おれすげえわがままなんだよと、膝にうずめた顔を見せないまま、出水がこぼした。
界境防衛組織ボーダーとか大層なところで“精鋭”とか呼ばれるくらい強い奴らなんて大抵変人しかいないんじゃないかという認識を持っている私は、そのくらい普通なんじゃないかなと思う。出水はなんだってこんなことを今、私に言ったんだろう。
返事をするタイミングを見失って、吹きっさらしの屋上には私が紙パック飲料をストローで飲む音がやけにハッキリと反響した。風が強くなった気がした。硬そうな学ランに身を包んだ出水が、きゅうと背中を丸めて、顔をうずめた膝を抱く。登校途中いつも見かける、明るい毛色をした鍵尻尾の野良猫を思い出した。

「ねえ」

死んでるんだか眠ってるんだかわからない野良猫に声をかける。猫じゃないくせに出水は身じろぎもしない。小さい声で何か言ったのだとしたらそれは学ランの黒に吸い込まれたということで。
さっき自分がわがままだと言った出水が返事を待っていたかどうかは知らない。少なくとも、私のこれは返事じゃない。

「出水は自分がわがままなのが嫌なの?」

私は出水の返事を待つ。柔らかそうな髪がふわりと揺れた。頷いた。肯定だ。
ストローが間抜けな音を立てて、口の中には空気8割液体2割くらいしか入ってこなくなった。パックがべこっと凹む。ちえ、無くなってやんの。上下二つずつ三角を広げて丁寧に折りたたんだ。

「おれ、さあ」
「うん?」
「おまえが、好きなんだよ」

私は出水を見る。出水は私を見ない。
一陣の風が私の髪をさらうように掬った。


しばらく風にあおられて私の髪はばさばさになってしまった。依然として出水は顔を上げない。首が痛くならないのかなとか、どうでもいいことを考える。
さっきの言葉は……告白は、なにかの聞き間違いなんじゃないだろうか。風の音に混ざって、なんて言うとロマンチックのかけらくらいは感じるけれど、本当に聞き間違いかと思うほどよく聞こえなかった。
互いに無言で、もう何分経ったかわからない。コンクリートに座りっぱなしのスカートはきっともうしわくちゃだと思う。無言が気まずくないかと言われればそうっちゃそうだが、基本的に出水とは、沈黙とはまた違う心地良い静寂の中にいつの間にかいるから、なまじ安心してしまっていけない。出水はどんな返事を待っているんだろう。

「…いず、」
「別に、おまえがおれのもんにならなくても、いいんだ」

さっきの告白は聞き間違いじゃなかったようだ。
私の言葉をまるで意図したように遮る。おまえの言葉なんか聞きたくないとでも言いたげな―――実際、言われたように感じた。私は押し黙る。喉元まで出かかって、言わせてもらえなかった言おうとしていたことが、無意識にストローの吸い口を噛んだ。

「………いいんだけど、誰のもんにもならないでほしいんだよ」
「……そりゃ…わがままだね」

思わず口をついて出ていた。
私は出水のものにならなくてもいいらしい。でも他の誰かのものになってもいけないらしい。遠回しに、自分以外のものになるなと言っている。なんだかものすごい不条理でいて世紀の大告白みたいな感じだ。
私は私だけのものであって、誰のになるのなんのと言われたって仕方のないことである。私は私が隣にいたいと思った人の隣にいるだけだ。一人分くらいあけた間隔の隣で丸まっている出水を横目で流し見る。びゅうと風が通り過ぎた。

「そんなこと思っちゃうのが、嫌で」
「え、う…ううん」
「なんとかなんねーかな」
「どうだろうね…」

恋愛経験なんてものが殆ど無いに等しい私にそんなことを言われたって。そもそも出水は私が好き、なんじゃ、なかったっけ。
突然のことばかりで私の頭はあまり正常に機能してくれない。それでも、すきだとか自分のものに云々とかって言われて、心臓はこっそり2倍速くらいで打っていた。脳といい心臓といい私を動かす根幹は正直である。

「おれ、おまえには幸せになってほしいんだよ」
「…あ、ありがとう?」
「けどさあ」

出水がもそっと鼻から上を見せた。目の前を吹きすさぶ冬の風を見ているみたいだ。まるで風に形でもあるように、ずっと目の前を見ていて、私を見ようとはしない。
けどさあ。けど、なんだというのだ?
まさか出水が私なんかの幸せを願ってくれているとは思いもせなんだ。私の幸せはなんだろう。出水はそれを知っているのか。誰の隣にいることが、私の幸せなのか。

「おまえが一緒にいて幸せだと思えるやつと一緒になんじゃん?」
「私が私の好きな人と一緒になるってこと?」
「そしたらそれ、おまえ幸せじゃん」
「そうかもね」
「そしたらおれ、全然幸せじゃない」
「…そうかもね」
「自殺とか、しそうなくらい」
「ええ」

寒さに耐える野良猫みたいな顔をした出水は、それから少しだけ笑った。

「今まで何回も死にかけてきて、おれ、まだ生きてんの」

膝の上に重ねた腕を枕にして、目を閉じるくらい細めた出水に、これってなんかすごくねえ?と問われたから、すごいことだと思うよ、と素直な感想を返した。何度もあと一歩で三途の川を越してしまうところだったかもしれない人が、自分の隣にいるんだと。出水は笑ったのか強風に堪えかねたのか、どちらにせよそれは私に向けられた笑みではなかった。一人分空いた距離を詰めて、あんたが好きな私はここにいるんだってことを伝えたくなった。あいにく私を突き動かすものは、その感情だけでは不足だった。

「そんでまだ、おまえのこと好きなの」
「……、」
「誰かのもんになるかも、しれないんだよな」

それが、いやで、そんなことを思う自分も、いやで。そう言った横顔がどうしようもなく悲しそうに見えた。よく見ると、琥珀のようにつややかな瞳には、薄い膜が張っている。それが盛り上がって決壊するまえに、私は、私に、何が。

ねえ、出水がわがままな自分を好きになれないなら、出水が好きになってくれた私が、わがままでも、出水を好きでいるよ。私の幸せなんてわからないけど、出水が私のせいで幸せじゃないのは、なんだかすごく嫌だなあ。
私を見て出水。何度も死にかけたあんたの隣に、こんなに近くに私はいるよ。わからないけど、出水のこと何もわからないけど、そう言って距離を詰めて抱きしめる権利を、決定打を、私にくれないだろうか。



涙色の二酸化炭素を吐き出して
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