捏造甚だしいです



この世の中はけっこう不公平だと思う。

「ヴィザ翁、先生……失礼、旭さんの居場所をご存知ありませんか」
「旭嬢ですか。今日はまだ姿をお見かけしていませんね」
「ありがとうございます」

ヴィザ翁にお礼を言って見送ってから、小さく溜息をついた。
何が不公平かって、そりゃあ、素晴らしい人柄と素晴らしい才能の同居は必ずしもできないことだ。
玄界への遠征も間近になり、遠征部隊として動くことが増えてきた。部隊みんな泊まりになることも多くなって、そこにはなぜか遠征部隊には入っていない俺の師匠まで泊まり込みでいる。まあいるのならそれはそれで、遠征直前まで指導してもらえるのだが―――

「先生、ヒュースです。開けても宜しいですか」

先生の旭さんが泊まっている部屋の扉をノックしても反応はない。やっぱりか。
俺の師匠は角つきではない、普通の黒トリガー使いだ。さすがにハイレイン隊長が選んだ人だから、ヴィザ翁然り、角つきではないのに相当強い。その分と言っては何だけれど、かなり自由奔放なところがある。かなり。すごく。とても。
実力があるのは確かなのに、普段の気ままな言動のせいでそんなイメージは殆どない。
さて、今日はまだ寝ているか、それとも既に起き出してどこかを走り回っているか。ここから探すとなると気が重い。先生がまともに目覚めておとなしく食事をとったりすることは稀だ。

「ヒュース」
「あ、おはようございます、隊長」
「ああ。お前に旭から伝言を預かっているんだが」
「え?申し訳ありません、ハイレイン隊長のお手を煩わせてしまいまして…」
「気にするな、あいつは昔からああだ」

今日も励めよ、という隊長の言葉と共に手渡された紙切れを握る手に、少し力がこもる。全く、あの人は。
ハイレイン隊長に会釈して、先生の部屋の前にひとりになってから、紙切れを開いた。

『おはようヒュース!目覚めが良かったから戦闘訓練室でずっと独り撃ちしてます。
さみしいから早く来てね!特訓しよう!
朝ごはんはちゃんと食べてくるんだよ!
先生より(^з^)-☆』

「…………」

一度深呼吸して気を落ち着ける。この先生のこういう行動はもう慣れたものじゃないか。紙をぐしゃぐしゃにしてしまわないように丁寧にたたんでポケットに入れる。最後の顔文字が見事に先生の顔で再現されて、それの通りに、星が飛んでくるような錯覚さえ覚えた。あの人は本当に24歳なのだろうか。
朝食は簡単には済ませている。先生のほうから特訓しようと言うのは珍しい。独り撃ちのしすぎで訓練室を破壊される前に行くべきだ。自然と歩調が速くなった。


「ここだよ!ここで打ち込んで引き付けないでどうすんのさ。使い勝手いい武器なんだから頭使わないと。
無闇に撃てばいいってんじゃないのはわかってるんだから無駄撃ちしないで。やりすぎると自縄自縛になるのもイヤってほど経験したでしょ、必要最低限でいいんだよ。
あー、もう、真面目だな、ヒュースは!そんなのいちいち引っかかってちゃダメだって」

一番新しい世代の角つきの俺と手合わせをしている中でもこうして俺に指導できるぐらいには、先生は強い。訓練といえど気を抜くとやられる。逆に気を抜かなければ俺でも勝てる。先生が俺に手加減しているわけではく、ここが角つきか否かと、あとは男女の体格、力の差だ。
それでも張り合える先生は凄いと思うし、指摘も助言もすべて的を射ている。結構な頻度で指導方針は変わるが、概念、根っこにある部分は変わらないらしい。自由奔放なところを除けばいい師匠である。そして、

「それだよ、ヒュース!すごい、すごい!できるじゃん!」

俺が、先生や俺の理想の形でとどめを刺すことに成功すると、なんとも嬉しそうに笑って、ちょっと恥ずかしくなるくらい褒め倒してくれる。
床に倒れたまま口からトリオンを吐きつつ笑顔を見せるのはちょっとビジュアル的にどうかとは思うが、別に先生にも俺にもそっちの趣味があるわけではない。断じて。

「よしじゃあ今日はこの辺にしとこう」
「えっ」
「ヒュースは足りないだろうけど、ずっと撃ってたから、あたしはもう限界」

トリオンが漏れている口に弧を描いて歯を見せる。弟子がいようがいまいがこの人は自分の都合で動く人だった。そうだった。また溜息をつくと、先生は眉を下げて笑った。
手を貸してと言って伸びてきた細い腕を引っ張って立たせる。先生がフッと強く息を吐くと、帯のようにトリオンが出て行って、それからは、薄い唇の間からは何も漏れてこない。先生はよく、攻撃されて出て行くだけのトリオンをこうしていっぺんに出し尽くす。

「遠征行くの怖いー?」
「いえ別に」
「肝据わってるなあ。こないだ久々にハイレイン先輩と話したんだけど」

先生はハイレイン隊長を先輩と呼ぶ。隊長直々に俺の指導につけるくらいだからそれなりに親しいのだろう。

「ヒュースが敵になったら、おまえはどうする?って先輩に聞かれたんだ」

うまく息ができなくなって、喉がひゅう、と音を立てた。
視界が心持ち暗くなった。先生の顔が見えない。ああ、俺がつい下を向いてしまったからか。先生の顔が見れない。どうしてこんな話をするんだ。俺をどこまでも振り回すんだ、先生は。そういう人だ。そうだ。どんな人かなんて、今ではハイレイン隊長よりもきっと俺のほうが知っている。のに、先生がなんと言うか、予測できない。隊長は予測できたんだろうか。見越した上で聞いたのか、俺と同じように、わからないから聞いたのか。
でも聞かれたからってわざわざ俺に言わなくたっていいじゃないか。先生、先生。旭さん。何がしたいんだ。
いつも、いつだって俺は振り回されてばかりで、その手綱に触れることすらできない。それがもどかしくて悔しかった。どんなに褒めてくれても、前だけは歩かせてくれない。

「あたし、ヒュースの先生だよ」
「…、」
「もし先輩たちの敵になるなんてばかな真似しても、あたしは味方でいなきゃ。あんた不器用だから、自分でやったことなのに、一人で泣いてそうだもん」
「……泣きません」
「またまた。…いいんだよ泣いても。あたしが絶対、迎えに行ったげるから」

俺より頭一つ分は背が低い先生が、腕は回さずに、俺に体重を預けてくる。

前だけは歩かせてくれない先生は思っていたよりも芯が強くて、俺のことを考えてくれていて、そして思っていたよりずっと、ただのひとりの女性だった。こうして手を添えた肩はこんなにも華奢で、さっき引いた腕も頼りないほど細かった。
今まであまりにも振り回されて酔ったのか、突然匂い立つような色香を感じて狂ってしまいそうだ。先生が隊長に言われたからでもなんでもなく俺のために俺のところに来てくれるなら、今すぐ隊長に背いたってかまわないとさえ思った。それはしないが。
迎えに来るということは、「先輩たちの敵になるなんてばかな真似」をするということだ。先生は、俺を選んでくれる。ただ、弟子であるから、それだけの理由で、あのハイレインすら捨ててしまう。なぜか、震えるほどの優越感に満たされた。

「お腹空いたね」
「…朝食ちゃんととりました?」
「食べてないや」
「人には言っておいて…」
「今から食べるよ。食べたらもう一回やろうねヒュース!なんなら一緒に食べよ」
「自分はもう済ませました」
「えーそんな堅いこと言わないで」

素晴らしい才能と素晴らしい人柄は同居できない。それでも、少なくとも俺の中では弟子としての憧憬と、俺自身が先生に抱く好意はちゃっかり同居しているんだから、つくづく世の中は不公平なものだ。



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