年下の彼に比べたら私が見ている世界なんてあまりにもちっぽけで、私は死ぬまでこんな小さな世界に満足して生きていくのかなと、ふと考えることがある。そういう面では、何年経っても勝てないだろうな。
そんなことを一度も考えることなく一生を終える人だっているんだろうけど、こう考えた途端、少なくとも私は世界を広げる手立てを思案をめぐらす。そして広げてどうするつもりなんだろうと思う。どうして広げたがるんだろうと思う。こうなるとフィロソフィーの深淵へ爪先を突っ込むようなものだから、早々に考えることをやめるのだけど、深い底を怖がるせいで結果として世界は広がらないし、広げたがるのはきっと人間の性だ。とは言えこの大きすぎるほど大きな世界には誰一人同じ人間はいないのだから、勿論、全てに当てはまるわけではないけど。凡庸な人間である私には当てはまる。世界を広げたがるのは、人間の性だ。たぶん。きっと。そういうことにしておこう。
と、なれば、彼はそれに当てはまる人なんだろうか。

「ねえ奈良坂くん」
「なんです?」
「もっといろんなものを見てみたいなあって思うことある?」

聡明な彼にはそれだけで十分だった。旭さんらしい質問だと微笑んで、私らしいバカみたいな質問にも、奈良坂くんはちゃんと答えを考えてくれる。奈良坂くんの答え方が好きだ。あくまで私個人の意見にしか過ぎない、私の考える正解を考えて、それを答えようとはしない。私が聞きたい、奈良坂くんの考える正解を教えてくれる。何も私は自分の思っていることを共感したくてこんなバカらしい質問をしているわけではないのだ。

「海外に行ってみたいとか考えたりしますよ。間違いなく世界観は変わるだろうなって思います。まあでも、俺はボーダー隊員なので、それ以外の基準で視野を広げることは難しいかと最初から諦めてるようなものです」
「…ボーダー基準だったら、何か簡単に広げられる?」
「簡単にとはいかないですけど。いろんなものを見るという点では、新入隊員もそうですし、まだ行ったことない、近界への遠征だったり」
「遠征……」

奈良坂くんが話してくれる中に何度か出てきた。トーマさん?という、普段からたまに会話に出てくる人と、遠征の単語がセットで出てきたこともある。そういう人が遠征に行くことを私に話してくれるなんて、危険なことなのかなと思った。ボーダー関係で危険じゃないことのほうが少ないのかもしれないのだけど。奈良坂くんの話を聞くときは口を開きたくないから、聞けずじまいだった。奈良坂くんがその遠征に行くと考えたら、その危険性が無性に気になる。危険じゃないわけないのに。バカか私は。
バカみたいにそわそわしだした私に、奈良坂くんはまた笑った。

「近界ではこっちは完全に不利ですから、交渉や偵察が主になるんです。危険なことには変わりないんですが」

最後の一言を付け加えるあたり、奈良坂くんは律儀で、私はそんなところがだいすきだ。
奈良坂くんの肩に頭を乗せる。漏らすような笑い声がつむじにかかる。私の世界の中に奈良坂くんがいるんだとは、あんまり思いたくない。だってこんなに近くにいる。世界の外側から、私の世界を回してくれているのが、奈良坂くんだ。私のそばにいる奈良坂くんはよく笑う。

「まあ、うちは隊長があれで…」
「三輪くんみたいなタイプは危ないかもね」
「遠征はA級上位の隊しか行けないですしね」
「A級上位…ええと、タチカワ隊?とか、トーマさんたちみたいな?」
「……なんでそこで当真さんが出てくるんだ」

あれ、不機嫌になった。なんでって、奈良坂くんが話してくれたんだけど、トーマさんが遠征に行くからそのまま帰って来なきゃいいのにって。
どうも彼はトーマさんが嫌いらしい。ずっと自分の上に君臨しているから、かもしれないし、その人とは反りが合わないところもある、のかもしれない。
私はまだわからないことが多い。かもしれない、ばっかり。世界が狭い証拠だ。だからこうして推測して、そしてそれで終わってしまう。奈良坂くんのせいだ。こんな狭い世界で、結局は満足してしまうのは。奈良坂くんのおかげだ。

「奈良坂くん、あからさまに機嫌損ねちゃったね」
「自慢ですが当真さんのことは嫌いなので」
「自慢なんだ」
「No.1スナイパーの当真さんに憧れないNo.2スナイパーですから」
「ほう」
「あの人が一位から転落してくれたら間違いなく世界の透明度が上がります」
「そんなに!?」

確かに、心なしか奈良坂くんの目がキラキラしてる。奈良坂くんにとってトーマさんは凄い人なんだな。言ったら最後変な目で見られるから、やめておく。

「旭さんは、もっといろんなものを見たいと思うんですか?」
「……、」

そういえばそうだった、って感じだ。思わず奈良坂くんの肩から頭を上げる。
そんな風に感じるのは人間の性だと思うんだけど彼はどうかなーってノリで聞いてしまったから、奈良坂くんに投げかけた質問にはフィロソフィーの欠片もない。バカだな私。
どうして広げたがるのか。振り出しに戻った。私このままでいいのかという危機感、奈良坂くんの世界と比べたときの焦燥、寂寥、大勢の中のひとりになりたくない願望、それと。

「…見なきゃいけないかなとは思う」
「そういう義務感があるんですか」

奈良坂くんは興味深そうに私を見た。ああ、うん、実のところ君がいてくれたら広かろうが狭かろうが関係ないです。いてくれるのに危機感やら焦燥やら感じている時点で矛盾は生じているけど、私のそんな小さい感情は、奈良坂くんと天秤にかけられたら、粒子レベルで消えて霧散すると思う。私はそれを吸い込みながら、奈良坂くんの笑い声を聞いて満たされて、これからもきっとそうしていく。

「いいですよ、旭さんが見たいと思った時、見たいと思ったものを見ればいいんです」
「…そうだね」
「他の男のほうは向かせませんけど」

ああなるほど。わかった。私の世界がなかなか広がらない理由。
こわごわ爪先を差し入れた深淵から引きずりあげるのはいつだって奈良坂くんなんじゃないか。直接的にしろ、間接的にしろ。
結局のところ私だって奈良坂くんから離れたくないから、あえて自分から模索しようとしてないんだってことを、聡明な年下の彼は知っていたらしい。

「俺だって」
「うん?」
「旭さんが隣にいてくれたら、もう、なんでもいいです」

そうか、君も一緒なのね。



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