<■■村>act.3
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過ぎた怪異を話せば怪異を招く。
禍は口から出でるのだから。
竜二は朽ちた山小屋の中で弔われぬ骸を前に眉を寄せた。
その時、ざわりっと空気が騒いだような気がして視線をあげた。
竜二の耳に、涼やかな鈴の音が場所にそぐわずに届く。
視線をあげた先に、
男がひとり佇んでいた。
着物を纏った男は、この場所の空気に溶け込むように其処にいた。
濃い闇をまとっている。
一目見て、背筋を駆けのぼる悪寒。
だがそれはその男の背後の木立の影に佇む、もう一人の姿を見つたことで霧散する。
全て、どうでもいい。
その一人だけ。
竜二は自分の咽喉が知らずに動いたのが分かった。
今、自分が見ているものが信じられない。
瞳を見開く、その姿を焼きつけるように。
木立の陰にそうように佇む彼は「今の」竜二より幾分幼く見える。
「彼」は消えた、その時のまま佇んでいた。
髪は短めに切りそろえられていて、それがちょっと跳ねてる髪質は竜二と似ている。
意志の強そうな眉。スッとのびた鼻梁。
「…兄さん」
喘ぐように囁いた竜二に「彼」は何も返しはしなかった。
ただその漆黒の瞳を僅かに細めただけで、闇に溶けるように踵を返してしまう。
「っ!!」
それに竜二は思わず、我を忘れて朽ちた山小屋を飛び出したのだった。
そのまま竜二は山道の荒れた道を懸命に駆け抜けた。
息が乱れる。
宵闇なか、目の前をつかず離れずの距離で竜二を惑わせるように、背を向けて歩む人の姿を見失いたくなかったから止まらなかった。
誘い込まれていると思っても、そんなことはどうでも良かった。
人間じゃないと理性が警鐘を鳴らしても、心が裏切る。
俺の唯一の兄…
『竜二』
遠く、自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
あるいはこれも自分を妖が惑わしているのかもしれない。
『竜二』
艶麗な声で呼ばれる自分の名が竜二は好きだった。
好きだと兄に伝えたことなど無かった。
伝える必要もないくらいに側にいた。
けれど当たり前に側にあった温もりは奪われたのだ。
「竜二」
玲瓏な声で呼ばれる自分の名前。
気付けば、竜二は幾分開けた山の中腹に誘い込まれていた。
ゆっくりと背だけしか見せなかった「彼」が振り返る。
その顔はやはり色褪せない。
漆黒の瞳に竜二をうつしていた。
「大きくなったな、竜二」
そのたった一言で、愛おしさが込み上げて、気付けば竜二の瞳からは涙が溢れていた。
ぼろぼろと零れる雫を竜二はそのままに、ただ目の前の兄を見つめている。
そんな竜二の姿に、兄は幾許か困ったように瞳をふせ、竜二の側に歩み、目の前に立った。
その途端、竜二の鼻孔をふわりっと香るのは兄が好んでいた菊香。
たまらない寂寥に竜二が手を握り締めると、柔らかく手に触れる温度があった。
秀一は竜二の力が込められた拳をゆるりと解いて、その右手を自分の着物の合わせから懐に招き、弟の少しの抵抗も抑え込んで、自分の心臓の上に竜二の手をのせた。
その瞬間、あまりの冷たさに竜二は自分の心臓すら凍えるのが分かった。
みるみるうちに見開かれる竜二の漆黒の瞳を秀一は見ている。
秀一の唇が動いた。
「竜二、お前は分かっている筈だ。
オレが滅するべきモノだと。」
ただ茫然と竜二は突きつけられた現実に立ち竦む。
(たったひとりの、俺の…)
そんな竜二にむけて、嫣然と目の前の妖は微笑んで。
懐にいれたままの竜二の手はそのままに、ゆっくりと左手を竜二の首へまわし、身を寄せ、竜二の耳元で熱を囁く。
隙間なく密着したしなやかな体は竜二を誘う様にしな垂れかかる。
淫蕩な妖の気配を強く感じて、竜二はただ目の前の秀一を見つめることしかできなかった。
妖がささやく。
俺を厭え。
俺を憎め。
そして俺を殺しに来い…
竜二
俺の唯一の弟。
愛しているよ。
そのまま触れるだけの口付けをこめかみに落とされた。
そして離れるときはやけにアッサリと秀一は竜二を離して、闇に溶け込むように下がる。
「待てっ」
まだ行ってほしくなくて、伸ばした竜二の手が秀一に触れる前に止まった。
秀一の背後の闇から伸びた白い腕が秀一を抱き寄せたからだ。
現れたのは先程見た、鈴を耳につけた妖。
「ボクの秀一に触らないでくれない哉。」
ゆるりと背後から秀一を抱きしめる男に頭の奥が一瞬で沸騰する。
どこか男に身をゆだねている様な兄の姿など見たくなくて、竜二は思わず懐から札を出し敵意を向けていた。
「秀一に触れるな!絶対に助け出す!」
竜二の激昂を柳田は面白いモノでも見るかのようにクスリッと笑って流した。
「なんて、おこがましいんだろうね!!もう君の兄は妖怪だよ!君の滅すべき妖だ!!」
高らかに言われる、その言葉は、だが竜二には到底受け入れ難いもので・・・
「黙れぇっ!!」
つい叫んぶと、傷ついた竜二の姿を見ていた秀一が非難の瞳を柳田に向ける。
「よせ、竜二には手を出さない約束だ」
それには柳田も面白くないようにツイッと瞳を細めた。
「そんなに大切なの哉。」
秀一の無言の肯定。
それに益々、苛立たしげに柳田は舌打ちすると、秀一の腰を抱き寄せた。
「君を見つけたのはボクだよ。」
柳田はスルリッと竜二の目の前で兄の頬を撫で上げた。
その行動に竜二は唇を噛み締める。
触れるなっと叫びそうになる。
「君は、ボクがみつけたんだ。」
ゆっくりと柳田は秀一の顎を持ち上げて、そのまま唇を奪った。
竜二の目の前で。
「ッーーー貴様!」
激昂し、札を繰り出す竜二。
だがその札は秀一の足元の影から現れた闇の巨大な手に払われ、バチバチッと火花を散らして両方霧散した。
その間も柳田は秀一の唇を奪い続けている。
ピチャッと響いた水音、秀一の淫蕩な姿に、竜二の頭が沸騰する。
「滅してやる。」
だがそんな竜二に柳田は猫のように笑うばかり。
そして秀一も微笑んで、ゆっくりと闇が広がっていった。
「っ待て!」
そして竜二が伸ばした手は、いつも届かない。
一瞬の後には、そこに居た筈の存在は消えていたのである。
運命の歯車は急速に回り始めるー…