玉響2

さらさらと時は流れて風が秋の気配を携えてきた頃…
友雅は、その頃には左大臣の養女となった真貴を『北の方』として迎え入れるために日々、奔走していた…

だが…彼は知らない…彼の身の内を『神罰』が徐々に体を蝕んでいたことに…

それはゆっくりと…だが確実に友雅を死へと誘っていた…

それにどうやって気付く…ただ人の身で…『八葉』といっても…ただ人の身で…


そんなことは不可能だった…


ただ友雅は僅かに体が不調だとしか…思わなかった…倦怠感…予兆は…ただ…それだけだった…


だがそれは…友雅と真貴の結婚の翌日に起こった…


ぱっちりと真貴は隣りから聞こえる苦しそうな声に気付いて瞳を開くと…友雅が苦しそうに胸を抑えていた…

「友雅さん…どうしたんですか?」

「えっ?あぁ、真貴起きていたんだね…」

おかしい…あの気配に敏感な友雅が起きた真貴に気付かないなんて…それに顔色は悪く、額には脂汗が浮かんでいる…
それに真貴は体を起こして…友雅の手を取った…

「無理しないで下さい…」

その暖かさ…幸福…それに友雅は微笑む…昨夜、真貴は友雅だけの者に成った…友雅だけを受け入れてくれた…

だが…その『想い』を想った瞬間…

「ぐっ!!つっ!!」

抑えた胸を逆流して…友雅は血を吐いた…


そこからは…まるで坂を転がり落ちるようだった…
真貴の看病も虚しく友雅は…死へと歩んでいった…


はらはらと…桜が散っている…橘邸…

それを今日は調子が良いのだと友雅は真貴と二人っきりで渡殿で見つめる…

「はい、友雅さん、これ着て下さい…」

サラリッと絹の上掛けを真貴が友雅の肩に掛けると、友雅は儚く微笑した…今すぐにでも消えてしまいそうな風情に…我知らず真貴は友雅に抱きつく…

「真貴?」

少し戸惑った美声…優しく撫でてくれる手に耐えていた筈の真貴は、ますます強く友雅に抱きつく…

「どうしたんだい?私は『此処』にいるよ…仕様が無い子だね…」

そのまま友雅は真貴の漆黒の髪を…ゆっくり何度も…何度も…丁寧に梳く…愛おしげに…

「愛してる・・・」

あとどれだけ…一緒にいられるのか判らなかった…

ただその囁かれた言葉が二人の『想い』を伝えていた…


そして…桜が僅かに葉桜に成り始めた時…その時が来た…

帳台に横たわる友雅はこの数ヶ月で痩せていた…肌も白くなっている…声にも精彩さが欠けていた…

その時が近づいている…誰とも無く…知っていた…何より…友雅に一番近い真貴も…

「笑ってくれないか…君の笑顔を…忘れさせないでおくれ…」

そう愛しい人に乞われて真貴は笑おうとして、失敗して、無理矢理、哀しい微笑を見せる…

それに友雅の胸が痛みを発する…
いつまでも…真貴笑顔を曇らせない…それが願いだったのに…今、自分は彼女に最も残酷なことをしようとしている…

たった独り…残そうとしている…

それが辛くて…友雅は言葉を紡いだ…たった一つの真実を…

「ずっと君の側にいるよ…たとえ遠く離れていても…何処にいても…側にいる…」

掠れる吐息と共に囁かれる…優しく、残酷な言葉に真貴は耐えていた涙を零した…
なぜそんなことを言うのか…真貴には判らなかった…


そんなことは叶えられない言葉だと…知っている…


友雅が真貴の暖かさを求めて伸ばした右手を真貴は、すぐに手に取った…
以前は男らしい筋肉が程良くついていた大きな手を…今、痩せて骨ばった手を…

それが可哀想で…どんなに辛いのだろう…今…友雅はどれ程の辛苦に耐えているのだろう…
自分自身が消えていくこととは…どんな哀しみなのだろう…


逝かないで…


この『想い』が…どれだけ大切かを想い知る…


…大切な者が手の平から零れ落ちて…もう二度と戻らない場所へ行こうとしているのが…判って…
零れ落ちてゆく人を助けられるなら…何だってするのに…何も出来ない…することが無い…ただ側に居ることしか出来ない…


逝かないで欲しい…


この世界に真貴が愛した『友雅』は目の前のこの人だけ…
他は居ない…たとえ名前が同じでも…他はいらない…誰も…『友雅』以外、真貴の心の内の『友雅』と同じ場所に立てはしない…判ってる…

「あ、ぃしてます…」

想いが溢れて…掠れて囁いた言葉に友雅は綺麗に笑う…幸せそうに…
それは死にに逝く者が見せる微笑では無い…それは孤独と遊んでいた昔の彼の得ることの無かった微笑…


幸福…


幸せだよ…そう…私は本当に幸せだった…


自信がある…誰にも負けない…幸せを知ってる…


それは言葉で表せない…


最期の…時が流れる…言葉にならない想いが視線を辿り…真貴に伝わる…

言葉は必要なかった…

言葉ではなく視線が…最期の吐息が『想い』を伝える…

スゥッとその白い唇から零れ落ちる吐息…

繋がれていた手が真貴から滑り落ちる…それは手だけじゃ無い…


最期の雫…


友雅の最期の…命の雫…


力無く白く痩せ細った手が落ちた…


翡翠色の稀有な瞳が閉じられていく…ゆっくりと…光を失って…


「とも、ま…」


逝かないで…逝かないで…逝かないで…


友雅の首が力無く倒れた…その表情から…『生』のありとあらゆる『表情』が消えて…


後悔…戸惑い…照れ…そして…笑顔…


そんな『生』ある時には当たり前だった表情が…消えて…


わかってしまう…


友雅は死んだと…


「いやああああぁぁぁぁ!!」


砕け散る…全てが…誰か止めて…連れて行かないで!!


やめて…お願い…独りにしないで…


「駄目ぇ!!逝かないで!!逝かないでよ!!友雅さぁん!!」


揺さぶる体は、まだ暖かかった…


「友雅ぁ!!」


そして揺さぶり続ける真貴の手を従身が止める…


「北の方様!!もう殿は亡くなられています!!」


亡くなられています?


その言葉の意味は判るのに…頭が理解しようとしない…


ただ友雅と引き剥がそうとする…無数の手が嫌だった…『お方様を眠らせて差し上げろ』という声が聞こえる…


止めて…止めて…離れたくないの…たとえそれが一時でも…


友雅さん…


「やめてぇ!!離して!!」


従身達は普段、大人しい真貴が激しく抵抗したことに戸惑い手を離した…

そのまま真貴は、まろぶように僅かに離れた友雅の所に戻る…

ゆっくりと胸に落ちている友雅の手に触れて、玲瓏な顔を記憶に焼き付けるように優しく撫でると…どうしようもなく想いが溢れて…
真貴は、静かに、その白い頬を友雅の胸に乗せた…普段なら髪を梳いてくれる優しい手が動かなかった…

桜舞い散る橘邸を二人っきりで見つめた時…思わず抱きついた真貴の髪を…友雅はずっと…ずっと…優しく梳いてくれていた…

それお想い…涙が零れる…


友雅さんは深い眠りに沈んでいるだけ…


そう友雅さんは深い眠りに沈んでいるだけ…


もう二度と動かない…だんだんと冷たくなる手を握り締めて…真貴は、そう想った…

「愛してます…愛してます…愛してます…」

まるで願いのように…ずっと…真貴は眠っている友雅に囁き続けた…


『幸福』が共に過ごした時間に左右されるのでは無いことを…知って欲しい…

私は幸福なんだよ…

幸せなんだよ…

知ってるかい?これは君がくれたんだよ…

全部、全部…君がくれたんだよ…

ねぇ笑って…ほら…せっかくの華の顔が台無しじゃあないか…

おや…困ったね…また泣くなんて…私はどうしたら良いんだい?

困った人だ…君って人は…

ほら顔を拭いて…笑っておくれ…私の為に…

ねぇ…愛してるよ…想ってる…信じてる…君が幸せであることを…それが私の最期の望み…


幾千幾万の『ありがとう』を君に…


私の真貴…


そして私の最期の言葉…覚えてるよね?…ずっと側にいるよ…たとえ遠く離れていても…側にいる…

わかってるのかな君は…

私は側にいるよ…それは気休めでも何でもなく…

ずっと…ずっと…そう…それは永遠に…側にいる…


ずっと…貴方だけを想ってる…たとえ遠く離れていても…

さやさやと緑が生い茂る夏…真貴は広大な橘邸の庭に出ていた…
その手には色取り取りの華々が収まっている…

そして屋敷の方から駆けて来る影が一つ…

「母上!!」

そう…『真貴』を呼ぶ…

後ろを振り返ると…彼の人とそっくりの玲瓏な顔立ちの男の子が駆けて来た…
そして飛び付く…甘い侍従を薫らせて…

「母上!!掴まえた!!」

その愛おしさに涙が溢れる…そしてフッと想い出す…友雅さんの…あの言葉…

『ずっと君の側にいるよ…たとえ遠く離れていても…何処にいても…側にいる…』

あの時は判らなかった…けれど今なら判る…

友雅さんは『此処』に居る…私達の側に…それは私達を真綿のように包んで守る全ての者…『此処』から響いてくる…あの人の想い…

真貴を守る…

それら全て…友雅さんが残してくれた…守り手…

『ずっと君の側にいるよ…たとえ遠く離れていても…何処にいても…側にいる…』

そういうことなのだ…いつも…友雅さんは約束を破ったことは無かった…


死んですらも…


『此処』にいる…


それに涙が零れそうになって、慌てて真貴は抱き付いている子供に視線を向けた…

「ごめんなさい…お母様は、この華を部屋に飾りたいの…ねぇ…運んで下さる?」

優しく真貴が頼むと、
母を愛している子供はこっくりと可愛らしく頷いた…


そしてそのまま真貴は庭園を歩く…ゆったりと…友雅のことを想い出しながら…


真貴…


ハッと艶やかな声が聞こえた気がして真貴が後ろを振り返る…

ザアアアァァァァ

途端、あまりの風に真貴は流れる漆黒の髪を押さえた…
そして…サアアアァァと風が弱まり…

真貴の黒曜石の瞳に映る影…


其処に『橘』があった…


想わず…また…涙が溢れて…
この橘の木が…まるで彼の人のようだと想って…

「友雅さん…」

その稀有な翡翠の瞳に自分が映る…その幸福…二度と戻らぬ人…
甘く囁かれる声に胸が躍って…眠れなかった日…
二人で歩いた…この京を…ずっと…

『側にいるよ…』

さやさやと橘が揺れる…その緑黄色の葉が彼の人の瞳の色と僅かに重なる…

「ぁ、いしてます…」

そのせいだろうか…真貴が囁くと何処からか『私もだよ…』と聞こえた気がした…

END





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