百合



政略的なものから愛が生まれるのも大層ご立派なことだと思うけれど、誰かと添い遂げるなんて、愛があることが大前提でしょうに。
胸の内にむかむかとした怒りのほむらをそのままに、踵の鳴らす足音高く、私はただ、世界で一番愛しいあの子のところへ向かっていた。疲弊した体は悲鳴をこれっぽっちも上げない。ただ、心が。
悲痛な共鳴。

彼女の部屋の扉をノックする。返事はない。ドアノブを捻る。簡単に開いた。
もう薄暗くなる時間だというのに電気も点けず、彼女は、私の大好きなミラは、小さくなって嗚咽していた。
抱えた膝から下はすらりと細く、丸めた背中も華奢だ。彼女がしゃくり上げるたびに上下する小さな角が愛らしい。
足音を立てないようにミラに近づく。彼女の隣に膝をついて、「ミラ」と声をかけると、びくりと肩を跳ねさせて、泣き腫らした目でこちらを見た。ああ勿体無い、そんなに泣いちゃ綺麗なお顔が台無しよ。でもどんな貴女でもやっぱり素敵だわ。笑んでみせると、彼女が私の胸に飛び込んできた。
まさか何も食べていないんじゃなかろうか。発つ前に抱きしめた身体よりも薄くなったように思う。本当にそうかどうかはさておき、以前より弱々しくなっているのは確かだった。涙でじんわりと濡れる肩の感触に、よくも世界で一番大切な子をこんなにと心密かに憤慨する。

「旭、…旭……」

熱に浮かされたうわごとように私の名前を呼ぶミラ。なあに、と返事する代わりに、痩せた肩をぽんぽんと撫でた。

「貴女が一番、私にそばにいてほしい時に、私は貴女のそばにいてあげられなかったのね」

ミラは腕の中でかぶりを振る。なんて優しい子だろう。
それにしても私はよほどハイレインに嫌われているらしい。ミラとはあらゆる点で比べ物にならない私を嫌っていたってそれは全くおかしいことではなくて、むしろ当然だと思うけれど、今回は。流石に、無い。ミラをこうも泣かせるなんて、あの人は、せめて露ほどなら考えたかしら。考えてもどうしようもないし、どうしようともできなかったんでしょうね。

「旭は、悪くないわ…」
「私でなかったら、誰が悪いの。貴女の旦那様かしら」

さっとミラが顔を上げて、またかぶりを振った。紙のように白い顔色。長い睫毛は涙に濡れて重たそうで、それに縁取られた大きな瞳はもうふやけそうで。

「嫌よ、私は旭以外の人なんて考えられないのに…ひどいわ、旭、旦那なんて、貴女の口から、聞きたくなかったのに」
「ごめんなさい、そんなに泣かないで」

濡れそぼった目元を私の肩に押し付けるミラはかすかに震えていた。

ハイレインとの政略的な結婚。
もちろん彼女が望んだわけではない。ハイレインが望んだわけでもない。一生涯、食べるものにも着るものにも困らない生活が保障されるとしても。ミラはそんな堅実な幸せを捨てても、私を選んでくれる。私たちはこの世の異端だ。女同士で惹かれあってしまった。それの何が悪いというのだ。
きっとハイレインは私たちが水面下で愛を育んでいることを知っていた。知った上で、彼女と結婚することを決めた。それら二つを踏まえた上で、私が他国へ戦争に出ている間にミラへ伝えたのだ。愛なんて欠片もない、拒否権もない、押し付けがましく、厚かましく、あろうことか伴侶になることを。
そのことが私に―――世界で一番彼女を愛している私に伝えられたのは、ついさっき。
どんな思いをしていたことだろうか。この華奢で細く小さな体にどれほどのものを抱え込んだことだろうか。

「お願い、旭、貴女は、貴女だけは、私自身を必要として」
「ミラ」
「私、貴女が初めてなの。これがそうなんだって、私は心から大切にされているんだって、思えたのは」
「ええそうよ、私はミラを愛してる。誰よりもね。間違いないわ」
「私だって貴女が一番好きなの、貴女を一番愛してるの、旭、貴女さえいれば、何もいらないの。おねがいよ…そばにいて」
「望むのなら、…望んでいなくたって私はそばにいるわ」

ああ、よかった、とミラは呟いた。
それなら私、何もこわいことはないわ、と。
涙で頬に張り付いた髪の毛を梳いてやって、前髪をかきあげ、白い額にキスをする。腫れぼったくなった瞼、目尻、頬は、少し塩辛かった。そして珍しくかさついた唇に、戦場帰りで同じくかさついた私の唇を合わせる。微笑んだミラは、やっぱり世界で一番美しい、私だけの女の子だった。
ハイレイン自身がミラとの結婚をどう考えているかとか、そんなことはどうでもいい。決定事項にしたのは紛れもなく彼だ。ミラを誰にも、それこそあの当主にも渡してたまるものか。

「これからどうする?」
「私を選んでくれるのならば、ここにはいられないわね」
「貴女と一緒ならどこへでも行けるわ」
「そう」

身を寄せるミラはすっかり気を持ち直したらしい。私がそうしたのだと思うと素直に優越感を感じたし、そんな彼女を心底愛しいと思った。
ハイレインとは長い付き合いだ。置き手紙の一つでもしておけば、まあしていなくても、あの人なら察してくれるだろう。このままミラと、行き先も告げずに、私たちですらどこへ行き着くとも知らない、二人だけの旅へ出たとしても。
ミラさえいれば何もいらない。きっと世界で一番幸せにだってなれる。
どこに行こうか。両手とポケットいっぱいに愛と希望を詰め込んで、二人で、どこに。
もう一度キスをした。こんなに惨い世界でも、愛はどこまでも寛容で偉大だ。



君は私の世界のすべて
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