(社会人設定です)

ようやく仕事が終わり、しかし私は息付く暇も無く急いで片付けをする。窓の外はもう真っ暗だ。時間を確認すると、わかってはいたけれど、いつもの退勤時間を大幅に過ぎていた。

職場を出た私は、駅に向かって歩き始めた。早く帰りたい。その一心で歩いていたけれど、ふと思って携帯を確認すると『終わったら電話ちょうだい』とメッセージが表示されていた。メッセージの受信時間を見て、慌てて電話帳を開いてメッセージの送り主へと電話をかける。

『もしもし』
「あっ、遅くなってごめん!今終わったから帰ってるよ」
『……今どこ?』
「まだ会社出たばっかりだから、駅に着いて電車乗ってだから家まではあと20分はかかるかなぁ」


リョーマと話しながらも、私は普段の自分では有り得ないくらいの早さで足を進める。


『ん、わかった。待ってる』
「リョーマは私の家に着いた?」
『着いたよ』
「そっか、良かった。じゃあ急いで帰ってるから待っててね!」
『うん……まあ、急ぐのはひなこが転ばない程度でいいから』

『気を付けて帰ってきなよ』。最後にそう付け足されて、私は返事をしてから電話を切る。しかしそう返事はしたものの、急がない訳が無い。多少転んだって今日は仕方がない、それくらいの気持ちで私は歩いていく。……そりゃあ、転ばないに越したことはないけれど。

携帯を上着のポケットに入れて、前を向く。駅はもう目の前だった。










電車に揺られて、大体15分。休日前の帰りの電車から降りると、なんだか一気に仕事から解放された気がするのだから不思議だ。

改札を通って駅から出る。ここまで来てしまえば、家まではもう少し。私は一切の脇目も振らず、家の方向へと進んでいく。
くたくたに疲れている私の足、そして私の身体。君達が疲れているのは十分わかっている。でも、君達だって私の一部だ。リョーマが待ってるんだから、もう少しだけ一緒に頑張ろう!


「ねえ」


疲労を跳ね除けてぐんぐんと前へ前へと進んでいた私の足。しかし突然後ろから聞こえてきたその声により、それはまさに反射的に、ピタリと止まってしまった。


「……え!」


振り返った瞬間に思わず大きな声が出てしまい、私は口を手で覆う。でも今はそれくらいは許して欲しい。何故ならば私に声を掛けてきたのは、他の誰でもない、家で待っているはずのリョーマだったのだ!

少し深めにパーカーの帽子を被ったリョーマは、ポケットに手を入れて。そして少し不機嫌そうに眉を顰めていた。


「どっ、なっ、なんでここにいるのっ」


周りを見渡し、今度はちゃんと小さな声で言葉にする。


「見ればわかるでしょ、そろそろかなと思って迎えに来ただけ」
「……」
「まあ、盛大に無視されたけど」

リョーマはそう言ってそっぽを向いてしまった。……いや、でも、だってまさか。こんな所にリョーマがいるなんて、一体誰が思うというのだ。日付も変わりそうな、こんな夜中に。


「ご、ごめん……1分でも早く帰りたいっていう一心で歩いてたから全然気づかなかった」


それでも、無視をしたと言われればその通りだ。謝るより他は無い。顔の前で手を合わせてリョーマの返事を待つ。

ふう、とため息が聞こえてきて、そしてすぐに右手を掴まれた。


「別に、連絡しなかった俺も悪いし」


私の手の向こうにいるリョーマと目が合う。それから私の肩に掛かるカバンを指差すと「持つから貸して」と一言。


「え、いいよ!自分でも全然持てるから」
「そんなの知ってる。でもそれなら俺が持ってもいいでしょ?」


そう言われて肩に食い込むカバンの柄の部分を掴む。「で、でも」、私はそう言って身体を引いたけど、リョーマの手にぐっと力が入るのと同時に肩が軽くなって。そのまま私の腕から自分の肩へとカバンを掛けたリョーマは、私の手を握ったまま歩き始めた。

「ごめんね、ありがとう」
「ううん。…ひなここそ、遅くまでお疲れ様」
「……うん、ありがとう」

もうすぐ春だと言うけれど、夜はやはり少し冷える。リョーマはパーカーのポケットに私の手を入れて、きゅっと握った。

久しぶりに見たリョーマの横顔がかっこよくて、電話越しじゃないリョーマの声が優しくて、私の手を握るリョーマの手が温かくて。へとへとだった心が、リョーマによって満たされていくのがわかる。

「そんなに忙しいの、今って」
「ああまあ、3月は結構忙しいのもあるけど、今日は月末だから尚更ね」
「……そうなんだ」

今回、中学の頃から仲良くしている先輩の結婚式があるということで帰国して来たリョーマ。せっかく帰国の機会があるのだったらと、私もそれに合わせて休みを取ることに。そしてその予定も予め職場にも話してはいたんだけど、何せどこも忙しいこの時期。私の職場も例を漏れず、明日の金曜日の休みを捻出する為に、今週は毎日残業が続いていた。……まあ、今回は先輩の結婚式がメインということで、いつもリョーマが帰国する時に必ず2人で行っている温泉旅館へ行く時間も無いのだけれど。

それでも、こんな時間まで帰って来ない私のことをリョーマが待っていてくれるのだから、私はどうしたって嬉しくなる。私と少しでも一緒にいたい、とリョーマが言ってくれているような気がしてしまう。

「あ、明日はどこに買い物行く?」
「何処でもいいよ」
「うーん、それじゃあ…」


明日は、リョーマに言われて結婚式用の服を一緒に買いに行く予定だ。私の住んでる地域にも買えそうな所はあるけれど、もう少し都心部の方がいいかもしれない。せっかくだから沢山お店のあるところの方が……そう思って、幾つか場所を提案していく。

「え、そんなところまで行かなきゃ無い?この辺に無いの?」
「あることはあるけど、でもせっかくならちゃんと選びたいでしょ?」
「…………少し考える」


リョーマはそう呟いて、前を向いた。私も釣られて前を見ると、まん丸のお月様が目に入る。

いつもは気にならないのに、今日は、なんだかとても綺麗に見えた。





それからコンビニ寄って私の夜ご飯を買い、すぐに帰宅した私達。


「ただいまぁ」
「おかえり」


いつも1人で暗い部屋に呟くのに、リョーマの声が返ってくる。それだけでも嬉しくて、思わず頬が緩んだ。
部屋に入って、私はコートを脱いだり手を洗ったり。リョーマは私のカバンを置くとどこかへ行ってしまった。

ああ、疲れた。そう思いながらテーブルの前に腰を下ろす。お腹も減ったのかすらよく分からなくなってしまった。しかしながら、リョーマに絶対に食べた方がいいと言われて買ってきたお弁当を取り出す。コンビニで温めてもらったおかげで、すぐに食べられそうだ。

「お風呂出してきた」
「え!ありがとう!」
「うん」

リョーマは頷きながら私の後ろのソファに腰を掛けた。「久しぶりの実家はどうだった?」、私の家に来る前に寄ると言っていた実家のことについて話を振ってみる。1人のご飯の時はテレビをつけるけれど、今日は必要ないだろう。


お腹が空いてるかわからないと言った私だったけれど、なんだかんだお腹は空いていたようだ。買ってきたお弁当をぺろりと平らげて、ご馳走様と手を合わせた。


「ふー、お腹いっぱい」


お弁当を片付けて、ソファにいるリョーマの隣りに座る。柔らかいソファに沈んだ身体が、疲労のせいなのかいつもよりも重く感じた。
背もたれに身体を預けるリョーマの肩に、私は頭を預ける。


「…疲れた?」
「んー……少しね」


そう言いながら、私は無意識に目を閉じる。今月は本当に疲れたなぁ。1人だったら、色々と諦めて寝てしまっていたかもしれない。……まあでも、1人ならこんな風に寄りかかれないかあ。


「お疲れ様」


そんなことを考えていた私の耳に、再び届いた大好きな声。そしてそれと共に、今度は頭を撫でられた。その手はとても優しくて、疲れきった身体には本当に気持ちが良くて。本当に寝ちゃいそうになるんだから、もしかしたらリョーマは魔法でも使ってるのかもしれない。

「……」
「……あ」


「そろそろお風呂いいとかも」、リョーマがそう言うから、私も身体を起こす。普段は基本的に何事にも無頓着なのに、テニスとお風呂のことになると、こうしてマメなところが出る。お風呂場へと向かう後ろ姿を見て、可愛いなあと心の中で呟いた。

それからすぐに帰ってきたリョーマは、自分のカバンを持ってきて。


「今回は温泉行けないから、入浴剤買ってきた」


がさごそ。カバンの中を探る音と共に出てきたのは、リョーマの言った通り、有名温泉の名前がついた入浴剤だった。
確かに今回は温泉に行けないけれど、まさかそれを気にして、こうしてわざわざ買ってきてくれるなんて。1人で入浴剤を選ぶリョーマを想像すると、胸がくすぐったく感じて笑いそうになる。どれがいいのかと聞かれて、少し悩んでピンク色のパッケージのものを選んだ。「いいんじゃない」。ふっと笑ったリョーマが立ち上がった。


「ほら、じゃあ入りに行くよ」
「えっ」


リョーマに手を引かれて、私も立ち上がる。


「い、一緒に入るの?」


さすがにルンルンとまでは言えないけど、軽い足取りのリョーマに私は恐る恐る問いかける。


「…ひなこはいいの?」
「えっ、よっ、良くない!」
「……ふーん」

つまらなそうな声が聞こえてきて、内心めちゃくちゃ焦る。いや、でも、待って。……いやいやいや、ナイナイナイ!


「まあ別に、疲れてるのわかるし今日は一緒に入ろうとは思ってないけど」
「……今日は?」


お風呂場に着いたリョーマは、私の質問に答えないまま、浴槽へと入浴剤を振り入れる。パッケージと同じく、白く濁ったピンク色にお風呂が染まっていく。


「俺、買い物は何処でもいいから。ひなことゆっくり出来ればそれでいい」

「でもその代わり、明日は一緒に入るからね」


楽しそうに口元を上げたリョーマが、私の前に戻ってくる。見上げるのと同時にリョーマの左手が伸びてきて、私は反射的に目を瞑った。目の前に陰ができて暗くなったと思うと、優しく上げられる私の前髪。……そして、ちゅっというリップ音と共に、おでこにキスをされた。


「……」

影が遠くなるのを感じて、私は目を開ける。でも大きなリョーマの目が思ったよりも近くにあって、ついドキッとしてしまう。
「俺に気は使わなくていいから、ゆっくり入って」。そんな私の唇に、リョーマはそう言ってもう一つだけキスを落とした。



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大好きなお友達の蒼ちゃんへ!
素敵過ぎる甲斐くんをありがとうございました〜!!!


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