする仲だったから、とはいえこの場で言ってしまうのはよくなかった。もっとこう、他の女の子なら、気の利いたことを言えるのかもしれないけど。

「なあ、返して…くんねえかな」

手元に米屋の心が転がっている手応えなんて、今の今までほとんど感じたことはない。付き合っていたころからそうだったのだ。だから惹かれあっているだけで充分で、だから若気の至り的なああいうのは苦手で、それは米屋も同じで、だから。
だから?
私は、どう返事をすればいい。

「私のこと、忘れたいんだよね」

米屋は頷く。

「まだ、私のこと好きなんだよね」
「……ああ、そうだよ」

だから。
私はどうするべきなのだ。
米屋のためを思おうとしても、私にはわからない。何が正しくて、米屋が何を求めているのか、わからない。
米屋だって私をわかっていない。
だから、私だって、好き勝手しても、いいだろう。

「忘れたいんなら、返してあげたい」
「…助かるわ」
「でも、米屋の心の持ち合わせ、ないよ」
「ん、なわけ……だったらわざわざこんなこと…お前に、言うかよ」

おかしかった。
初めてだった。彼氏が、というか、元彼が、というか、男子が、こんなふうに笑い顔で泣くのを見るのは。
思いきり振ってくれと、言いたいんだと思う。
胸が圧迫されるように息苦しい。声ががさつく。ひゅうと喉が鳴ったけど、細く息を吐いて、震える声を抑えて、言う。

「私だけ米屋のこと忘れられないのは、不公平だと思うんだ」
「、忘れろよ…オレなんか、忘れていいよ、旭」
「無理だよ」

まだ少し迷っていた私の背を押したのは米屋、本人だった。
そうやって私の名前を呼ぶ声。どんなに掠れても、聞きたくないほど切なくても、たとえ怒気を孕んでいても。大好きだった。
手応えや覚えがなくても、人の心というのは、掌握しているものらしい。それなら私の心が米屋のなかにあったっておかしくない。
米屋はまだ私が好きで、私も米屋が好きだ。

「私の心、返して」

やり直せばいいじゃないか。それでいいじゃないか。私たちはまだ子供だ、こんなことでつまずいてしまうような子供だから、自分の心ひとつさえ丸々預けて捧げる覚悟もできない。覚悟ができるまで一緒にいたい。覚悟ができたらお互いの心を取り替えて嵌め込んで、そしてまた一緒にいよう。不恰好で何が悪い。周りと違って、何が悪い。

「……てことは、おまえ、」

米屋が好きだ、大好きだ。私の心全部がそう言っている。心は米屋が持っている。
溶けた瞳が歪んで崩れた。決壊した。米屋は声をあげて泣いた。どうしてそんなに泣くの。私は笑った。そうしたら、米屋も落涙しながら笑った。
好きだって、今なら照れずに言えるかな。言えたら、米屋は笑ってくれるだろうか。米屋は私のものじゃないから、好きだって一言にも、こんなに勇気がいる。

「米屋が、す……、……うう」
「そ、そこは普通に言えよ」
「じゃあ米屋言ってみてよ」
「オレが今言ったってすげーカッコ悪いもん」
「なにそれ、なに、バカ米屋…好きだよバカ…くそ…最低……」
「ディスりながら泣くのやめろよ…」

だって、しょせん、私たちだ。少女漫画のヒロインじゃないんだから。
これで充分。これでいいじゃないか。
まあやり直すためにまずは、あなたの心お返しします。おかえり、米屋が好きだと叫んでる、私の心。



覚めたはずの夢がまだ此処に
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