陽介の成績がいい加減ヤバいらしく、今度の中間に向けて今のうちから対策しようということになり、その勉強会に何故か私も呼ばれた。メンバーは三輪隊と出水。どうして男だらけのところに私一人だけ女子を呼ぼうと思ったのかが甚だ疑問ではあるが、「変なことしないでね」と言うと三輪が風刃を起動してもおかしくないくらいの凄いオーラを纏ったからとりあえず下手なことは言うまいと思った。
まあ場所はボーダーのラウンジで人目もあるし、何か変なことをしようにも基地内に生身の人間を簡単に殺せるレベルの人たちはゴロゴロいる。かくして私は幼馴染の学力の底上げに努めるべく勉強会へ赴いたのである。

「陽介…お前こんなのもわからないのか…」
「ごめん秀次、純粋に驚いてるんだろうけど、言われるとやる気なくすんだわ!」
「ぶはははは!何をどうしたらこんなんなるんだよ!槍バカの頭どうなってんだ!」
「これ章平でもできるよ?」
「旭も言うなよそういうことをさ!」

陽介の成績は思っていた以上だった。もちろん、悪い意味で。
三輪は眉間に皺を寄せて変なものを見るような目を陽介に向けるわ、出水は大爆笑するわ、進学校に通う奈良坂は「どうやったらこんな答えが出るんだ?」と興味深そうに回答の過程を見るわ、同じく進学校の章平は自分がわかる範囲を必死で陽介に教えようとするわで、陽介のライフはかなり削られているはずだ。

「これは一年でもできるんじゃないか?」
「え、ええと…ここに補助線を引い、て…」
「陽介は補助線も引けなかったな」
「だから今こうして勉強会やってんだろ!?」

とうとう机に突っ伏した陽介に、優しい章平は自分のせいだと思ったのか、慌てて「気分転換しましょう!次は古文やりましょう!」と肩を揺さぶる。三輪が腕時計を見て、やれやれといった感じで席を立った。続いて陽介、章平、出水も席を立つ。
行ってらっしゃいと言うと何がいい?と聞かれたから、おそらく自販機に行くのだろう、レモンティーと答えておく。奈良坂も行かないらしく、お茶を頼んでいた。彼らしい。
「あーあ、ありゃしばらく帰ってこないな」引きずられるように歩く陽介を見て私が笑うと、奈良坂もフッと微笑んだ。私よりよっぽど美人である。

「数学だけならまだ救いもあるのに…陽介、英語もまるでダメだしなあ…」
「ダメじゃない教科あったのか?」
「それ本人が聞いたら怒るよ、事実だから」

テーブルに乱雑に広げられたテキストを整理しながらくすくす笑う奈良坂は、睫毛が長いんだなあと気づく。スコープを覗くときに邪魔にならないのだろうか。
陽介が持ってきた英語の教科書を開く。私の教科書は何でもかんでも書き込んであるのに、陽介のは真っ白だ。奈良坂はそもそも使っている教科書が違った。

「私も英語は苦手だな」
「それなら、winで少しやっても?」
「いいけど、勝つって意味の?」
「そう。たとえばingが付いてwinningになると」

奈良坂はきれいなアルファベットをノートに綴る。
"a winning personality"、"a winning smile"、"the action of winning a lottery"、"every chance of winning"、“I'm not winning against him."…
やや右上がりの細い文字は彼の性格そのままのように見えた。シャー芯、0.3なのか。

「順番に“人を惹きつける人柄”、“魅力的な微笑み”、“当たりくじ”、“勝利のあらゆるチャンス”、“私は彼には勝てない”。意味が変わるの、わかるか?」
「あ、なるほどね。これはわかりやすい。でも人を惹きつけるとか魅力的とかがwinningか……なんか人間の闇を覗いた気分」
「はは」
「私は陽介には勝てない。成績の悪さで」
「それは俺も勝てない」

目を伏せるように細めて笑う奈良坂のそれこそ、"a winning smile"だと感じたから、これは覚えてしまった。
不明瞭だけど、私は多分奈良坂のことが好きだ。多分。ものすごく多分。あくまで不明瞭だけど。まあこの感情について多くは語るまい。私ですらこんなにあやふやで曖昧なのだ。恋にしてはやたらと冷めているような気もするし。ただいつも無表情の彼が時折見せる笑顔に胸がきゅんとするのは事実。
それにしても奈良坂の発音に比べて、私の発音はヒヨコが舌の上で踊っているみたいだ。このたとえは自分でもよくわからないが、奈良坂の英語の発音は、きれいな羽がふわっと舞うような感じだと思ったのだ。つまりものすごく自然。私は不慣れなのが見え見えだ。

「winningの発音、最初のダブリュは単純な“ウ”じゃないんだ。難しいよな」
「ウイニングとしか言えませんが」
「そうだな、わかりやすく言えば…」

ここまでくると奈良坂は実は英語圏の国の王子でもおかしくないような気がしてきた。今度英検の二次試験があるのに、こんな発音で大丈夫だろうか。前回は二次試験はギリギリで合格したようなものだ。奈良坂がたまに英検準一級のテキストを見ているのを目撃しては萎えていることを思い出した。

「キスするときの口の形、だな」

え、と、思わず顔を上げると、珍しく好戦的な笑みを浮かべていた。
答えようがない。
きっと今私の顔は真っ赤で、出したくても出ない声のせいで口がはくはく開閉する、まるで金魚みたいになっていることだろう。視界が狭まり、頬が蒸気する。
奈良坂がそんなつもりで言ったんじゃないのはわかっているのに、意識してしまう自分が恥ずかしい。期待する方が馬鹿みたいだ。

「What is the winning percentage?」

そう言ったかと思うと、奈良坂の端正な顔が、私のすぐそばにあった。
ちゅっと音がする。私の口は奈良坂の手で塞がれていて、弧を描く彼の唇は、開閉するだけだった口を塞ぐ手の甲に口付けてあの愛らしいような音を立てたのだ。言ってしまえば、手のひら越しのキス、みたいな。

「、……!?」
「本当にキスすると思った?」

ふふっと楽しげな声がする。しゃべり方もなんとなく、子供みたいだ。そんな奈良坂を見るのは初めてだ。
本当になんて、いえ、そんなことは微塵も思っていませんでしたけども。
さっき彼が言った言葉を必死で思い出す。確か、確か、What is the winning percentage?

「…な、奈良坂!」「あ、」
「こっから一番近い自販機でもわりと遠いな」
「さー勉強すっぞー」
「陽介、努力次第では今日は帰れないと思えよ」

帰ってきやがった。助かったような、出鼻をくじかれたような。
その後はまたワイワイと騒がしい勉強会をした。時折奈良坂がこっちを見るものだから、私はその度赤面せざるを得なかった。
どうやら私の、奈良坂に対する好意が、いよいよハッキリと形を成し始めたらしい。
それにしたって、彼のずるいこと!

(ああ、くそっ、)

What is the winning percentage?
勝率はどれくらい?
奈良坂に勝率も何もあったものではない。最初から、私の負けだ。



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