切羽詰まる(せっぱつまる)/行き詰まる(ゆきづまる)-ある事態などが間近に迫ってどうにもならなくなる。身動きがとれなくなる。うまくいかなくてどうにもならない。
まさしく今の私だ。だとしたってこんな言葉を電子辞書で調べている場合じゃない。身動きがとれなくなると無意味な行動を取ってしまうのは何なんだ。そしてまた自分に苛々して勉強もはかどらない。八方塞がり。もう大学受験はすぐそこに迫っているというのに。
必死こいて勉強していた夏が嘘みたいに思えた。夏なんていろんな誘惑も多いのに、よくあそこまで。ねえ。
18歳になるのなんてあっという間だった。こんなことならあのときもっと勉強していれば良かったなんていくら思っても時間は戻らないんだから、私がやるべきことはただ勉強を頑張ることなのに、それができない。もう無理もうやめて休んでって脳が言っている。受験日は待ってくれない。なのに焦って何も手につかない。ああ、ああ、こんなんじゃだめだ。でもどうしたらいいか。
私は進学校組で実際進学するから任務も休ませてもらっているのに、この体たらく。もう自分が情けない。
馬鹿みたいに滲んだ涙を手の甲で拭ったとき、背後で携帯電話が鳴った。苛立ってベッドの上に投げ捨てたんだった。電源も切っていなかったなんて、受験生としてどうなの。椅子から立ち上がって端末を手に取る。液晶画面を見て少し驚いた。珍しい人。
「もしもし、レイジさん?」
『ああ、旭、今からちょっと玉狛に来られないか』
「はい?」
携帯を握る手に力がこもる。先輩相手ながらこの人何言ってんだと本気で思った。声に出るかとも思った。出そうだったけど、突然鳴ったインターホンによって、なんとか無礼な言葉は飲み込む。『もう着いたか』「え?どういう」レイジさんの言った意味不明の言葉の答えは、インターホン越しに聞こえてきた声で一発。
「旭ーおーい開けろー」
「旭ちゃん、今から玉狛行こう!車乗せてくから!」
「こっ、…の声、太刀川さんと、来馬さん…!?」
『堤もいるはずだぞ。開けてやれ』
「そ、それはどうでもいいんです!私受験生ですよ!?」
『だからだ』
「はあ!?」
ガチャン、と音がする。玄関のドアが開く音、まさか!そういえば今日は平日だから家に誰もいない。母が仕事に出て行ったあと鍵を家の中から閉めるのを、今日に限ってすっかり忘れていた!
慌てて部屋を飛び出して玄関に向かうと、案の定、勝手に開けたのは太刀川さんらしい。半開きのドアから来馬さんと堤さんの顔ものぞいている。
「おう、行くか」
「行きませんよ!何なんです!!」
こうなると半ば八つ当たりだ。もともと苛々していたのがいけなかった。必要以上に大きな声を出してしまっている。当たられた太刀川さんは困ったように頭を掻いた。
いきなり大声を出して息が上がる。すると堤さんが玄関に足を踏み入れて、私の頭にポンと手を置いた。一瞬身構えてしまう。
「余裕ないのはわかってるよ。わかってるからさ、息抜きだと思って、さ。ね?」
余裕ないのに息抜きしてられるか!と、手を払ってやろうかと思った。思ったけど、こんなふうに人の体温を感じることもかなり久しぶりで、負の感情がどんどん萎んでいく。おとなしくなった私に、来馬さんは、上着持っておいでと優しい声音で言った。
「…えっなんでこんなに……」
玉狛支部(のレイジさんの部屋。初めて入ったけどすごい広い)に呼ばれたのは、私、太刀川さん、来馬さん、堤さん、風間さん、諏訪さん、加古さん。レイジさんは元から玉狛だからノーカウントで、7人。……よりによったように成人組。ソファに座っていたりコタツに入っていたり床に寝っ転がっていたり、みんな好き勝手にしている。
「あら旭久しぶり〜元気?」
「げ、元気です…加古さんもお元気そうで」
「…痩せたんじゃないか?まあ座れ」
「あっ失礼します」
「ところで諏訪さん、あんたなんで麻雀台広げてるんです」
「堤もやるか?」
「やりません」
「その台しまいましょう」
「諏訪さん、それあとでやろうぜ」
私は何故ここに呼ばれたのか。麻雀ならルールわからないので成人組でドウゾ。私は勉強しなきゃいけないんです。ーーーしなきゃいけないんだけど、全然手につかないんだった。
風間さんの隣にお邪魔したはいいが、私は本当に、何故呼ばれたのだろうか。そもそも何故風間さんの隣にお邪魔したのだろうか。コタツの魔力恐るべし。一応ナップサックにテキストノートペンケース諸々入れて持ってきたけれど。
なんで私が呼ばれたのか、隣に座っている風間さんに尋ねようとしたところで、土鍋を持ったレイジさんが部屋に入ってきた。みんなからおおーと歓声が上がる。……その土鍋は一体……。
「お、旭。来てくれたか」
「レイジさん!これ何なんですか!」
「ちゃんこ鍋」
「じゃなくて!!」
来馬さんがコタツの卓上に置いたカセットコンロ、の上に、レイジさんが土鍋を置く。うん、どこからどう見てもちゃんこ鍋です。なに?私は成人組のお食事会にお呼ばれしたの?どういうことだ。私はただ焦るしかない。ナップサックに入ったままの勉強道具たちが気になって仕方ない。それを引っつかんで今すぐにでも帰りたい気分だ。先輩方に失礼なことは言えないが半分、いくら先輩でも私が受験で切羽詰まってることくらい知ってるだろうが半分。こんなことをしている時間は無いのにと、カセットコンロについた火を見ながら嫌な心持ちでそわそわした。思わず口を開いた。
「あのっ」「旭」
はっとして顔を上げた。みんなが私を見ていたけれど、例外はなく、どの目もなんだかとても優しい。
「お前のことだからな、最近、頑張り過ぎてるんじゃないかと思ったんだ」
「仕方ないことだが、どうしてもこの時期は焦って、勉強が嫌になるだろう」
「少なくとも、頑張るぞー、ってポジティブな気持ちにはなれねえしな」
「不安なのはみんな一緒よ。無理してやり過ぎるのは逆に良くないわ」
「何もやってこなかったわけじゃないんだから。思い詰めなくていいんだよ」
「ラストスパートでしっかり頑張るために、ちょっと息抜きしよう?」
「生きるか死ぬかじゃねーし、受けてやんだからな!ってドーンと構えろよ」
「……、!」
先輩たちのありがたいお言葉、という感じだった。霧がいっぺんにすっと晴れて、目からは鱗が落ちたような。
勉強ができないのなら息抜きして、そうしたらそのあと頑張れるのだから、断然そっちのほうがいい。本当に、身動きが取れなくなると無意味な行動ばかりだ。
自分で自分をさらに追い詰めた私を見かねて、わざわざこんなふうに、みんな集まってくれたのか。なんて優しい。変に凝り固まっていた心がほぐれて融けた気がした。
「さーてそろそろ鍋もいいだろ!ホラ食うべ!」
「食ったら勉強見てやろうな」
「えっ本当ですか?」
「太刀川には聞かない方がいいぞ」
「聞きません」
「むしろ聞かないでくれ。俺諏訪さんと麻雀二人打ちするから」
「ダメな大人の手本ね。旭、大学でこんな男に引っかかるんじゃないわよ」
「それ俺も入ってんのか?お?」
「おお、鍋うまい。さすが」
「ほんとだ美味しい。旭ちゃん食べてる?よそったげようか」
「あ、お願いします!」
「肉もらいー」
「それは俺が育てていた肉だ。うちの歌川を横取りしようったってそうはさせない」
「じゃあこれうちの出水な」
「歌川くんと出水くんですか!?」
「自分のとこの隊員の名前つけるのやめません?」
そういえば最近ろくに食べていなかったから、ここでみんなと美味しいご飯をいっぱい食べよう、と思った。そして勉強を見てもらって、今日は早めにしっかり寝て、明日からまた頑張ろう。
大丈夫。とても心強い、頼ってもいい人たちがすぐ近くにいるのだということを、身にしみて感じた。